新着宝石展示室
( New Gemstone Gallery )
January 2022 : 稀なる宝石 (Extremely rare gemstones)
菱マンガン鉱 (Rhodochrosite) 4.79, 6.55ct |
蛍石(Fluorite) 25.02ct |
ガーナイト(Gahnite) 0.292ct |
ヒデナイト(Hiddenite) 1.69ct |
N'Chwaning Mine Kurman, South Africa |
Illinois, U.S.A. | Madagascar | Adam's Farm, North Carolina U.S.A. |
長年宝石のコレクションを続けていると、まさかと思うような宝石に出会う機会が稀に起こります。
極めて稀に、ごく少量の結晶が発見されたり、あるいは疾うの昔に絶産となってしまったもの、宝石質の結晶がごく稀にしか発見されない鉱物、等々に思いがけず遭遇するといった出来事です。
今回の展示はそれらの、極めつけの稀少な宝石ルースです。
ヒデナイト (Hiddenite)
1.69ct 16.6x4.1x3.1mm Adam's Farm, North Carolina, U.S.A. | ||
50x7x 6mm | 27x16x8mm | 35x26x17mm | 結晶(Crystal) 3.7㎝ Faceted stones 5.58ct and 1.16ct |
Adam's Farm, North Carolina, U.S.A. | |||
|
|||
10.16ct 15.8x11.5x7.1mm | 7.69ct 12.3x10.3x6.2mm | 14.02ct 16.1x11.8x10.1mm 放射線照射射され、1年足らずで退色したルース (Irradiated and completely color faded faceted stone) |
|
Ural Mountains, Russia | Minas Gerais, Brazil | Afghanistan |
ヒデナイトはクロム発色のエメラルド・グリーン色のスポジューメンの呼び名です。
1879年、アメリカノース・カロライナ州、Stony Point の農地から緑のボルトのような結晶が発見されました。
たまたま、近くの金の漂砂鉱床にて、当時エジソンが発明した白熱電球のフィラメントの材料用にプラチナ鉱を探していた鉱山技師 William E. Hidden がこの発見を聞きつけ、それがエメラルドであることを確認し、鉱山の開発に乗り出しました。
さらに別種の緑の結晶が発見され、ケンタッキー州の化学者の Laurence Smith によってスポジューメンの緑色の変種であると判明し、送り主のヒデンに因んで1981年に命名されたのがヒデナイトでした。
宝石質のスポジューメンは1877年にブラジルで黄色のトライフェーンと呼ばれる種類が発見されたばかりでしたから、ヒデナイトをその変種と同定したローレンス・スミスの慧眼は大したものだったと感嘆するのみです。
宝石のスポジューメンでは20世紀初頭にカリフォルニアのサン・ディエゴと、ブラジルのミナス・ジェライス州から発見されたピンクや紫色のクンツァイトがその色合いと、産出量が多いため、最もよく知られています。
一方、鉄イオン発色の緑の種類はブラジルとウラル山脈からごく稀に採れるのみです。
アフガニスタンからも大きく美しい宝石質の緑のスポジューメンを産しますが、この緑は不安定な4価のマンガンに因る発色で、たちまちのうちに退色するため宝石としては使えません。
市場ではこれらの緑の種類も ”ヒデナイト”として流通していますが、宝石学者はグリーン・スポジューメンと呼んで区別しています。
クロム発色に因るエメラルド・グリーンのヒデナイトは、世界で唯一、ノース・カロライナのエメラルド鉱山にて1879年にごく少量採れた結晶が存在するのみでした。
スミソニアンやロス・アンジェルスの世界的な博物館でさえも、1カラット前後の小さなルースや、薄片のような小さな結晶を持っているだけの極めつけの稀少宝石でした。
そのヒデナイトが120年余り後の 2001 年に、同じノ-ス・カロライナのエメラルド鉱山にて再発見されました。
その間、鉱山は細々と稼働され、細々ながらエメラルドは採掘されていたのですが、何故かエメラルドの鉱脈からヒデナイトが発見されることは決してありませんでした。
2001年の発見ではエメラルドとは全く異なる産状で1200個の結晶が採集されました。
スミソニアン博物館の専門家による詳細な調査の結果により、アルプス型の熱水鉱床の特徴である1000気圧以下、250℃以下の条件でヒデナイトが生成し、同じ晶洞に発見された水晶、方解石、曹長石、白雲母、黒鉛、菱沸石、黄鉄鉱、金紅石等の結晶形からも、同じ土地のエメラルドとは異なる成因にてヒデナイトが生成したことが明らかになりました。
発見からの2年間で1200個ほど採集された結晶の大きさは数㎜から最大で 9cm の長さ、平均では長さが 2~2.5㎝、幅が 0.5~0.6cm、全体の5%の60個ほどの結晶から1カラットを超えるルースがカットされ得ると考えられました。
という記事や上記の写真を Gems & Gemology 誌で見た時、ヒデナイトのルースを入手できるとは思いもしませんでした。
実際、ヒデナイトのルースが市場に姿を見せることはなかったし、例え出たとしても到底手の届くような値段ではないと、初めから期待もしませんでした。
ところが2021年の9月末に突如、稀少石カットの専門家である Coast to Coast の Michael Gray の手になる、1.69,2.73, 3.20、7.28 カラット の4点ものルースが一挙に出展されたのは嬉しい驚きでした。
スポジューメンの結晶は完全な劈開性を持つため、カットが困難な宝石です。
最初にブラジルでピンクのクンツァイトが発見された時には、当時のブラジルのカッターの技術ではカットの際に結晶が割れてしまうため、結晶は全てアメリカに送られ、熟練した専門家によってようやくカット出来たという逸話があるくらいです。
まして、採集されたヒデナイト結晶の大半は厚さが数㎜の薄片ですから、よほどの熟練者でなければカットが出来ません。
ルースが姿を見せなかったのは、カットの困難さも一因であると思われます。
世にも稀なる宝石とあれば途方もない値段になりかねません。
0.1カラットにも満たないアウインやアフガナイト、グランディディエライト等が、カラット当たり百万円相当の水準で取引されているのは、しかし日本という特異な市場のみです。
さすがに 7.28 カラットの、恐らくは史上最大のルースこそカラット当たり US$2,250 ですが、これでもスリランカ産の上級のサファイア並みと、ごく真っ当な水準です。
最初に発見されたのと同じ頃、カシミールからも最高峰のサファイアが発見されました。
こちらは標高4600mの高地に鉱脈が発見され、20年余り周囲で採掘が行われて、絶産となってしまいました。
しかしその間採掘された100㎏と推定される結晶からカットされたルースは少なくとも1万カラットになったと考えられ、現在も還流品が時折市場に姿を現します。
一方、ヒデナイトは、最初の発見時にどれほどの結晶が採集されたのか不明ですが、当時のカット技術を勘案すると、残されたルースは数えるほどであったと考えられます。
従って、2001年の発見で得られた結晶から得られた1カラットを超える数十個のルースが、世の中に存在する、数少ない真正のヒデナイトのルースということになります。
今回入手したのは最も小さい、従って、カラット当たり単価も上等なインペリアルトパーズ並みという、何とか手の届く妥当な水準でした。
写真の1.69カラットのルースですが、厚さが3.1㎜と極薄の結晶を最大限に活かして、出来るだけの大きさを確保した特異な姿に仕上げた、秀逸なカット作品です。
繊細な結晶をよくぞここまで仕上げたものと、惚れ惚れさせる出来映えです。
稀少な宝石は腕利きのカッターの手になる作品であってこそ価値があるのだと、納得させられます。
アメリカ、イリノイ州の蛍石 (Fluorite from Illinois, U.S.A.)
25.02ct 19.2x12.8x13.1mm | |||
Jim Gebel Collection | 9㎝ | 12.6㎝ |
アメリカ東部イリノイ州南部とケンタッキー州北西部の州境を流れるオハイオ川に沿って豊かな鉛、蛍石、重晶石鉱床が発見されたのは18世紀始めの事でした。
最初は1835年にケンタッキー州側に、続いて1839年にイリノイ州側の、いずれも畑の中から、方鉛鉱、重晶石と共に蛍石が発見されました。
当初は方鉛鉱に含まれる僅かな銀を採集するために鉱山が開発されましたが、その後化学産業用途に重晶石が、さらに、1880年代に始まった製鉄の製錬用に欠かせない蛍石を求めて、大小200以上の鉱山が次々と開発され、1995年に最後の鉱山が閉鎖されるまで、160年に及ぶ採掘が行われました。
とりわけ、この間1200万トン余り採掘された蛍石は、大半が鉄の製錬用素材として溶鉱炉に投げ込まれてしまったのですが、美しい結晶は世界の博物館やコレクターの貴重なコレクションとして残されました。
蛍石はモース硬度が4と傷つき易く、完全劈開性のために宝石として使用が出来ませんが、大きく美しい結晶が得られるために、一部のカッターの腕の見せどころとしてルースにカットされます。
写真の25カラットのルースは、蛍石の研磨では世界屈指の技術を持つ Coast to Coast の John Bradshaw の手になるもので、恐らくはイリノイ州, Cave In Rock のミネルヴァ No.1 鉱山産の結晶の古い在庫をカットしたものと思われます。
蛍石のルースは少なからず持っていて、その多くが彼の手になるものですが、今回入手したルースは数あるミネルヴァ産ルースの中でも屈指の透明度と美しい色合いの逸品です。
25カラットと、蛍石としてはそれほど大きなものではありませんが、クリスタル・クリアーというべき透明度の高さと、紫がかった青い色合いの美しさとを存分に引き出した比類のないカッティング技術の冴えを見せる、まさに家宝にしたいような逸品です。
ガーナイト ・亜鉛スピネル (Gahnite : ZnAl2O4 )
0.282ct 3.83x3.79x2.50㎜ Madagascar |
宝石質ガーナイト結晶 各1.5ct | Gahnite Matrix 17㎜ | Gahnite Matrix 2㎝ | Gahnite Matrix 3.1x3㎝ |
Kagoro Hill, Kaduna, Nigeria | Tulear Province Madagascar | Sterling Hill Mine、New Jersey, U.S.A. | Victoria Mine, Catalunia, Spain |
ガーナイトとは別名、亜鉛スピネルとも呼ばれるように、スピネル(MgAl2O4) のマグネシウム成分が亜鉛に置き換えられた、スピネル属の鉱物の一つです。
亜鉛スピネルとマグネシウムスピネルの中間の成分比を持つものは、ガーノスピネルと呼ばれ、ごく微量のコバルトによる、コバルトブルーの発色を見せるものが、ごく稀に知られていました。
ガーナイトは1807年に発見され、スウェーデンの化学者・鉱物学者 Johan. Gottlieb. Gahn (1745 - 1818) に因んで命名されました。
比較的稀な鉱物ですが、世界各地からスピネルと同じ8面体の結晶として産出します。
大半は不透明な暗い緑、青、灰色で宝石質の結晶は滅多になく、これまで宝石としてカットされることはありませんでした。
2018年頃に、ナイジェリア中部 Jos 高原に近いカドゥナ州から宝石質の結晶が発見され、大半は0.5カラット以下と小さいながら、コバルト・ブルーの透明なルースが散発的に市場に姿を見せるようになりました。
分析の結果90wt%が亜鉛スピネルの、紛れもないガーナイトであると、判明しました。
コバルトスピネルのような青い色合いは、40ー60ppm とごく少ないながら含まれるコバルトによる発色と判明しました。
コバルトは他の、鉄やマンガンなどの発色成分比べて、格段に低い含有率でも強い発色を起こすとのこと。
さて、今回入手したのは、日独宝石研究のソーティングによりガーナイトと明記されており、屈折率の測定値も1.814と、普通のスピネルより格段に高いガーナイトの値を示す、コバルト・ブルーの色合いです。
マダガスカルのガーナイトは、Mindata では1963年に2か所のペグマタイトからの報告が標本の写真と共に掲載されていますが、いずれも宝石質ではありません。
今回入手したルースの詳細な産地は不明ですが、上の写真にあるマダガスカル Tulear 地方産のマトリクス結晶をカットしたものであれば、0.2~0.3カラット程度のルースが得られるかもしれません。
南アフリカ、ン’チュワニン鉱山の菱マンガン鉱 (Rhodochrosite from N'Chwaning Mine, South Africa)
6.56ct 10.1x9.2x7.4mm | 6.56ct 4.79ct | 4.79ct 9.80x8.26x6.24mm |
1922年、南アフリカ、カラハリ砂漠の地下に発見されたマンガン鉱床は推定埋蔵量が80億トンと、世界の80%余りに相当する鉱床が1000平方㎞に拡がっている巨大なものでした。
この地はかつて浅い海底でしたが、22億5000万年前、地球全体が氷に覆われていたスノーボール・アースと呼ばれた時代が終わった後に現れた原始的な藍藻類のシアノバクテリアが光合成で作り出した酸素によって、海中に漂っていた鉄やマンガンが酸化物となって海底に沈殿したものです。
マンガンは当初は大量の不純物を含む3%程度の低品位の鉱床でしたが、12億5000年前から700万年に及ぶ期間の地殻変動にて繰り返し起こった熱水の貫入によって、不純物が100余りの鉱物に変換され、その結果マンガンの純度が60%という高品位な鉱床に”精製”されたことで今日の世界屈指のマンガン鉱床に生まれ変わったという奇跡的な経緯を辿りました。
1961年、数あるマンガン鉱山の一つ、Hotazel 鉱山に犬牙状、菱面体等の深紅の菱マンガン鉱の結晶の晶洞が発見され、1963年までの2年間に採集された美しい結晶が世界の博物館やコレクターたちの手に残されました。
さらに1976年、新たに開発された N'Chwaning 鉱山の地下数十メートル地点に、ワインレッド色の菱マンガン鉱の最大では10㎝に達する結晶で満たされた晶洞群が発見されました。
これらの結晶はその後10年余り世界の鉱物フェア等で見ることができました。
菱マンガン鉱は、美しくはあっても、方解石と同じモース硬度が3と極めて低く、さらに完璧な劈開性を持つためカットが困難で、如何に美しくとも、決して宝石に使えない、見るだけの宝石です。
従って、稀にカットされるルースも当時から非常に高価であった結晶標本(高価とは言え5㎝ 程の群晶が当時は数万円でしたが)と比べると、大小にかかわらず、カラット当たり100ドルもしない水準でした。
その後、この地で新たな晶洞の発見はなく、時たまコレクターが手放す昔の結晶標本が時たま姿を見せるのみです。
ロードクロサイトのルースは、主にコロラド州のスイートホーム鉱山産が1990年代末の閉山後も、結晶採集を目的に間歇的な採鉱が行われているため、現在も姿を見せますが、採掘経費がかかるため、3カラット級がカラット当たり300ドル、さらに数が少ない6カラット級ではカラット当たり600ドルと、さすがに高くなっています。
ところが、稀少な品には見境もなく殺到するという日本では、海外の数倍の水準にまで跳ね上がっています。
最近見かけた6カラット弱のルースに138万円という値が付けられていたのには、ただただ絶句するのみ。
一方、半世紀近く昔の発見以来絶産となっている南アフリカ産を見かける機会は絶えてありませんでした。
写真の2点のルースは、2021年の11月に、二つの異なる経路を経て、いずれも個人のコレクションの放出品が、嬉しいことに30年余り昔の価格水準で出品されていたものです。
45年も昔に発見されて以来、以後絶産となっていた、世にも稀な南アフリカのロードクロサイトの大きなルースが、ひと月の間に二つも出て来るという出来事が起こるとは殆んど信じられないことです。