1980年 第10回 ショパン国際コンクール

優勝者 ダン・タイ・ソン (Dang Thai Son) のショパン演奏

     
       1849年製のエラールでの演奏       ショパン夜想曲全集 1986年9月 福島市音楽堂での録音 
2009年ポーランド放送スタジオでの録音  2005年ワルシャワ・フィル・コンサートホールと
2006年 ワルシャワ大劇場での録音
   
       
     
 シューベルト曲集 2017年 
名古屋市しらかわホールでの録音
ドビュッシーアルバム  
1989年宮城県加美町中新田バッハホールでの録音
ラヴェルアルバム 
1995年ワルシャワ大劇場での録音

 1927年にポーランドで開催されたフレデリック・ショパン国際ピアノコンクールは世界で最も古い音楽コンクールだ。
第2次世界大戦をはさみ 5年毎にショパンの作品のみを課題曲として開催される。
 即ちショパンのピアノ曲演奏に特化したコンクールだが、第1回のレフ・オボーリン以来、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ、ベラ・ダヴィドヴィチ、アダム・ハラシェヴィチ、ウラディーミル・アシュケナージ、マウリツィオ・ポッリーニ、マルタ・アルゲリッチ、クリスチアン・ジメルマン等々、世界的なピアニストを世に送り出して来たコンクールであり、チャイコフスキーコンクール、エリーザベト国際コンクールと並ぶ世界三大音楽コンクールの一つに挙げられている。

 他のコンクールもほぼ同様だが、ショパンコンクールは、下記のような過程と内容とで開催される ;
 
 参加資格 : 16歳以上30歳以下

1. 予備審査 : 書類提出(国際的に著名な教授かピアニストの推薦状と音楽歴)にDVDを添付して応募
2. 予備予選 : 現地演奏
3. 一次予選 : 歌う能力を問うノクターン、演奏技術を問われるエチュード、構成力が試されるスケルツォ
4. 二次予選 : 個性が試されるリサイタルプログラム ; バラッド、プレリュード、ワルツ、ポロネーズ
5. 三次予選 : ピアノソナタ、マズルカ
6. 本選 : ピアノ協奏曲

ショパンコンクールでは毎回数百人の応募者が予備審査と予備予選を通った中から3つの予選を経て本選には10人程度が選ばれる。  審査員は過去の入賞者や世界の著名なピアニストや教授、25人。
 100人近くが参加する一次予選から10人余りに絞られる本選までは20日間の長丁場となる。
冒頭の写真は、1980年に開催された第10回コンクールにて東洋人として初めて優勝したヴェトナム出身のダン・タイ・ソン(1958年~) のCDジャケット。
 ダン・タイ・ソンはハノイの生まれ。
 ハノイ音楽院のピアノ科の教授だった母の手ほどきによりピアノ教育を受けたが、折しもヴェトナム戦争の最中を田舎に逃れ、ピアノが無いので紙に描いた鍵盤で練習したエピソードが有名です。
 長じてモスクワ音楽院に留学の話が持ち上がったのだが、父親が詩人であったため共産党からの横槍が入り、両親が離婚することで、ようやく許可が下りたとのこと。
 これまでモスクワ音楽院に学ぶ無名の学生に過ぎなかったダン・タイ・ソンだったが、このコンクールにて第1位の他にマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞と、副賞の全てを併せて獲得するという快挙だった。
 しかしながら、その快挙も、この時のコンクールで起きた別の事件によって、いささか霞んでしまった。
それは、同じモスクワ音楽院の同窓で、ユーゴ出身のイーヴォ・ポゴレリッチ(1958~)が三次予選で敗退した後の騒動のためだった。
 この結果に激怒したマルタ・アルゲリッチが、”彼こそは天才よ”と叫んで審査員を辞退した事がセンセーショナルなニュースとして広がり、本選に進めなかったポゴレリッチの方が世界的に脚光を浴びて早速契約を結んだグラモフォンから次々と新録音を発表し、世界各地でのコンサートが目白押しになるという時の人になってしまった。
 実際には、一次予選の時点で、審査員のルイス・ケントナーが、ポゴレリッチの予選通過には納得できないと審査員を辞退し、三次予選時も、審査員間で高く評価するものと、全く受け入れられないとする意見が二つに分かれ、零点の評価が多いポゴレリッチの敗退が決まったのだ。
 1965年のショパン・コンクール優勝者であり、世界的な人気と実力を持つマルタ・アルゲリッチの発言の影響力が如何に大きかったを物語る事件であったと言えましょう。
 ポゴレリッチの演奏がこれほどの反響を呼んだのは、彼が楽譜を無視して曲を自身の自由な解釈で演奏したためだ。
彼にはモスクワ音楽院でも伝統的な解釈や奏法等に反発して3度も停学処分を受ける等、前歴があるのだが、しかし1978年のイタリアのアレッサンドロ・カサグランデと1980年、カナダ、モントリオールの国際コンクールではいずれも優勝する等、高い音楽性は国際的に認められていた。
 だが、”ショパン演奏の真の解釈者を発掘する” ことを開催理念として掲げているショパンコンクールでは保守的な審査員の反発が大きかったためだ。
 
 ポゴレリッチ事件はともかく、1980年の第10回ショパンコンクールは1位がダン・タイ・ソン、2位がソ連のタチアナ・シェヴァノワ、4位無しの5位に海老彰子とポーランドのエヴァ・ポヴウォッカ、今を時めくフランスのジャン・マルク・ルイサダは予選敗退、同じくカナダのアンジェラ・ヒューイットも本選には残ったものの順位なしの奨励賞、と稀に見る水準の高い大会だった。
 実は本選に残れなかったポゴレリッチも評価する審査員と聴衆の高い評価とで奨励賞を受けている。
 歴代の優勝者をほぼ独占していたソ連はこのコンクールに国家の威信を懸けて、コンクールと全く同じスケジュールでリハーサルを行ってコンクールに備えていたほど。 
 この時の演奏を聴いたタチアナ・ニコラーエワがダン・タイ・ソンの優勝を確信したというから、彼の1位はまぐれではなかった。 
 それどころか、歴代のショパンコンクールの優勝者やルービンシュタイン等々、定評あるショパン弾きと比べても、ダン・タイ・ソンのピアノのまさに玉を転がすような透明度の高い深々とした音色の美しさが印象に残る。 
 プロのピアニストであれば誰であれ音色が美しいのは当然だが、ダン・タイ・ソンの透徹したピアノの音色は次元の異なる水準と言っても過言ではない。
 この美しさは生来のものではあるだろうが、モスクワの音楽院で学んだことで一層磨きがかけられたのだろう。
 ロシアにはゲンナジー・ネイガウス(1888-1964 : Henrich Neuhaus) 来のピアノ奏法の伝統があり、その系統を汲む名教師達によって独特の美しい音色を持つピアニストを輩出しているからだ。
 それに加えて精妙極まりない打鍵の間合いの取り方が素晴らしいが、これこそは、ショパン演奏になくてはならないものだ。
本家のポーランド出身のアダム・ハラシェヴィチやエヴァ・ポヴウォッカ、さらにエリーザベト・レオンスカヤ、クラウディオ・アラウ、ルービンシュタイン等のノクターン全曲集と比べてもダン・タイ・ソンのショパン演奏の際立った美しさには感服するのみ。
 であればこそ、ポーランドのショパン協会が企画した21集から成る古楽器によるショパン全集にも、あえてダン・タイ・ソンが、ショパンの時代、1849年製のエラールによるピアノ協奏曲1、2番と夜想曲集とを演奏している。
 ショパンの代表作でもある曲を、数多のポーランド人ピアニストを差し置いて選ばれたというところにダン・タイ・ソンが如何に高く評価されているか分かろうというもの。

 冒頭のノクターン全集は、日本で録音されたもの。 当時はクラシックのCD等殆ど置いてないパナマのレコード店で偶然見つけて入手したものだが、余りの演奏のすばらしさに魅了されて、以来30年余り、愛聴盤となっている。
 ショパンの夜想曲は、ルービンシュタイン等の古い演奏では遺作の20番と21番とが入っていないが、この2曲こそは夜想曲の中で最も美しい曲で気に入っている。 が、ピアニストによってはこの曲程に異なる印象を与える曲は稀だ。
 演奏技術の問題ではなく、まさに間合いの取り方、曲の本質をどのように捉えているのかという感性が問われる曲なのだ。
 今は You Tube で無数の演奏と聴き比べができるが、例えば日本の高名なピアニストがベートーヴェン等は見事に弾くのに夜想曲の、例えば遺作の20番の出だしを、どうやってあんなに無造作でがさつに弾くのかと唖然とさせられる。
 最近、アリス 紗良 オットが日本のTV局に出演して、ショパンの第20番のノクターンを演奏しものがYOUTube にて見られるようになった。
 曲想の捉えた方、間の取り方、そして粒立ちの良いピアノの響きと、数あるこの曲の演奏の中では出色の出来映えと、感心した。 
 定評のあるアシュケナージやマリア・ジョアン・ピレスの演奏と比べても遥かに共感できる。
改めてダン・タイ・ソンの演奏と比べてみて、この二人の感性は極めて近いものがある。
 だが、アリス・紗良・オットの演奏をもってしても、ダン・タイ・ソンの絶妙な間合いの取り方、そして深々とした音色が柔らかく拡散するショパンの演奏は、他の如何なるピアニストとも隔絶した水準にあると再認識させられたのも事実だ。
 ショパンが余りにも素晴らしいので、ダン・タイ・ソンのCDには他の作曲家の曲の演奏が極めて少ない。 
あれほどの美音と音楽性と演奏技術があれば、例えばラヴェルやドビュッシーをどのように弾くのか聴いてみたいとかねがね期待していたが、古い録音しかなく、殆どが絶版となっていて聴くことができないでいた。
 が、ようやくにして2017年に最後のソナタD960 を含むシューベルト集が録音された。 
さらに YouTube で1980年のショパンコンクールの際の一次予選、二次予選等の録音や、その後の世界各地でのコンサートやTV放送で演奏されたモーツァルト、ベートーヴェン、シューマン, メンデルスゾーン等々、広範な作曲家の演奏を聴くことが出来る。
 世界のレコード会社や放送局のアーカイヴを自宅に持っているようなもので、全く有難い世の中になったものだ。
 しかしながら、YouTube はあくまでも参考にしかならない。
 せっかく音楽を楽しんでいるのに、突然大音響で耳障りな広告が飛び込んで来るので、到底音楽観賞用には使えない。 演奏を確認したうえできちんとCDを入手して楽しむべきだ。
  彼のショパンが飛び切りの絶品であることは当然ながら、こうして聴いた他の作曲家の演奏も第一級の水準であると改めて納得させられた。 
 とりわけ、2017年に録音された初めてのシューベルトの、最後のピアノソナタ第21番D960 は、アルフレート・ブレンデル、ヴァルター・クリーン、田部京子、クリスチアン・ツァハリアス、クリフォード・カーゾン、ルドルフ・ゼルキン等々、数ある古今の名演奏と比較しても全く引けを取らない、至高の水準にある。 

 これを聴いて、古い録音だが、ラヴェルアルバムとドビュッシーアルバムを探し出してようやく聴くことができたが、これらも絶品。 ショパン演奏で示された、透徹した音色と繊細なタッチにて絶妙な間合いで弾く感性豊かなラヴェルとドビュッシーは、期待に違わない素晴らしいものだ。
 改めてダン・タイ・ソンのピアニストとしての力量を思い知らされた次第。
因みに、彼は演奏のみならず、ピアノ教師としても超一流と認められている ;
 2022年のショパンコンクールでは、日本の添田恭平が2位、小林愛美が4位になり、大きな話題となったが、優勝したカナダのブルース・シャオユー・リウと6位に入賞したJJ. Jun Li Bui とは、共にダン・タイ・ソンの生徒だ。 
 6位の Jun Li Bui は1次予選と2次予選ではブルース・リウと共に100点満点だったが3次予選と本選では不調のため上位入賞を逃したが、1次と2次での素晴らしい演奏により、6位となったものだ。
 2015年のコンクールでも 3位、4位、5位と、3人の上位入賞者がいずれもダン・タイ・ソンの生徒であり、今後もショパンコンクールでは彼の生徒たちの活躍が注目を浴びることは間違いない。
  
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