映画 "300"



                   
呉 茂一 訳     竹友藻風 訳        1962年版 2007年版    キャスリーン・バトル オンブラ マイ フ 


シモニデスの古詩

 冒頭の最初の詩は、いずれもギリシア詞華集に収められた、シモニデスの墓碑銘を訳したもの。
大正13年の竹友藻風訳はただの二行に過ぎない原詩に忠実に従ったものであり、これはこれで趣がある。
 一方、昭和17年の呉 茂一による "ギリシア・ローマ古詩鈔" に収められた古語を駆使した翻訳の
湛える風雅な趣も忘れがたいものだ。

 古今東西、日本語に翻訳された数々の世界の詩歌の中で、この二つは単なる翻訳に止まらず、日本語の詩歌としても傑出した水準のものといっても過言ではない。

 さて、この詩の背景が何であったか、長年知らずにいたが、塩野七生の ”ギリシア人の物語 ” を読んでようやく分かった。

テルモピュライの戦い

     
 テルモピュライ戦場とサラミスへの経路  現在のテルモピュライに建つ記念碑 映画 300 レオニダス軍の最期 

     
 映画 300 クセルクセス 王  100万のペルシア軍  ファランクス陣形にてペルシア軍に対峙するスパルタ軍



 これは紀元前480年6月、ペルシアの軍勢が率いる100万人の軍隊の侵攻をテルモピュライの隘路にて、スパルタ王のレオニダスがたった300人の重装歩兵を率いて食い止め、連絡に戻った一人を除いて全滅した故事を詠ったものだった。
 
 全滅はしたものの、この戦いで準備の余裕を得たギリシア連合軍はその3ヶ月後、9月のサラミスの海戦では、380隻の艦隊にて、対するペルシア海軍の680隻を撃退した歴史的な勝利につながった。
 ラケダイモンとはスパルタ人が自らを称した呼び名のこと。

 300人で100万の軍勢に立ち向かったという逸話は、実は誇張で、実際のペルシア軍勢は10万~20万人、迎え撃ったスパルタを中心とするギリシア連合軍は5200~7700人というのが後世の歴史家の見るところだが、いずれにせよ絶望的な戦力差で立ち向かった事実には違いない。
 が、ペルシア軍に間道を知られ、挟み撃ち攻撃を避けて他のギリシア兵士たちの多くは逃亡してしまったため、300人のスパルタ兵が最後まで踏みとどまり、圧倒的な数のペルシア軍に立ち向かって3日間の戦いの後に玉砕を遂げたことで、この逸話が長く語り継がれて来た。
 その中心となったスパルタの重装歩兵は、集団となって盾を重ねて防御態勢を固め、その隙間から長槍で攻撃をかけるホプリーテスと呼ばれる戦法をとった。 
 この戦法は後にマケドニアにて7mもの長槍を備えるなど更に強化されてファランクスと呼ばれ、マケドニアのギリシアでの覇権を決定する紀元前338年のカイロネアでの勝利を決定づけ、その後アレクサンドロス大王のペルシアからインドに至る大遠征の勝利を決定づけたものだ。
 ファランクスはその後ローマに引き継がれて最強の軍団を作り、現在も駆逐艦等がレーダーとコンピューターに連動し、1分間に6000発ものバルカン砲を発射して対艦ミサイルを迎撃する、ファランクスと命名された装備にも名を残しているほど。
 
 この逸話はアメリカで2度映画化された ; 
 最初は1962年の実写版で "300人のスパルタ人" の原題が、日本では "スパルタ総攻撃"と至って安っぽいタイトルで公開された。 
 もっとも原題のままでは歴史に詳しくない一般客には何のことか分からないから止むを得ない。

 そして2007年, ”300” のタイトルで再度映画化された、コンピュータ・グラフィクスを駆使した作品は凄まじい映像効果で話題を呼んだ。 
 カラー映画なのに、殆どモノクロームかセピア調で撮影されたかのような映像処理が凄惨な戦いの有様に圧倒的な現実感をもたらしている。
 この映画の製作者たちは黒澤明の ”七人の侍 ” 等の作品を念頭に構想を練ったに違いない。

アリア ”オンブラマイフ ”

 ところで、ギリシアに侵入したアケメネス朝ペルシア軍の王はクセルクセス
I世 (Xerxes) だが、これは古代ギリシア語の呼び名であり、ペルシア語では "ハシャヤーラシャー" と呼ばれる。
 そしてイタリア語ではセルセー (Serse) となり、ヘンデルが "セルセー" の題名でオペラを書いている ;
 物語はペルシア王のセルセーが弟の恋人に横恋慕し、弟に片思いをかける乙女、セルセーの婚約者等々、ペルシアの宮廷内の他愛のない恋愛劇に過ぎないが、オペラではギリシア人の思い描く凶暴な侵略者が主人公として描かれている。
 ちなみにクセルクセスは前480年のギリシアとの戦いで二人の弟を失っている。

 セルセーがプラタナスの木陰に身を寄せて弟の恋人を思って歌うアリアこそは、クラシック、ポピュラーとを問わず古今東西の歌手たちがこぞって歌う名曲 "オンブラ マイ フ" なのだ。
Ombra mai fù di vegetabile,
Cara ed amabile soave più

 
 かつて これほどまでに
 愛しく 優しく
 心地の良い木々の木陰はなかった 
                   
 このアリアは1906年12月24日にアメリカで最初のラジオ放送時に初めて演奏された音楽でもあるとのこと。

 今では You Tube にてキャスリーン・バトルを始め、エンリコ・カルーソー、オペラ ”セルセー” で歌われる場面等々、ありとあらゆる歌手の歌唱を楽しめる。
 中でも、豪華な衣装に身を包んだチェチーリア・バルトリがイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏を背景に、プラタナスならぬ、ローマの松の大木に寄り添って歌う演奏は圧巻ですよ。

 と、何の脈略もないように見える、冒頭に掲げた古代ギリシアの詩と、史実に基づく映画と、巷で歌い継がれているアリアとが実は密接に関連していることを、長の年月の果てに思いがけずも気が付かされるようなことが、人生には時たま起こるのですね !
                  
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