映画 メッセージ ( Arrival)


 
 地球の12か所に出現した長さ450mの宇宙船 モンタナ州に出現した宇宙船と、映画の主人公の言語学者と理論物理学者 


     
 タコのような姿の宇宙人 ”ヘプタポッド” と 絵文字 表意文字である宇宙人の絵文字  足の先から吐き出される墨が透明なスクリーンに文字として描かれる 
     
     
ヒトデのような手のひらから吐き出された墨が透明なスクリーン上に文字として描かれる   
     
使命を果たして飛び去る宇宙船 : 巨大なクジラが大洋を泳いでゆくかのような詩的な美しさ !!!


物語の合間にフラッシュバックのように挿入されるルイーズの未来の記憶 : 不治の病で夭折する運命のハンナとの日々
   
   

   この映画はネビュラ賞や星雲賞、さらに早川書房のSFマガジンの”オールタイム・ベストSF” での海外短編部門の第1位に上げられる等、数々の賞を受けている中国系アメリカ人のテッド・チャン(Ted Chiang) の短編小説 : ” あなたの人生の物語 ( Story of your life ) ” を2016年に映画化した作品だが、映画化に当たっては大幅な変更が行なわれている。
 原作の意図は尊重しつつも、表意文字の表現、宇宙人と地球人との交感等々、内容は充分に練り上げられ、充分に見応えのある映画となり、2016年と2017年に世界各国の映画祭で受賞し、アカデミー賞でも7部門でノミネートされ、音響編集賞を受賞した。
 監督は ” ブレードランナー 2049 ” を手掛けたフランス系カナダ人の ドゥニ・ヴィルヌ-ヴ が務めた。
映画の原題は "Arrival " だが邦題の ”メッセージ” の方が内容を鑑みればむしろ相応しい。
 
 冒頭の場面と、前述の前書きからは、ありふれたSF映画かと思われそうだが、実際は大違い。
派手な戦闘場面など一切登場せず、しっとりした映像はあたかも上質の文芸映画といった趣だ。
1968年にアイザック・アシーモフの原作をスタンリー・キューブリックが映画化した” 2001年宇宙の旅 ”に匹敵する伝説の映画となるに違いないと思わさせられる作品なのだと、4年後の今、ブルーレイでの本編と、そのおまけについている、製作者、原作者、監督、作曲者、音響、衣装、編集担当者、言語学者等々との膨大なインタービューを通して、映画を見ただけでは理解できなかった様々な場面や、物語の展開と、その背後にある哲学がようやく理解できたというのが正直な感想。

 初めて映画を見た時にはよく理解できなかったのは、この映画が時間系列に沿ってではなく、現在と”未来の記憶”とが交互に入り混じって進行するという構成になっているからだ。
 冒頭から、若い女性が、生まれて間もない赤子をあやす場面から始まり、年頃の年齢で病院で死去する場面まで、この子と成長を共にする様々な情景がフラッシュバックのように挿入される。
 物語は、言語学者のルイーズが大学でポルトガル語の講義を始めた時に始まる。
 300人は入れる広い教室には数人の学生が来ているのみ、そして彼らは授業には上の空で、スクリーンでTVのニュースを見たいと要請する。 
 現れたのは巨大な宇宙船が地上すれすれに浮上しているニュース画面であり、アナウンスで、これがモンタナ州だけではなく、ロシア、アフリカ、中国、日本、中南米等、世界の12か所に突然出現したと報道される。
 湖畔の家に帰宅した彼女を訪れたのが、この出来事に対処する指揮を執っている米軍大佐であり、彼女がかつてペルシャ語の仕事で米軍に協力し、高く評価された経歴から、宇宙人の言語の解釈と連絡者としての任務を要請される。
 大佐との短いやり取りから、彼女がペルシア語だけではなくサンスクリット語にも通じていて、後に中国語にも堪能な言語学者であることが判明する。
米軍の要請に応じてモンタナに向かったルイーズに同行するイアンは理論物理学者として、まず宇宙人がどうやって地球まで来たのかその方法の解明に興味があるが、ルイーズと共に宇宙人の言語の解明を担う協力者となる。
 地上数メートルに浮上している宇宙船は18時間ごとに122分間下部が開き、浮遊して中に入れるようになっている。
どうやら彼らは重力をコントロール出来るようなのだ。
 宇宙船の中で暗いトンネルの彼方に拡がる透明な壁の彼方の霧の中から姿を現した二人(二匹 
!!!) の宇宙人は7本足の巨大な蛸を思わせる姿からギリシア語で7本の足を意味する ” HeptaPod : ヘプタポッド ” と命名された。
 彼らが足(手でもある)の先のヒトデのような7本指のある手のひらから吐き出される、空中に霧のように漂う雲がスクリーンに飾りのついた円環の文字として表示される図形を読み取り、分析して理解する作業を続けているうちに、相互の交感が深まり、理解しあってゆくのだが,並行して、ルイーズ自身に ” 未来を見る能力 ” が備わってくる。 
 このヘプタポッドは重力だけではなく、時間をもコントロール出来るらしい。
 このモンタナの軍の基地には、世界の12か所で同様に宇宙人との対話を試みる連絡網回線が繋がれ、当初は各国が交互に得られた情報を交換するシステムが出来ていた。
 しかしながら、宇宙人のメッセージの内容が、地球人に”贈り物”があり、それは武器なのだという情報が伝わると、各国の政府や軍部が過剰反応を起こし、連絡回線を遮断して独自に武力によって対処する決定が下ろされ、米軍も撤退を決断する。
 対話を続けようとするルイーズはヘプタポッドから放たれた連絡船で単独で宇宙船に乗り込み、ヘプタポッド人の”武器”とは実は”言語”のことであり、共通の言語により相互理解が進むこと、そして3000年後に彼らの危機を人類が救うことになることを知らせに地球を訪問した事が明らかになる。
 が、一部の軍人の先走った爆破攻撃に巻き込まれたルイーズは一時的に脳震盪を起こすが、撤退の混乱の最中に目覚め、中国やロシアが攻撃を開始するという知らせに、急遽中国軍のシャン上将に電話をかけて説得する。
 誰も知らないはずの妻の最期の言葉を告げられて真実を知ったシャン上将は戦闘撤退を決断する。
中国の決断に他の国も従い、危機は避けられた。
 宇宙人の意図を理解し、それに応えて、宇宙人の来襲に因って惹き起こされた世界的な危機が彼女によって未然に解決され、目的を達した宇宙人は地球を立ち去る。 
 世界各地で一斉に飛び立つ宇宙船が雲の渦を巻き込みながら消えてゆく姿は、あたかも巨大なシロナガスクジラが波をかき分けて泳ぐ様を見るような詩的な美しさに溢れている。
 かくして、彼女の人生の物語はこの事件の後にようやく始まる。 
ここに至るまで物語の中にフラッシュバックのように断片的に挟まれた数々の映像は、実はこれから始まる彼女の未来の人生に起こることだったのだ。
 理論物理学者のイアンと結婚して生まれる子を不治の病で失うことを知りながら、あえてその運命を受け止めて人生を歩もうとするルイーズの決意が、この物語の主題となっていることに深い感銘を覚える。
 その”未来の記憶”を象徴するのが、一連の出来事が終わった18か月後に開かれたレセプションに出席した中国のシャン上将がルイーズに ”妻の最期の言葉” の逸話を語る場面だ。 
 もう一つ、宇宙人との対話を続けながら、どうしても理解できない言葉を、大判の本を開いて確認する場面が一瞬出てくる。 
 映画でははっきりと分からなかったのだが、ディスクを止めてその場面をよくよく確認すると、その辞書こそはルイーズ自身が後日編纂し、生まれた子供に捧げた「ヘプタポッド語の辞書 : 
 「 The Universal Language by Dr. Louise Banks : Tanslating HEPTAPOD 」 なのだ。
 この映画に仕込まれた、こうした仕掛けの数々には、初めて映画を見た時には大いに戸惑わされたものだ。
ディスクを何度も見返し、付録の映像特典の膨大な情報によって、この映画の神髄をようやく理解できた。

 しかしながら、充分に理解できなかったにせよ、最初に見た時に感じたのは、これはSF映画というより、哲学的でもあり、ゆったりとしたリズムで時が流れる、映像詩のような作品であると、深い感銘を受けたものだ。

 この映画の製作者たちが語るところでは、スポンサーを見つけるのが大変だったとのこと。
確かにこの複雑な物語を映像化するのは容易なことではなかったろう。 
 だが、一旦決まれば、製作陣は直ちに監督に ドゥニ・ヴィルヌーヴ を指名した。
それを受けてヴィルヌーヴは、主人公の言語学者を演じられる女優はエイミー・アダムス以外には考えられないと判断した。 
 そして脚本、撮影、音楽、音響、衣装デザイン、編集、言語学の専門家等、考えられる最高のスタッフを選んで実現したのがこの映画なのだ。
 主役のエイミー・アダムスの知的な美しさは言語学者の役にまさにうってつけ。
物語の構成も見事だが、音楽、映像、共に圧巻の一言に尽きる。
 そして映画の最後に延々と出てくるクレジット・ロールの長さも大変なものだ。
上映時間1時間56分の映画で、クレジット・ロールだけ延々と6分近く続く。 
 映画に限らず、芝居やオペラ等の舞台の出演者を膨大な裏方が支えているのが現実なのだが、それにしてもこの映画作りに参加したメンバーの多さには驚かされるのみ。 
 とりわけ最後に
出てくる VFX (コンピュータグラフィクスによる特殊映像効果 ) を担当したグループは何と16チーム、総勢200人余りに及び、その大半がフランス系のスタッフ名がクレジットされていたのには感嘆させられた。
 映画は大半がカナダのケベック州で撮影され、編集されたのだが、総人口1000万人足らずのカナダのケベック州 ( 州都のモンレアルの人口は180万人 ) にこれ程の映画作りの人材が揃っているという事実には驚かされた。


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