ある恋の物語 
( A Story of Love )

レイ・ブラッドベリ 「 とうに夜半を過ぎて 」 -小笠原豊樹 訳 より


 
  レイ・ブラッドベリ ( Ray Bradbury  : 1920-2012 ) はアメリカの小説家(SF作家、幻想文学作家、怪奇小説作家、詩人) と紹介される。

 確かに20代半ばから、90歳を過ぎるまでに書いた膨大な長編、短編集等の代表作の 「火星年代記」、「太陽の黄金の林檎」、「華氏451度」、等の表題からはSFのような印象を受けるが、内容はと言えば、火星年代記の冒頭の短編に出てくる火星人にしても、アメリカのどこの家庭にでも出てくる一組の夫婦を書いたのと変わらない。 
 アイザック・アシーモフやアーサー C クラーク、ロバート・ハインライン等の純然たるSF作品とは全く趣が異なる。
 詩人とも呼ばれることもあり、作品の全てが詩的な感興に充ちた文章で綴られるが、しかし決して一般的でない雅語を使っているわけではない。
 小学生でも読めるような平明な言葉を使って詩的なイメージを繰り広げられるファンタジー溢れる世界こそはブラッドベリの真骨頂と言える。
 そういう文章を書く作家であれば小笠原豊樹のような詩人の翻訳者によって、本来の文章のすばらしさを堪能することができる。
 
 数あるブラッドベリの名作の中でも、「とうに夜半を過ぎて」 に収められた一遍、「ある恋の物語は」 忘れがたい作品だ ;
 
   グリーンタウンの夏季学校に赴任して来た週、アン・テイラーは二十四歳の誕生日を迎えた。
その夏、ボブ・スポールディングはまだ十四歳だった。
 みんながアン・テイラーの顔をすぐに憶えた。 
なぜならこの女性は、生徒たちがとかく大きなオレンジやピンクの花をプレゼントしたり、頼まれなくても緑と黄の世界地図を巻くのを手伝ったり
したくなるような先生だった。

 古い町の樫と楡のトンネルが緑色の陰をつくる季節に、明るい影を伴って颯爽とトンネルをくぐりぬけ、町中の人々の注目を浴びる女性と言ったら
いいだろうか。 この女性は冬の雪の中に置かれた夏の桃であり、六月上旬の蒸し暑い朝、オートミールにかける冷たいミルクだった。 
正反対なものが必要なとき、いつでもアン・テイラーはそこにいた。そして世にも稀なことだが、強くも弱くもない風に吹かれる一枚の葉のように、
すばらしい釣り合いのとれた天候に恵まれるとき、それは言うならば 「 アン・テイラーの日 」 であり、暦にもそう書き込まれるべきであった。
 
 
 That was the week, Ann Taylor came to teach summer school at Green Town Central.
It was the summer of her twenty-fourth birthday, and it was the summer when Bob Spaulding was just fourteen.
 Everyone remembered Ann Taylor, for she was that teacher for whom
all the children wanted to bring huge
oranges or pink flowers, and for whom they rolled up the rustling green and yellow maps of the world without
being asked.

 She was that woman who always seemed to be passing by on days when the shade was green under the tunnels
of oaks and elms in the old town, her face shifting with the bright shadows as she walked, until it was all things to
all people.
 She was the fine peaches of summer in the snow of winter, and she was cool milk for cereal on a hot early June morning.
Whenever you needed an opposit, Ann Taylor was there. And those rare few days in the world when the climate was
balanced as fine as a maple leaf between winds that blew just right, these were the days like Ann Taylor, and should have
been so named on the calendar.


   一方、ボブ・スポールディングは、例えば十月の夕まぐれ、万聖節のねずみの群れのような枯葉に追われて、一人ぼっちで街の通りを歩いてくる従弟
といった感じの少年だった。 あるいはフォクス・ヒル・クリークの春の奔流を悠々と泳ぐ鱒にも似て、秋には栗の木の褐色の照り返しを顔に浴びる少年と
言おう。 時として少年の声は風のたわむれる樹木の梢から聞こえてきた。 やがて木の幹を伝って下りてくるボブ・スポールディングは、一人で根方に腰
を下ろしてあたりの風景を眺め、そのあとの永い昼下がりは芝生に寝そべって、本に這い登る蟻を払いもせず読書に耽ったり,お祖母さんの家ポーチで
独りチェスに熱中したり、出窓のそばの黒いピアノでたどたどしく唄のふしを弾いてみたりした。 ほかの少年たちと遊ぶことは決してなかった。
  As for Bob Spaulding, he was the cousin who walked alone through town on any October evening with a pack of leaves
after him like a horde of Holloween mice, or you would see him, like a slow white fish in spring in the tart waters of the
Fox Hill Creek, backing brown with the shine of a chestnut to his face by autumn.
 Or you might hear his voice in those treetops where the wind entertained
: dropping down hand by hand , there would come
Bob Spaulding to sit alone and look at the world and late you might see him on the lawn with the ants crawling over his books
as he read through the long afternoons alone or played himself a game of chess on Grandmother's pouch or picked out a solitary
tune upon the black piano in the bay window. You never saw him with another child.


   初めての朝、アン・テイラー先生は教室の横手のドアから入って来て、丸みを帯びたきれいな字で黒板に自分の名前を書いた。
生徒たちはそれぞれの席で身動きもせずにそれを見守った。
 「私の名前はアン・テイラー」 と先生は静かに言った。 「今度あなた方を受け持つことになりました」 
まるで屋根がするすると開いたかのように、教室中がにわかに明るい光に照らし出された。 樹木の中では小鳥たちが囀り始めた。
 That first morning, Miss Ann Taylor entered through the side door of the schoolroom and all the children sat
still in their seats as they saw her write her name on the board in a nice round letter " My name is Ann Taylor"
she said, quietly, " And I'm your new teacher"
 The room seemed suddenly flooded with illumination, as if the roof had moved back ; and the trees were full
of singing birds.


  その日の放課後、ボブはバケツに水を汲んできて、雑巾で黒板を拭き始めた。
「あら、どうして」 書き取りの答案を採点をしていた先生がデスクから顔を挙上げた。
「黒板がちょっと汚れてますから」と、ボブは拭きつづけながら言った。
「そうね。 それで自発的に拭こうと思ったわけ ?」
「先生に許可を求めなきゃいけなかったんですか」 ボブは不安そうに手を休めた。」
「それじゃ、もう許可は求めたことにしましょう」 と先生は微笑して答えた。 その微笑を見るや否や、
少年は猛烈な勢いで黒板を拭き終え、狂ったように黒板消しをたたいたので、チョークの粉は雪のように
窓の外へ流れていった。
「ええと」 とテイラー先生は言った。 「あなたはボブ・スポールディングね」
  That day, after class, he brought in a backet of water and a rag and began to wash the boards.
" What is this ? " She turned to him from her desk, where she had been correcting spelling papers.
" The boards are kind of dirty , " said Bob at work.
" Yes I know. Are you sure you want to clearn them ? "
" I suppose I should have asked permission, he said, halting uneasily. "

" I think we can pretend you did " she replied , smiling and at this smile he finished the boards in an amazing burst
of speed and
ponded the erasers so furiously that the air was full of snow, it seemed outside the open window.
" Let's see, said Miss Taylor. " You're Bob Spaulding, arn't you ? "


   翌朝、先生が学校行こうとして下宿を出ると、ボブがそこに立っていた。
「待っていたんです」 と少年は言った。
「あら、そう」 と先生は言った。 「ちっともびっくりしなかったわ」
 二人は一緒に歩きだした。
「先生の本を持たせてください」 と少年が頼んだ。
「そう、ありがとう、ボブ」  ・・・・

 二、三歩きつづけたが、少年は押し黙っていた。 先生はちらりとボブを見て、その仕合せそうな、
くつろいだ様子に気ずくと、少年に沈黙を破らせようと思ったが、ボブは依然として黙っていた。
学校の手前まで来て、少年は先生に本を返した。 「ここで別れた方がいいですね」とボブは言った。
「みんなには分らないだろうから」 「ボブ、 先生にもよく分からないけど」 とテイラー先生が言った。
   The next morning he happened by the place where she took board and room just
as she was coming out to walk to school.
" Well, here I am, " he said. " And do you know, " she said " I'm not surprised. "
 They walked together
"May I carry your books ? " he asked.
" Why, thank you, Bob " ・・・・

 They walked together
for a few minutes and he did not say a word.
She glanced over and slightly down at him and saw her at ease he was and how happy
he seemed, and she decided to let him break the silence, but he never did.
When they reached the edge of the school ground, he gave the books back to her,
" I guess I better you leave here, " he said " The other kids would'nt understand. "
" I'm not sure, I do, either , Bob " said Miss Taylor.

 こうして、二人の交流が始まり、放課後に黒板を拭いてから、一緒に帰る道すがら、ボブはテイラー先生に週末ミシガン湖岸でのピクニックに誘う。 手製のハムとピックルズのサンドイッチとオレンジ・ジュースを用意して、湖岸でざりがにや蝶を採集しながら3時間ばかり散歩をするという。 楽しそうなピクニックに先生は即座に返答することをためらう。
 そして、次第に授業中にボブを指名することをためらうようになる。
  ある土曜日の午前、少年はズボンを膝までまくり上げて川の中に立ち、岩の下のザリガニをつかまえようと体を屈めていたが、
ふと顔を上げると 、流れの岸辺にアン・テイラー先生が立っていた。
 「待っていたのよ」と先生は笑いながら言った。
「そうですか」 と少年は言った。 「ちっともびっくりしませんでした」 「ざりがにや蝶々を見せてちょうだい」 と先生は言った。
 二人は湖まで歩き、砂の上に腰を下ろした。 暖かい風が静かに吹いて,先生の髪を乱し、ブラウスに皺をつくった。
ボブは何ヤードか離れて先生のうしろに座り、ふたりはハムとピックルズのサンドイッチを食べて、大まじめな顔でオレンジジュースを飲んだ。
 「ああ、いい気分」と少年は言った。「こんないい気分になったのは生まれて初めてです」
 「こんなピクニックにくるなんて、夢にも思わなかったわ」と先生は言った。・・・・・

 「これはほんとはいけないことなんですね」と、帰る頃になって少年が言った。・・・・・
 「今日来たことも、なぜ来たのか、自分でよく分からないわ」 と先生は言った。
 And then on Saturday morning he was standing in the middle of the creek with his overalls rolled up his knees,
kneeling down to catch a crayfish under a rock, when he looked up and there on the edge of the running stream
wasMiss Ann Taylor
"Well, here I am, " she said, laughing, " And do you know, " he said " I'm not surprised. "
" Show me the crayfish and butterflies. " she said.
They walked down to the lake and sat on the sand with a warm wind blowing softly about them, fluttering her hair
and the ruffle of her blouse, and he sat a few yards back from her and they ate the ham-and-pickle sandwitches
and drink orange pop solemnly.
" Gee, this is swell, " he said " This is the sweetest time ever in my life. "

" I did not think , I would ever come on a picnic like this. " ・・・・・
 " This is all wrong. " he said, lator.
 ・・・・・  " I don't exactly understand how I came here at all. " she said


アン・テイラーとボブ・スポールディングとの交際のすべては以上のとおりであり、二、三匹のマダラモドキとディケンズの本一冊と一ダース程のざりがにと、4個のサンドイッチと、オレンジジュース二本のほかに特記すべきものはない。
 次の月曜日ボブは下宿の前で暫く待ったが、不思議なことにテイラー先生は出てこなかった。
あとで分かったのだが、先生はいつもより早く下宿を出て、とっくに学校についていたのである。
 月曜日の午後も、先生は頭痛がするといって早く帰り、最後の一時間は他の先生が教えに来た。
 ボブは帰りにテイラー先生の下宿の前を通ったが、先生の姿はどこにも見えなかった。ベルを鳴らして訊いてみるのは何だか気が引けた。

 火曜日の放課後、二人はいつものように静かな教室でそれぞれの仕事をした。
この時間が永遠に続くかのように、少年は嬉しそうに黒板を拭き、先生もディスクに向かって答案を採点し、この静けさと仕合せの中に永遠に浸っていられるような気分だったが、その時突然市役所の鐘が鳴った。 ・・・・
 ・・・・テイラー先生は驚いて時計を眺め、それからそっとペンを置いた。 
  「ボブ」 と先生は言った。 ・・・・
 少しの間先生はボブをじっと見つめ、少年は目をそらした。 
 「ボブ、これから私があなたにどんな話をするか、分かる ? 「はい」
「あなたの方から話し始めてくれるといいんだけど」 「ぼくたちのことでしょう」と、少し間をおいてから少年は言った。
 「ボブ、あなたは今いくつ ?」 「もうじき十四になります」 「じゃ今は十三歳ね」 少年はたじろいだ。 「そうです」
 「それで、わたしは今いくつか、ご存じ ?」 「ええ。 聞きました。 二十四でしょう」 「二十四よ」 「あと十年たてば,ぼくもだいたい二十四になります」 と少年は言った。 
「でも困ったことに、今は二十四ではないわ」 「ええ、でも、ときどき二十四歳の気分になります」
 「そうね、ときどき二十四歳のように振る舞うこともあるのね」

  こうした会話の後で、ボブが父親の転勤で十五マイル離れた隣町に引っ越すことが明らかになり、街を去る。
 その後ボブは一度もグリーンタウンを訪れることなく十六年が経ち、結婚して三十歳近いある春の日、夫婦でシカゴまでドライブの途中、一日だけグリーンタウンを訪れたボブは妻をホテルに残して街を歩き回り、アン・テイラー先生のことを尋ねたが、憶えている人にはなかなかぶつからず、ようやく一人が思い出した。
 「ああ、そうそう美人の先生ね、あなたが越してからまもなく亡くなりましたよ」 
 昼下がりの墓地へ行ってボブは先生の墓を見つけた。 
「アン・テイラー、千九百十年生、千九百三十六年没」と書かれていた。
 ボブは思った、二十六歳か。とすると、テイラー先生、今の僕はあなたより三つ年上ですよ。
 その日の午後、町の人たちは、ボブ・スポールディングの妻が夫を探して,樫と楡のトンネルをゆるゆる歩いてゆくのを目にとめ、みんな仕事の手を休めて、明るい影を伴い颯爽とトンネルをくぐりぬけてゆくその姿を見守った。
 その女性は冬の中に置かれた夏の桃であり、蒸し暑い初夏の朝、オートミールにかける冷たいミルクだった。 
そして世にも稀なことだが、その日こそは、強くも弱くもない風に吹かれる一枚の楓の葉のように、素晴らしい釣り合いのとれた天候に恵まれた日であり、いうならば 「ロバート・スポールディング夫人の日」 と呼ばれるべきであろうということで、みんなの意見は一致したのだった。
 Lator in the day the people in the town saw Bob Spaulding's wife strolling to meet him under the elm trees and oak trees, and they all turned to watch her pass, for her face shifted with bright shadows as she walked, she was the fine peaches of summer in the snow of winter, and she was cool milk for cereal on a hot early-summer morning.
 And this was one of those rare few days in time when the climate was balanced like a maple leaf between winds that blow, just right, one of those days that should have been named , everyone agreed , after Robert Spaulding's wife.


  名前も容貌も年齢もわからないボブ・スポールディング夫人とはいったい誰なのか ? と野暮なことは言うまい !!!

・・・・・     そう、ブラッドベリは転生譚を書いたのです。


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