カザルスのバッハ演奏
( J.S. Bach Cello Suites No. 1-6 by Pau Casals 1876 - 1973)
1936 ー 1939年SP録音 Opus 蔵による復刻版 CD OPK-2041/2 |
1936 - 1939年SP録音 Membran 版 |
RCAビクターの ”ビクトローラ・クレデンザ” |
幼くして音楽の才能を現し、12歳でバルセロナの音楽院に入学し、チェロを学び始めて2年目のカザルスが、下町のカフェでのチェロ演奏が評判になっていた頃、古本楽譜を扱う楽器店でバッハのチェロ組曲集の楽譜を発見したのは1890年、カザルスが14歳の時だった。
その後スペイン王室の庇護の下、マドリッドにて学び、パリや欧州各地での演奏活動の後再びバル セロナに戻り、音楽学校にてチェロを教えるようになったカザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲の公開演奏を行ったのは1904年のことだった。
ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ (1685 - 1750) が6曲からなる無伴奏チェロ組曲を作曲したのはケーテン宮廷時代 (1717~1723) 年と考えられるが、恐らくこの曲集が公開の場で演奏されたことはなく、つまらない練習曲集としてすっかり忘れ去られていた。
チェロ組曲集のみならず、バッハ自身が死後すっかり忘れ去られ、1829 年にメンデルスゾーンの指揮によるベルリンでのマタイ受難曲の演奏にて、ようやく世の中に再び認められるようになったほどであった。
この演奏にしても、詩人のハイネが ”恐ろしく退屈” と評し、哲学者のヘーゲルも ”物珍しいだけ” と受け取るなど、当時の人々の全てがバッハの音楽を正しく評価できたわけではなかったことがうかがい知れる。
美しい旋律が随所に散りばめられているマタイ受難曲でさえ評価されなかった時代に、技巧の限りを織り込んだチェロ組曲が、退屈な練習曲集としか受け取られなかったのはやむを得ないことかも知れません。
ともあれ、作曲後実に200年近い空白の後に、カザルスの公開全曲演奏によってようやく、バッハの無伴奏チェロ組曲が世に知られることになった。
現在では、古今東西の名手によるチェロだけではなく、ヴィオラ、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ等の古楽器、種々のサクソフォーン、フルート、レコーダー、等々様々な楽器による演奏のCDがざっと探しただけでも200以 上があるという大盛況になっている。
これらの中で、カザルスの演奏はバッハを現代によみがえらせた名演として最も人気があるものだ。
ただし、残された全曲演奏のレコードは全て、SP盤からの復刻版なので、盛大なスクラッチノイズが入っているか、あるいはそれを除くために、演奏の本質が失われてしまうような過剰なフィルター処理を施したもの等々あるのが現実だ。
驚異の復刻版 : オーパス蔵
しかし、数ある復刻版の中で、冒頭の ” オーパス蔵 ” 盤は、SP復刻愛好家の手になる盤であり、日本ビクター盤、英HMV盤、米VICTOR(RCA) 盤等を聴き比べて、音質が優れて、雑音が少ないものを厳選し、大変な時間と手間をかけてCDに再現したものだ。
SP盤の収録時間は片面が3分程度に過ぎず、無伴奏チェロ組曲全曲の収録には、何とそれぞれ40面、20枚の3種のSPレコードを聴き比べるという大変な時間と手間とがかかる作業となる。
この曲に限らず、レコード黎明期の20世紀初頭から残されている数々のSP盤の名演奏が、復刻版としてCDにて再現され、現代の最新技術の録音と比べて、さほど遜色のない音質で音楽を楽しめるようになっているのだが、敢えてここに紹介するのは、オーパス蔵盤の音質が余りにも素晴らしいからに他ならない。
SP盤故、モノーラル録音だが、最新のデジタル録音盤と比較しても、あたかもチェロが眼前で鳴っているような生々しさに圧倒される。
SP盤にこれ程の音が収録されていたのかと、感嘆せずにいられない。
同じ音源でヨーロッパで復刻されたCDもあり、最新技術で復刻されたものなので、これも十分に音楽を楽しめる水準だが、オーパス版にはやはり驚かされた。
ただし、現代のチェロ奏者の観点では、カザルスの演奏スタイルには必ずしも賛成できないのだそうだ。
余りにもバッハの音楽の本質とは異なる、ロマン派の音楽のような独自の解釈に違和感を覚えるとのこと。
確かに、独特の ”カザルス節” に溢れた演奏ではありますが、音楽の専門家でない一音楽愛好家としては
斬新な現代的な演奏と聴き比べて、100年余りの演奏スタイルの変化を楽しむのも一興かと思うのみ。
SPレコードについて
SPレコードとは ”Standard Playing Record” のことで、19世紀末の1889年頃に商品化されたもの。
最初に蓄音機と呼ばれた、音を記録する装置を発明したのは、かのトーマス・エジソンが1877に発表したフォノグラフと呼ばれる方式で、円筒の外周に音を記録し、再生する方式だった。
忽ちの内に消えてしまう音を記録し、再現が可能という発明は正に人類史上に残る偉大な技術革新ではありましたが、それを円筒に記録し、再生するというエジソンの方法は大量生産が困難で、その10年後にエミール・ベルリナーが発明した、大量生産が可能な円盤方式のグラモフォンにより駆逐されてしまった。
そのグラモフォン方式も、当初は、大きな集音器を介して音を直接円盤に刻むアクースティック方式だったが,1925年にマイクロフォンを通してアンプで増幅した音を円盤に記録する電気録音方式への発展により、圧倒的に音質が改善されるようになった。
とはいえ、シェラックという、カイガラムシの分泌する体液を集めて乾燥した有機質の材料から作られる重くて分厚いレコードに120gの針圧をかけて、鉄、竹、セラミック等の針で再生するSPレコード方式では、レコード盤は忽ちのうちに傷つき、再生に伴い耳障りな雑音が盛大に発生し、しかもSPレコードそのものが、音域が狭く洞穴の彼方から、かすかに雑音に埋もれた音が聞こえてくるという代物でありました。
戦前の日本では蓄音機を購入できるのは限られた富裕層に過ぎず、その蓄音機にしても、前述のように、洞穴の彼方から盛大な雑音に埋もれた音楽を何とか楽しめるというのが一般的ではありましたが、実は、冒頭の写真の、ウェスターン・エレクトリック社の設計になる、米RCAビクターが発売した”ビクトローラ・クレデンザ”という蓄音機は、内部に長さが 2.7m もある巨大なホーンが組み込まれ、その再生音は、現代の家庭用ステレオ再生装置に匹敵すると言われた。
このクレデンザは、戦前は一軒の家が買えるほどの高価なものであったとのこと、実は実物を見たことはなく、かつてクレデンザによる演奏をラジオ放送を通して聴いたのみだが、確かにSPレコードの再生とは信じられないような、ふくよかな音には驚かされたものだ。
日本には、音響メーカーのオーディオ・テクニカ社や、民音音楽博物館等に何台かあり、実物を聴くことができるらしい。
*** 多くの文献やCDにて 一般に、パブロ・カザルス : Pablo Casals と記載されているが、これはスペイン内戦時代に、反フランコ闘争の中心となったカタルーニアが、敗戦後にフランコ政権による徹底的な報復の下、経済、言語、歴史等への干渉と弾圧を受け、姓名までスペイン語(カステーリャ語)の綴りと読みへの改名を強制された名残なので、現在では本来のカタルーニア語の綴りと読みの、Pau Casals : パウ・カザルス とするのが正しい。