ベルトラン・シャマユのシューベルト演奏
Recording Salle Colonne, Paris 5-7, 18, 21-22 November 2013 |
ベルトラン・シャマユ (1981 ~) というピアニストを聴くのは初めてだったが、冒頭の ”水の上にて歌う” の出だしの余りにも鮮烈で透明な音の響きですっかり魅了されてしまった。
これは本来は歌曲で、エリザベート・シュワルツコップがエドウィン・フィッシャーの伴奏で歌っているレコードは持っているが、この曲をリストがピアノ独奏に編曲したものだ。
最初からピアノ独奏に作曲されたかと思われるほどのピアノの音の美しさが印象に残る編曲で、改めてリストの才能を見直したほど。 このリストの編曲版の演奏を殆ど見かけないのは何故だろう ?
続く ”さすらい人幻想曲” は多くの録音があるシューベルトの代表的なピアノ曲だが、得てして冒頭のアレグロ・コン・フオコが軍隊行進曲の様なズシン・ズシンと重苦しい響きになりがちだ。
が、シャマユの軽やかなタッチでは、軽快に駆け抜けてゆき、続くアダージオ、プレスト、アレグロ楽章の天国的な美しさとの素晴らしくバランスのとれた演奏が展開される。
他のシューベルトのオリジナルのピアノ曲、さらにリストやリヒャルト・シュトラウス編曲のピアノ曲、いずれもシューベルト特有の抒情性溢れる旋律が瑞々しい響きと心地よいリズム感とで演奏され、すっかり魅了された。
シューベルトの音楽性が余すところなく楽しめた。
このCDを聴いたのはルフトハンザ航空の成田ーフランクフルト便だったが、最新のエンターテインメント・プログラムの充実度は大したもの。 映画は世界中の言語で数百、音楽に至っては数千時間分のあらゆるジャンルから自由に選んで、しかも最上の音質で楽しめる。
ただし、備え付けのヘッドフォンの究極の粗末な音質には驚かされた。
ルフトハンザの購入担当者もクルーも含めて、誰一人として、サンプルはともかく、量産品として納入されたヘッドフォンを試してないだろう。
何しろ音楽どころか、機内のアナウンスすらまともに聞いていられないほどのヤクザな代物なのだ。
中国の納入業者が、さんざん値引きを要求された腹いせに、これ以上は出来ないというくらい材料費をケチったに違いない。
ルフトハンザには自前のヘッドフォン持参で乗ることをお勧めする。
クラシック音楽だけでも数百の選択があり、12時間余りのフライトで10数曲選んだ中に、このCDが入っていた。 あんまり気に入ったので、帰りのフライトでも2度聴いて、帰ってから早速購入したほど。
シャマユは自ら6ページに及ぶ読み応えのある長文のライナーノートを書いている。
これは卓越したシューベルト論になっていて、なるほど、ここまで背景を深く理解したうえでの選曲であり、構成を考えての録音であったのかと目から鱗の思いだ。
それによると、このレコードは、ロマンティシスムの黄昏時に、真心と親密さのこもったサロンで催された、言わば ”空想の音楽会” として、構成されたもの。
というのもシューベルト(1797 - 1828) の存命時には後のリストや120年後のシュトラウスの編曲版は存在しなかったからだ。
晩年のシューベルトが親しい友人や賛同者を招いて開催されたであろう(実際には、最後の5年間には開かれなかったのだが)サロンでのコンサートを空想してのプログラムという志向だが、無数にあるシューベルトのピアノ曲から選ばれたこのCDは演奏だけではなく、選曲と構成も唯物ではない。
デビュー後十数年で録音されたレコードはリスト、メンデルスゾーン、フランク等々、数枚に過ぎず、ベルトラン・シャマユは極めて寡作のピアニストだが、それぞれのCDの録音にはじっくりと時間をかけて入念な準備を重ねていることが、内容と演奏から伺える。
何時の日か長大なソナタも含むシューベルトのピアノ曲集が出てくるのではないかと大いに期待を抱かせるピアニストが出現したのだ。