ハンブルク : エルプ交響楽団ホール
ELB Philharmonie Concert Hall, Hamburg


 
ハンブルク、エルベ川辺の旧倉庫  2016年末、新装されたELBシンフォニーホール 
   
舞台を囲むように配置された観客席  音楽と同期して建物の壁に投影される光のイメージ


 
地階から80mのエスカレーターで上がった階の、一般に開放された交流広場

   1966年にハンブルクのエルベ川辺に建設された巨大な倉庫はその後の物流の主流がコンテナーに変わり無用の長物となってしまったため、2000年代初頭に改装計画が検討され始めた。
 当初はオフィスビルの予定だったが、市民のための施設にしようと、倉庫内に音楽ホールをするとの構想が検討され始めた。
 この案は検討を重ねるたびに、次第に市の象徴となるような壮麗なホールとして、旧北ドイツ放送交響楽団の新たな根拠地にしようという構想に膨れ上がった。
 2005年、最終的に大小の二つのコンサートホールと、ホテルと55戸のマンションと、市民の交流広場を含む,鶏冠のような屋根を抱く斬新なデザインにて、建設予算が7700万ユーロ (1ユーロ120円換算で92億円)で、2010年完成を目指す案がまとまった。
 建物の設計は北京オリンピックの鳥の巣のような体育館、青山のプラダのブティックを始め、世界各国で美術館やコンサートホールを手がけたスイス・バーゼルの Herzog & de Meuron 設計事務所が担当し、建築工事は1873年にフランクフルトで創設され、ロンドンのテート美術館等を手がけた世界的なゼネコンの Hoch Tief が請け負うことになった
 コンサート・ホールの音響設計は、サントリーホール、札幌 Kitaraホール、福島、岡山、北九州、福山、京都、長岡、パリ、ロサンゼルスのディズニー・コンサートホール等、世界各地で斬新な音楽ホールのデザインを手がけたと豊田泰久が担当、と錚々たる国際色豊かな、言わば最強のメンバーによるチーム構成で発足した。
 設計の詳細が固まるに伴い、当初の予算では到底足らず、建設費は当初の3倍の2億4000万ユーロへと膨れ上がった。 
 2007年に建設が始まり、旧倉庫の煉瓦の外壁を残して内部を補強し、高さ110mのホールを上に伸ばすという構想で工事が立ち上がったが、着工後直ちに川辺に立つ倉庫の地盤が弱く、追加の地盤強化工事が必要となった。
 こうした建築工事の途上、具体的な細部のデザインや構想の詳細な検討や無数の変更が追加された ;

 建物の周囲を覆う1100枚余りのガラス窓

  1100枚の巨大なガラス窓はドイツとイタリアの工場にて複雑な4層構造と曲面処理がなされ、最後に風速300㎞での耐久テストが行われた

 単なる四角のガラス窓では面白くないと、全ての大きさと形状とが異なる、曲面をつけた4層からなるガラスは、ドイツの国内5か所の工場を計7回行き来して500余のパターンによる模様のコーティング処理が施され、最後にイタリア・パドヴァのガラス工場の特注の炉にて独特のR(曲面)加工が施された。
 同じガラスは二つとなく、価格は1枚が5万ユーロ ( 600万円 ) に達した。 窓だけで当初建設予算の87%となった程。

 大コンサートホール 

   
中心の大ホールは周囲から遮断されたフロート構造   柔らかく自然な光で満たされる大ホール

 コンサートホールは、舞台を囲んで周囲に立体的に観客席が設けられ、ホール自体が建物本体から二重構造の浮き床で隔離され、騒音が他の場所に伝わらず、さらにハンブルク港の船の汽笛等、外部からの音が演奏会場に侵入しないようにと、厳重な遮音構造が施された。
 2秒という長い残響時間を達成し、観客席の何処へ鮮明に音が伝わるように、ホールの形状、材質に度重なる検討が行われ、複雑な構造となったため、ホールの工事期間は当初予定の半年から4年半と、大幅に遅れ、建設予算は果てしなく増大した。

 ホールの照明
 自然な光の柔らかな照明を実現するために、エルベ川上流のボヘミア地方山中の家族経営のガラス工房のみが製造できる、上部と底の厚みを普通とは逆の構造のガラス球が数千個発注された。
 彼らの熟練した技をもってしても、その特殊なガラス球は2個に一つしか完成できないという代物。
 このガラス球を使用した照明により、演奏会場は柔らかで暖かい自然な光で満たされる。

   
 周囲を観客席に囲まれて演奏するエルプシンフォニー   音響効果と照明効果にも万全の計画と施工が成された
   
   
柔らかで自然な照明  一般とは逆の、底が薄く上部が厚い特注のガラス球


 ホールの天井と壁の材質と構造

   
 最大で80㎏にもなる石膏板は一つ一つがドリルで 波紋加工がおこなわれ、天井と壁とに貼られた

 ホールの音響効果にもっとも影響を及ぼす天井と壁の材料は、バイエルン産の石膏に古紙を混ぜ、適度な硬さと反響特性を持つ1万毎余りの石膏板にさらに1枚づつドリルで加工し、皮膚のような凹凸加工が施された。
 ホール全体に貼られた石膏の反射板は全長15㎞に及ぶ継ぎ目の全てがシリコン樹脂で充填された。

 観客席の音響テスト

        2100の観客席は何処に座っても同じ音響特性が得られるようにホールの十分の一模型を作って入念なテストが行われた。
 さらにイタリア、リミニの音響研究所にて40人の観客を入れた空間に、ホールに使用する椅子とともに3日間の測定を行い、椅子のカバー、クッションと接着剤を入念に検討した。
 これらの結果、観客のいないリハーサル時と、満席時とでホールの音響効果に差が出ないことが確認された。
  実際のホールの十分の一模型と音響を手掛けた豊田泰久  

 鶏冠の形の屋根

 
重量8000トンのガラスの屋根  工事の最大の難関となった鶏冠の形の屋根


     
施工が余りにも危険と、1年以上も工事が中断された鶏冠屋根の工事  

 遠目からでも目立つ鶏冠の形をした屋根は、ガラスの板で覆われ、総重量が8000トンにもなる。
これを支える鉄骨は複雑な構造をしているため、組み立てが困難を極めた。
 さらにガラスの屋根の施工は危険性の余り、建設会社が工事の続行を放棄し、1年余り工事が停止され、建物内部に雨漏り水が侵入する事態となった。
 期限不履行で市と建設会社との間で裁判沙汰へと発展し、画期的なデザインの音楽ホールに当初は大喝采を贈った市民の一部からは建設中止を訴える激しいデモが頻発する等々、このプロジェクトはスキャンダルにまみれる泥沼の様相を示し始めた。
 2011年から新たに就任したショルツ市長 (2021年からはドイツ首相)は2億ユーロを追加の建設費用として支払うことで建設会社と合意を取り付けた。
 最終的に工費の合計は7億8900万ユーロ(950億円)に達し、建設費を賄うために市立病院の複数を売却する羽目になった。
  建築構想の初めからハンブルク市が指揮を執ったものの、前代未聞の複雑な構造とデザインの建物の設計と建設の施行とを取り仕切るには手に余り、設計事務所と建築事務所との連携が取れず、その上、内外から余りにも多くのデザイン変更等の意見が持ち上がり、度重なる設計変更のためにさらに施工が遅れ、建設費が途方もなく膨れ上がった。
 まさに ” 船頭多くして船、山に登る ” を地で行く結果となってしまった。
 全てに整然と理詰めで検討し、実行するドイツ人たちのやり方からはほど遠い出来事ではあったが、ともあれ当初予算の10倍の費用と10年の年月の紆余曲折を経て、2016年末に漸くホールが完成した。

2017年1月11-12日の演奏会

 
       
 首席指揮者 トーマス・ヘンゲルブロック カウンターテノールのフィリップ・ジャルースキー   中世とルネサンス音楽のテレプシコーレ合奏団  

 
竣工の翌月、明けて2017年の1月11日と12日の二日間、めでたくこのホールを拠点とするエルプシンフォニー・オーケストラ(旧北ドイツ放送交響楽団)がトーマス・ヘンゲルブロックの指揮に、内外の演奏家を迎えてのこけら落としの演奏会が開催された。
 このホールの建設時のエピソードのドキュメンタリーと演奏会の模様とは2017年の2月にNHKーBS放送の深夜放送で3時間余りにわたって放送された(放送では演奏の一部が割愛された)。
 古代ギリシアの ”パンの笛” のオーボエの独奏に始まり、テレプシコーレ合奏団によるルネサンスの音楽、当代髄一のカウンターテノール、フィリップ・ジャルースキーの ”アマリリ麗し” 等、さらにワグナーから、メシアン、現代に至る、あたかも西洋音楽歴史を俯瞰するようなプログラムが組まれた。
 独奏のオーボエの冴え冴えとした響き、ルネサンス曲の繊細なリュートの音色、カウンターテノールの水晶のように煌めく声、ワグナーの荘重な響き、普段は見ることも聴く機会も少ない、メシアンのトゥランガリラ交響曲に使われる珍しい楽器の音色、そして数々の現代音楽の鋭く、エネルギーに満ちた音色と、まさに新ホールの音響の特性が試される選曲でもありましたが、いずれも、まるでその場で聴いているような臨場感が伝わってくることが確認できました。
 音響効果を手がけた豊田泰久からすると、このホールの真価が問われるのは、少なくとも半年後、様々な演奏会が終わってからとのこと、と謙遜してはいますが、しかしこけら落としの二日間にてホールが世界のトップクラスの音楽ホールと肩を並水準であると、十分に証明されたと言って良いでしょう。
 
 コンピュータグラフィクスによる光のショー

 音楽に加えて、建物の壁に音楽と連動してコンピュータ・グラフィックによる光のショーが展開され、演奏会に出かけずして、ホールの周囲に万華鏡のような光のショーが楽しめる演出が行われる。
 会場内では外の光のショーを見られないが、放送では音楽とともに、刻々と変化する光のショーの映像も併せて楽しめた。 
 
     
     
     
  これらの写真は、ホールでの演奏会の間、音楽に連動してホールの外壁に投射される光のショーのほんの一部。
エルベ川の水面に光の反映が写り、めくるめく美しい光の競演を楽しめる。

こけら落としの2日間の全曲と、建設を巡る経緯のドキュメンタリーはコンピュータグラフィクスの映像も含めて、ブルーレイとDVDとで発売されました。
 
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