グエル別荘 :フィンカ・グエル (Finca Güell:1884-1887)
ガウディ (1852 - 1926)
が残した主要な建築18のうち14がバルセロナにある。
とりわけ、聖家族教会、グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョと郊外のコロニア・グエルとが名高く、忙しいパッケージ・ツアーではこの5個所を半日程度で疾風のように駆け抜けるのが一般的になっている。
日本から行くスペイン・ポルトガル8日間などというパッケージ・ツアーではバルセロナに一日もかけられないので止むを得ないが、これは京都を半日で見るようなもので、全くもって勿体ない。
フィンカ・グエルはバルセロナを北東から南西に斜めに走るディアゴナル大通りのほぼ南端に近いペドラルベス通りに面して建てられた、ガウディの最大の支援者であった実業家グエルの依頼で手掛けた別荘の名残だ。
この一帯は下町から車で30分ほどの、現在でこそバルセロナ大学を中心に周囲にオフィスやショッピングセンター、高級住宅地が広がる賑やかな市街地として発展しているが、かつては見渡す限りの農園で、グエルのような富裕層が週末に過ごす別荘地として開発された土地だった。
下の平面図右側の最も大きく立派な建物も実は厩舎として建てられたもの。
だが、このフィンカ・グエルを最も強く印象付けるのは、何と言っても8m余りの巨大な竜の鉄細工だ。
この竜が一体何なのか ?
実は1983年末にバルセロナに赴任した時、朝に夕に、竜の門を見ながら会社に通っていたのだった。
1年後に近くのアパートに引っ越してからは、ダイニング・ルームの窓越しに、遠くに竜の門を眺めることが出来たのだ。
毎日眺めていたにも拘わらず、この竜が何を意味するのか見当がつかなかった。
鹿島研究出版会の
"ガウディ”にも何の説明もなく、周囲のカタルニア人に尋ねても,誰も答えられなかった。
僕の秘書に至っては、ビセンス邸のすぐ近くに20年余りも住んでいるのに、それがガウディの建てたものとはついぞ知らなかったほど。
たった30年前の事なのに、有名なサグラダ・ファミリアやグエル公園等一部の建築を除いては、ガウディの建築は現地でも遍く知られているというわけではなかった。
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フィンカ・グエル外観 |
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フィンカ・グエル平面展開図 |
ヘスペリデスの園の黄金の林檎(オレンジ)を守る竜
迂闊な話だが、この竜がギリシア神話のヘラクレスの11番目の難行の、黄金の林檎の園を守る竜であったと知ったのは、最近のこと。30年来の疑問がようやく解けた。
ヘラクレスの11番目の難行 ;
ギリシア神話の英雄ヘラクレスは、大神ゼウスが姦計で人間の女との間に産ませた子供だ。
嫉妬深い正妻のヘーラーが、ヘラクレスを憎んで課した12の難行の中で、最も困難だった11番目の冒険とは : 西方の神で同時に宵の明星でもあるへスぺロスの3人の娘、ヘスペリデスたちが守っている "黄金の林檎"
を取ってくる、というものだった。
この林檎はヘーラーがゼウスと結婚した時に大地の女神から贈られたもので、ヘーラーはそれをへスぺロスの娘たちに預け、不眠番の竜ラドンに守らせていたというもの。
ヘラクレスはヘスペリデスの園を探し歩く放浪の旅の途上で、人間に火を与えた罪で捉えられ、カウカソス山で柱に繋がれ、連日鷲に肝臓を啄まれる拷問を受けていたタイタン族のプロメテウスを救ったが、お礼に同じタイタン族のアトラスを訪ねるように助言してもらった。
その狡猾な性格から、アフリカで天空を支える罰を受けていた同じタイタン族のアトラスに会ったヘラクレスは、身代わりに天空を支える代わりにヘスペリデスの園の金の林檎を取ってきてもらった。
様々なヴァリエーションがあるギリシア神話だが、大体はこんな経緯だ。
ヨーロッパ神話には "黄金の林檎"
が度々登場するが、本当は林檎ではなく、オレンジというのが正しいようだ。ギリシアにもオレンジはある筈で、何故オレンジが林檎になってしまったのか不思議だが、古代ギリシア人は日没の美しい空の光景から、西の果てに桃源郷があるに違いないと夢想し、神々の果物である黄金の林檎の実るヘスペリデスの園を、おいたのだと考えられる。
ガウディがヘスペリデスの園を念頭にフィンカ・グエルを構想し着手したことが、竜の門とその脇に聳えるオレンジのなる塔とから分かるのだ、とのこと。
スペインであれば黄金の林檎ではなく、オレンジとなるのは当然。
ガウディはグエル氏の郊外の別荘に桃源郷を象徴するヘスペリデスの園を実現したかったのだ。
残念ながら、グエル別邸は未完のままだ。竜の門とオレンジの実る柱と門番小屋と、馬小屋を仕上げたのみで終わってしまった。
この当時サグラダファミリア教会、カサ・ビセンス、アストルガの司教館、サンタンデルのビラ・カプリッチョと6つの建築が同時に進行中とあれば、到底手が回らなかったであろう。
今でこそフィンカ・グエルは整備されて、ガウディ建築委員会の事務所として使われているが、1984年当時は広大な庭に雑草が生い茂り、建物の内部には無数の蜘蛛の巣に覆われ、埃だらけで半ば放棄されていたものだ。
無人の門番小屋の扉の鍵も壊れていて自由に中に入ることができた。
信じられないことだが、今を時めくガウディも、たった30年前はその程度の扱いだった。
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門番小屋入口 |
厩舎の内部 |
厩舎外観 |
馬小屋のクーポラ屋根
正面の白い小屋は隣の民家 |
ガウディの鉄細工
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カサ・ビセンスの棕櫚の葉の扉と塀 |
カサ・ミラの鋳鉄細工の門の扉 |
グエル邸入口の扉 |
フィンカ・グエルの竜の門は、鋳鉄細工の空前の傑作として名高いが、その他にもガウディの建築には圧倒的な美しさと存在感を示す鉄細工が、建物の門,塀、テラスや窓の飾り等々、至る所に用いられ忘れがたい印象を与えている。
銅細工職人の子として生まれたガウディにとって、金属細工は年少の頃から馴染んだ素材としてお手の物だったには違いないが、それにしても、繊細さと大胆とを見せる多彩な鋳鉄細工には圧倒される。
おそらくは金属細工の天才としてだけでも名を遺したに違いない。
因みにフィンカ・グエルのオレンジの樹はアンチモニー細工だ。
Finca Millares(1900)
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海蛇が泳ぐ様を表す塀 |
フィンカ・ミラーレスの門 |
フィンカ・グエルの竜の門の正面から北へ抜けるマニュエル・ジロナ通りを200m程歩いたところにミラーレス氏の別荘となる筈だったが未完のままに終わった門と塀だけで残されている。
この当時もサグラダファミリア教会に加えて壮大なグエル公園、ベリャスガール、カサ・カルベと大きなプロジェクトが同時進行中であったためだろう。
門と塀だけの未完の作品であり、ガウディの作品の中では知る人ぞ知る遺作であるが、わが家からは歩いて3分もかからないので、散歩や買い物の途中で貝殻や海蛇を偲ばせるこれらの作品をつくづくと眺めたものだ。 背後のアパートは1980年代初期に建てられたもの。