繪本平家物語 安野光雅 | ||
橋合戦 |
平家物語は12世紀の平安時代に貴族による朝廷の支配から武士による鎌倉幕府の支配へと移り変わる時代を、平清盛(1118~1181)を中心とする一族が保元の乱(1156)と平治の乱(1160)等の政変に勝利して政治の実権を握ったが、壇ノ浦の戦い(1185)にて源氏に敗れ、滅亡していった平氏一族の物語だ。
短時日のうちに支配者にのし上がり、ひと時の栄華を極めたものの、たちまちのうちに滅びていった栄枯盛衰の有様は日本人の人生観に多大の影響を与えた。
平家物語が成立したのは鎌倉時代の1212年から1309年の間。
その成立には源平盛衰記等の 「読み本」 と、盲目の琵琶法師によって語られた平曲と呼ばれる 「語り物」 とが、おそらくは交互に影響しあって、今日に残る 「平家物語」 となったと考えられる。
平氏一族の栄枯盛衰の物語は日本人の心を深くとらえたに違いなく、古くから、能、幸若舞、人形浄瑠璃、古典歌舞伎、近代以降も、耳なし芳一や多数の現代語訳、さらに小学唱歌、戯曲、映画やTVドラマ等々にて飽くことなく語られる文芸作品となった。
今回取り上げたのは、画家の安野光雅が1989年1月から1995年12月まで、講談社の月刊PR 誌 「本」 に連載し、さらに新たに書き下ろした文章と共に1996年に出版されたものだ。
安野光雅は多数の歌の本、旅の本,等々にて鮮やかな技術と感性とで街や自然を描いているが、ここでは一変して日本の古典を見事な画面構成と、繊細な色合い、卓越したデッサン力を駆使して描き切っていて、間然するところがない。
連載した7年間に物語の79の場面を描いたが、この間画家として全力を上げて日本画の画法を研究して、想像力を駆使し、構成を練り上げてそれぞれの場面を描いたに違いない。
それらはもはや挿絵というよりは、見事な日本画の作品として鑑賞に堪え得るほどの出来栄えになっている。
にもかかわらず、全ての絵には紛れもなく、安野光雅の洒脱な画風が反映されている。
「繪本平家物語」は安野光雅の代表作として語り継がれるものだ。
ただし記された文章はあらすじであり、平家物語の神髄は、語りの文章に尽きるから、その面白さは、原文を読まねば、まさにお話にならない。
冒頭の挿絵は、この物語の中の 「橋合戦」 に古典の原文の一部を添付したもの。
平家物語の面白さは、何といっても文章の見事さに尽きる。
そしてまことにありがたいことだが、800年も昔の日本語を、原文で読んでも、聴いても充分に理解できる。
「橋合戦」 はその一例 ;
戦の模様の躍動する有様、武士たちのいでたちの詳細な描写、長々とした名前の連呼の調子の良さ、等々、盲目の琵琶法師たちの琵琶をかき鳴らしながらの語りを、日本の津々浦々の聴衆たちは、あたかも戦の有様を眼前に見るかのように聴いたことだろう。
ちなみに平家物語の平曲200曲、ならびに秘曲琵琶全曲の演奏を
出来たのは現代では仙台の館山甲午(1894 - 1989) だけだった。
半世紀余り昔のことだが、当時評判になった甲午のLPを入手して、
平家物語がどのように語られるのかを聴いたことがあり、今回懐かしく
思い出した次第。
氏の記録したレコードは、現在ではCDとして聴くことができる。
さらに、他の何人かの琵琶奏者による平曲の語りも、全段ではないが
CDで聴くことができる。
公立図書館の視聴覚資料として収蔵されているから、どんなものか
借りて聴いてみることも可能だ。
祇園精舎 | 紅葉 |
横笛 | 小督 |
二度之懸 | 内裏女房 |
俱利伽羅落 (くりからおとし) |
刑務所からの年賀状騒動
2011年 絵のある自伝 文芸春秋社 より |
安野光雅はその洒脱な画風からもうかがえる様に、たいそうユーモアに溢れた人だった。
毎年嗜好を凝らした年賀状を知人に送っていたが、戌年の1970年、いたずら心を起こして、刑務所の独房に収監されているかを装って年賀状を出した。
如何にも刑務所で手紙の検閲を受けたかの如く、所長、看守長、看守のハンコが押された神妙な文章付きの年賀状だったが、受け取った少なからぬ人たちが、独房に入っているのだと本気で信じたから結構大事になり、親しい人たちが騒動に巻き込まれることに相成ってしまった !!!!
独房に収監されるような事件を起こしたのであれば、新聞沙汰にもなり、有罪の判決以前に大騒ぎとなるはずだし、いくら戌年とは言え、刑務所長以下、看守たちの苗字がそろって”犬”というのも可笑しいし、刑務所の住所が猫町と、一見しておふざけの年賀状と分かりそうなものだが、世の中には生真面目な人たちで溢れているのですね !!!!