映画 : イグアナの夜
(The Night of The Iguana)


       
 Ava Gardner  Richard Burton  Deborah Kerr  Sue Lyon

 この映画はジョン・ヒューストンがテネシー・ウィリアムズの舞台劇を1964年にモノクロームで制作した映画だ。
 マルタの鷹、黄金、白鯨、許されざる者、アフリカの女王、天地創造、007・カジノロワイヤル、王になろうとした男、等々、様々なジャンルに及ぶジョン・ヒューストンが監督した映画の中で、これは最も心に残る作品だった。
 間違いなく、ジョン・ヒューストンの最高傑作であったと言えましょう。

 1964年であれば、映画の殆どがカラー化されていた時代に、敢えてモノクロームで撮影したのは、商業的な成功を無視しても、白黒の画面による濃密な雰囲気の映像作品に仕上げたいという意気込みが窺がえる。
 何しろテネシー・ウィリアムズ原作の舞台劇なのだから、ハリウッド好みの底の浅い人情劇とはわけが違う。
 DVDに付録の22分の特典映像(こちらはカラーだ)に映画製作の模様や舞台裏等々、詳しい情報がえられる。
 この特典映像を見るだけでもこのDVDを買う価値がある(アマゾンで880円 !!!)。
 本来の舞台劇ではメキシコの太平洋岸のみすぼらしいリゾートホテルで展開される一夜の出来事が物語の主題となっている。
 

シャノン元牧師 :リチャード・バートン
 
   


 元というのは、かつては牧師だったが若い女の信者と事件を起こして追放され、今はメキシコ聖所周りの観光バスガイドに落ちぶれているという役割だ。
 が、このツアーの一行にスー・リオン演じる奔放なシャーロットがいた。
深夜シャノンの部屋にシャーロットが忍び込んできたことが発覚して同行のヒステリー女教師に騒がれ、観光ガイドの職をも失い、ヤケバチになって、予定にはない、昔からの知り合いのホテルの主人、マキシンのホテルに旅の一行を連れて転げ込んだ。

ホテルの主人 マキシン : エヴァ・ガードナー

   


 夫を亡くして女ざかりの身を持て余している粗野で野生的なホテルの経営者。
どういう仲だったかは定かではないが、昔からの知り合いのシャノンに密かに心を寄せている。


放浪の画家 ハンナ : デボラ・カー、 ハンナの祖父 詩人のノンノ

       
 Nonno :Cyril Delevant

 シャノン一行が着いたホテルに老いた詩人の祖父と共に転げ込んだのがオールドミスのハンナ。
無一文で行く当てもなく、放浪の身で、ホテルにタダで泊まっては、詩人の祖父が自作の詩を朗読し、ハンナは客の肖像画を描くことで日々を送っている。
 脇役ではあるが、ハンナと共に放浪の旅を送る祖父の老詩人、ノンノも忘れ難い存在だ。
 到着した夜に、雷鳴のとどろく中、朦朧とした意識の中で20年来作りかけていた詩を完成して絶命するのだが、その絶唱の場面が感動的だ。


奔放な女子高生、シャーロット : スー・リオン
 
 シャーロットを演じるのは、1962年に公開された、ウラジミール・ナボコフ原作をスタンリー・キューブリックが監督した 映画で 中年男を翻弄する娘、”ロリータ”を演じて世界的にセンセーションを巻き起こしたスー・リオン。
 まさにロリータが成熟した女、といってもまだ高校生だが、からきし女の誘惑に抵抗できないシャノンに付きまとって、シャノンの人生を狂わせる役には格好の役柄。

イグアナ 

 
映画の題名のイグアナとは中南米の何処にでもいるトカゲのこと。体長60㎝余りになる緑色の恐ろし気な外見とは裏腹に、木の実や果物を主食とする至って臆病な性質だ。
 映画ではホテルの周囲の草むらに生息しているイグアナが捕獲され、食用にされる運命で身動きもせず繋がれている。
 争いや諍いの絶えない人間の運命とは対照的な存在として出てくるのだろうか ?

 人里離れた海辺のリゾート・ホテルにこうした曰くある人物が揃えば面白い展開になるのは必至。
出来栄えは、監督の腕と役者たちの演技にかかってくる。
 
 いわば、物語の進行の狂言回しの役に過ぎないシャーロットは若くて官能的なスー・リオンが地で演じればそれで済むから演技力を云々する必要はない。
 
 どんな役でもこなせるリチャード・バートンは、流石に3人の女たちに翻弄される役割を見事に演じていて申し分がない。
 マキシンのホテルに転がり込みながら、思いがけなく現れたハンナの魅力にころりと参ってあれこれ気配りをする一方で、シャーロットの誘惑に動揺し、最後はマキシンの誘いをあっさりと受け入れてしまう、主体性のない、が憎めない男をこれほど上手く演じられる俳優は他に思いつかない。
 
 特筆すべきはマキシン役のエヴァ・ガードナーの畢生の名演だろう。
シャノンがハンナに心を捕らわれたと知るや、全てをあきらめて二人にホテルの経営を任せると決断する。
 が、ハンナは、シャノンのようなダメ男と人生を共にするつもりがないのか、あるいはマキシンの心情を察したのか ?
 毅然として提案を断り、再び孤独な放浪の旅に出る。
 思いがけない展開で、シャノンを取り戻した嬉しさに浮かべるマキシンの笑みの美しさは、粗野で野生的な女が一転して聖女に生まれ変わったかのようだ。

 男には不感症で、無一文で、死期の迫った詩人の祖父と共に当てのない放浪の日々を続けるオールド・ミスの肖像画家という難しい役を演じるデボラ・カーは、存在感のある演技力を見せてくれる。
 いや、最上の演技をしたといっても過言でないだろう。
 当時のハリウッドで、こんな複雑な役を演じることの出来る女優は他にいなかった。
だが、デボラ・カーという女優の不運なところは、如何に熱演しようと、まさにその類い稀な美しさと気品とが、役柄との間に一抹の違和感を感じさせてしまう現実なのだ。
 ”黒水仙”、 ”地上より永遠に”、”王様と私”、”旅路(銘々のテーブル)”等々、記憶に残る演技でアカデミー主演女優賞候補に6度もノミネートされながら、結局一度も受賞できなかったのは、彼女の演技にいささかの過不足があったわけでは勿論ないのだが。   

映像特典

 DVDの有り難いところは、映画の本編だけではなく、映画のメーキング場面や、当時の予告編等々、作品の制作された背景や状況を知ることが出来る特典映像を見られることだ。
 イグアナの夜では、本編に加えて22分に及ぶ特典映像にはとりわけ中身の濃い内容が満載されている。
 この映画はメキシコ南部、太平洋岸の保養地、プエルト・バジャルタから13㎞余り南の道もない辺鄙なミスマロヤの無人の半島に舞台となるホテルのセットと125人のクルーの宿舎を建設しての撮影だった。
 主演俳優たちは毎日プエルトバジャルタの港から船で25分余り航海してセットに向かった。
当時リチャード・バートンと恋仲だった夫のいるエリザス・テイラーは72日間の撮影期間中付きっぱなし。
 このスキャンダルには大勢のパパラッチが押しかけ、さらに原作者のテネシー・ウィリアムズまでがロケーションを見に来るし、映画の撮影中にケネディ大統領がダラスで暗殺されるという、内外共に大騒ぎの中での撮影だった。
 風光明媚なミスマロヤのカラーの特典映像を見ると、映画の本編をモノクロームで撮影したジョン・ヒューストン監督の意図が良く分かる。
 カラーで撮ったりしたら、この映画はただの観光映画になってしまったことだろう。 
  流石にジョン・ヒューストンが撮ればテネシー・ウィリアムズの原作が120%、ずっしりと重みのある作品に仕上がったのは最初に述べた通り。
 決して商業的に成功を収めたとは言えない作品だが、監督にしてみれば会心の作となったことだろう。
  この映画に出演した俳優たちにとっても、これは忘れ難い作品となったに違いない。
とりわけ、シャノン、マキシン、ハンナを演じた3人の主演俳優にとって、こうした現実にはありそうもない役柄を全身全霊をかけて演じることは、役者冥利に尽きる作品であったことだろう。 


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