五嶋みどりのバッハ演奏
初めてのバッハの無伴奏ヴァイオリン曲 全曲録音 2013年 8月 Klaus von Bismarck Saal, Köln |
バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番 2005年8月 Mechanics Hall, Worcestor, Massachusetts |
バッハが宮廷楽長を務め無伴奏ヴァイオリン曲集など数多くの器楽曲の作曲をしたケーテンの城での全曲演奏 2016年8月 |
五嶋みどりとヒラリー・ハーンにはヴァイオリン奏者として数々の共通点がある ;
音楽コンクール優勝の経歴無しに、10代になるかならぬかして、天才少女として才能を認められ、世界的に音楽活動を始めた
幼少より、音楽家の家庭に育ち、生まれながらにして、バッハの音楽の洗礼を受けて育った ;
ヴァイオリニストだった母が演奏するバッハの旋律を、五嶋みどりが2歳にして口ずさんでいたことで、音楽の天才を認められた。
成長するに従い、並外れた才能を現して来た8歳のみどりの演奏を録音したテープがジュリアード音楽院の名音楽教師ドロシー・レディーに送られ、それにより入学オーディションに招かれた。
オーディションではバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番のシャコンヌを演奏し、並み居る審査員たちを 驚愕させた。
その年の暮れ、ズービン・ メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラとパガニーニのヴァイオリン協奏曲を演奏してヴァイオリニストとしての地位を確立した。
ヒラリー・ハーンも、音楽家の家に生まれて家庭や教会で両親の演奏するバッハを聴いて育ち、若くして天才ヴァイオリニストとして活動を始めた。
二人共に、世界各地での演奏会や、放送。録音といった音楽活動に加えて、地方の学校の体育館や養老院、病院のホール等々にて、音楽愛好家でない一般の人々を対象とする演奏会を頻繁に開催し、その機会に二人とも必ずバッハを演奏している。
二人にとってバッハこそは音楽の原点でもあり、とりもなおさず、広範な聴衆に素直に受け入れられる音楽と確信を抱いているからに他ならない。
現代屈指の天才ヴァイオリニストの二人のこうした共通点は興味深いことだ。
と、二人の演奏には目が離せないのだが、一つだけ異なるのは、ヒラリー・ハーンが16歳で最初のレコードをバッハで出したのに対して、
五嶋みどりは、長年待望されながらバッハの無伴奏の録音は2005年の無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番のみだった。
演奏会では、アンコールの際に一部の楽章を演奏することはよくあったのだが、全曲録音だけはなかった。
待望のバッハの無伴奏ヴァイオリン全曲の録音は、彼女のデビュー30周年を記念して2013年にようやく行われた。
実際にレコードが発売されたのは2015年だった。 全曲録音のCDに自ら書いている長文のライナーノートに、デビュー後30年を経て、ようやく
バッハを全曲録音をする準備が出来たのだと
さらに2016年の8月にドイツのケーテンの城でバッハの全曲演奏が録画され、NHKの深夜放送で何度か放送された。
ケーテンの城はバッハが32歳から38歳までの6年間(1717-1723)宮廷楽長を務めた場所だった。
ケーテンの領主のレオポルド公(1694 - 1728) は自らもヴァイオリンとチェンバロを演奏し、美しいバリトンの声を持ち、演奏に参加することもあるという音楽愛好家であり、1713年に解散されてしまったベルリンの宮廷楽団の16人の優れた演奏家たちを雇い入れた楽団を所有していた。
そのうえ、教会音楽に冷淡なカルヴァン派のプロテスタントであったため、ミサ曲等の作曲に時間を取られることがなかった。
従って、バッハのケーテン時代には、ブランデンブルク協奏曲、管弦楽組曲、ヴァイオリン協奏曲、フルートソナタ、フランス組曲、イギリス組曲、平均律クラヴィア曲集第1巻、インヴェンションとシンフォニア、さらに無伴奏のヴァイオリン組曲集とチェロ組曲集という、器楽曲の傑作が次々と生み出された。
五嶋みどりのバッハ演奏
五嶋みどりが初めてバッハの無伴奏ソナタを弾き始めたのは7歳頃であったと、ケーテン城での演奏時のインタビューで述べている。
さすがに、難しかったと述べてはいるが、ともあれ、この年齢でバッハの無伴奏に挑戦出来たのは、紛れもない天才の証だろう。
以来、常にバッハが身近にあり、日々の練習や、楽しみのため、演奏会でのアンコールでソナタやパルティータの舞曲を取り上げてはいた。
しかし、全曲演奏までに30年余りをかけたのは何故だろう、そして2005年にソナタの第2番のみを録音しているのは何故だろうと思わずにはいられない。
幸いにして、全曲盤がようやく録音され、ケーテン城でのハイビジョンによる放送の録画と、2005年のCDと全曲が揃ったので聴いてみた。
従来から、細い体にも拘らず、ロマン派のヴァイオリン協奏曲を名器の骨太の音色のグアルネリ・デル・ジェスを駆使した、ダイナミックな演奏スタイルの五嶋みどりが、バッハをどの様に演奏するのか、大いに楽しみにしていたが、2005年の第2番の無伴奏ソナタを含めて、全体がイザベル・ファウストのそれを偲ばせる、極めて内省的でありながら端正で美しい演奏が展開される。
内省的ではあるが、イザベル・ファウストの演奏に劣らず、それぞれの舞曲やソナタの小節毎のリズムやメロディーが素晴らしい色彩感と躍動感に満ちていることには感心させられた。
全曲を聴きとおした後に、確かにバッハを聴いたという深い充足感に浸れる素晴らしい演奏だ。
2005年の第2番のソナタを含める、20013年の全曲演奏、2016年のケーテン城での全曲演奏との間に大きな演奏スタイルの違いは見られない。
30年間の演奏活動の集大成として確立されたバッハ解釈への解答が示されていると言えるだろう。
もっとも、ケーテン城での演奏の合間の数々のインタービューの中で、バッハの解釈には限りがない、演奏の度ごとに新たな前進と発見がある、と述べている。 今後、どのようにバッハに対峙して、新たな演奏が展開されるのか、大いに期待したい。
2005年に一曲だけ録音したのが第2番の無伴奏ソナタだったのは何故だろう、有名なシャコンヌを含む第2番のパルティータではなく、全6曲の無伴奏曲集の中でもっとも地味なソナタを選んだのは何故か ? と、この半年ほど、五嶋みどりの3つの演奏に加えて、ヒラリー・ハーン、イサベル・ファウスト、前橋汀子、加藤知子、堀米ゆず子等の演奏と比較しながら何度も聴いてみた ;
第1楽章のグラーヴェは深い瞑想に満ちたゆったりとしたリズムで終始豊かな色彩感をもって展開する。
第2楽章のフーガは一転して軽やかなリズムで、しかし簡単な2小節のテーマが緊張感に満ちたリズムでの進行が快い。
第3楽章のアンダンテは美しい旋律と淡々と進行するバスとが毅然としたリズム感に支えられてあたかも一組の男女の親密な会話のようだ。
第4楽章のアレグロは二段チェンバロのソナタのような曲想だが、意外にも第1楽章のグラーヴェのような、静かに潮が満ちてくるような曲想で、し かし常に無類の軽やかさでもってアレグロが進行する。
2005年と2013年、そして2016年のケーテンの城での演奏間に大きな変化はない。
30年に及び絶え間なくバッハを演奏してきて、それぞれの曲に対峙する姿勢がほぼ固まっているのだろう。
第2番のソナタのみ3度の録音があるのは、恐らく、地味ではあるが、深い瞑想に満ちたこの曲を弾かずにはいられないのだろう。
確かに、じっくりと聴いてみると、バッハの音楽の神髄を象徴するようような比類のない美しさをたたえた曲だ。