燕をめぐる冒険
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1980年代のホテル チェサ ランドリーナ | レト・ロマン語で ”つばめ亭” | 壁の燕 の絵 |
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サンモリッツ最南端 Sils Maria (ジルス マリーア) 湖 |
最初に外国で仕事をすることになったのがスイスだった。
チューリッヒから30㎞ほど南下したツークの街に暮らし始めて、週末や休日にあちこち出かけた中で、最も気に入ったのが、スイスの南東部、イタリアに近い、サンモリッツだった。
サン・モリッツの中心部は世界に名だたる高級リゾート地で高級ホテルが林立し、普通の街中と代り映えしない上に、ホテル代が猛烈に高いので敬遠して、かつて氷河で削られたU字谷の底に出来た浅い湖に沿って10㎞程南下したジルス.マリーア湖岸のホテル、チェサ・ランドリーナ (イルカならぬ、ツバメホテル)を定宿にして良く泊まったものだった。
現在でこそ一泊5万円を超える高級ホテルになってしまっていますが、40年余り昔は、朝夕の食事付きで家族5人分で100フラン(当時のレートで1万5000円)と妥当な水準の、田舎の旅籠屋という趣ですが、スイスならではの清潔で快適なホテルでありました。
チェサ・ランドリーナというホテルの名は、この地方にローマ時代から残っているレト・ロマン語でツバメ・ホテルを意味する。
スイスにはドイツ語、フランス語、イタリア語と並んで、総人口の0.5%にも満たない、3~4万人が話しているレト・ロマン語と呼ばれる、その名の通り2000年も昔の俗ラテン語の流れを汲む言語が公用語として残っている。
公用語であるから、公文書、テレビ、ラジオ放送、スイスフラン紙幣にも他の言葉と並んで公平に使われている。
たった3万人程度でが話しているだけというだけではなく、イタリア側、オーストリア国境地帯等、数か所に分かれて各地方ごとの方言があり、したがって正書法も、正規の文法書も、教科書も存在しない為、外国人が学ぶ術はなく、消滅に瀕している言語ではありますが、かつてオーストリアとの国境紛争の際に、レト・ロマン語を公用語と定めることで住民をスイス側に取り込んだという経緯があります。
最初に訪れた時に、Chesa が、フランス語に残る chez ( シェ : 家、レストラン名等に付ける接頭語)と スペイン語の gorondlina (ゴロンドリーナ), イタリア語の rondine (ロンディーネ), フランス語の hirondelle (イロンデル) と、いずれもツバメを意味する言葉から連想して ”ツバメ亭” と判断した次第。
その後、ラテン系の言葉で ”つばめ” がどのように書かれ、発音されるのか調べ貯めておいて意外な発見に気づいてまとめた結果を紹介する次第です ;
ラテン系言語のツバメの綴りと発音
ローマ帝国時代に使われていたラテン語が俗ラテン語へと代わり、さらにローマ帝国の勢力がフランス、イベリア半島と、ヨーロッパ各地に拡大するに従い、土着の言葉の影響を受けて、次第に独自の文法と発音を持つ独立の言語へと発展しました。
かつてのラテン語から変化発展した言葉ですから前述のように、一つの言葉からの類推で意味が分かるというのが、同系の言葉を学ぶ上で大いに役に立ちます。
ツバメの学名 : hirundo rusutica
hirundo : ラテン語の燕の呼び名 rustica : ラテン語で素朴な、田舎風の、
綴り | 発音 | 綴り | 発音 | ||||||||||
古典ラテン語 | hírundo | イルンド | ガロ・ロマンス語 | ||||||||||
教会」ラテン語 | írundo | イルンド | 古フランス語 | aronde | アロンダゥ | ||||||||
arondelle | アロンデル | ||||||||||||
イタロ・ロマンス | フランス語 | hirondelle | イロンデル | ||||||||||
イタリア語 | rondine | ロンディーネ | ノルマン語 | héthonde | エトンド | ||||||||
irondine | イロンディーネ | ||||||||||||
オクシタニー・カタルーニア語 | |||||||||||||
カタルーニア語 | oroneta | オロネータ | |||||||||||
ガロ・イタロ語 | oronella | オロネリャ | |||||||||||
ピエモンテ | ràndola | ランドーラ | オック語 | ironda | イロンダ | ||||||||
róndola | ロンドーラ | randoleta | ランドレータ | ||||||||||
róndora | ロンドーラ | ||||||||||||
rondolina | ロンドリーナ | イベロ・ロマンス語 | |||||||||||
rondorina | ロンドリーナ | 古スペイン語 | golondrina | ゴロンドリーナ | |||||||||
riondora | リオンドーラ | 現スペイン語 | golondrina | ゴロンドリーナ | |||||||||
andorina | アンドリーナ | ||||||||||||
rondarina | ロンダリーナ | アストゥーリアス | andarina | アンダリーナ | |||||||||
リグリア | rondaninna | ロンダニンナ | alandrina | アランドリーナ | |||||||||
róndoa | ロンドア | andolina | アンドリーナ | ||||||||||
ロンバルド | rondena | ロンデーナ | 古レオン | andorina | アンドリーナ | ||||||||
róndola | ロンドーラ | 現レオン | andorina | アンドリーナ | |||||||||
ronderena | ロンダレーナ | ガリシア | anduriÿa | アンドゥリーニャ | |||||||||
andoriña | アンドリーニャ | ||||||||||||
rondanena | ロンダネーナ | 古ポルトガル | andorýa | アンドーリャ | |||||||||
rondanina | ロンダニーナ | andorinna | アンドリンニャ | ||||||||||
北イタリア | 現ポルトガル | andorinha | アンドリニャア | ||||||||||
ヴェネツィア | róndena | ロンデーナ | ミランダ | andorina | アンドリーナ | ||||||||
バルカン・ロマンス | |||||||||||||
ルーマニア | rãndunea | ランドゥーネア | ギリシア語 | ヘリドニ | |||||||||
rãnduneca | ランドゥーネカ | カタピエイ | |||||||||||
サルデーナ | arrúndunea | アルンドゥーネア | バスク語 | enara | エナーラ | ||||||||
arrúndini | アルンディーニ | サンスクリット語 | nigirati | ニギラティ | |||||||||
ダルマチア | rondina | ロンディーナ | ロシア語 | ラースタチカ | |||||||||
シチリア | rindina | リンディーナ | ポーランド | ヤスクーカ | |||||||||
rinnia | リンニア | フィンランド | niella | ニエラ |
綴り | 読み | 綴り | 読み | ||||||||
ゲルマン語属 | |||||||||||
ドイツ語 | Schwarbe | シュヴァルベ | 英語 | swallow | スウォロー | ||||||
オランダ | zwaluw | ズワルウ | スウェーデン | svälja | スヴェリャ | ||||||
ノルウェー | svelge | ズヴェリ | デンマーク | svale | スヴァレ | ||||||
ラテン語系の言葉を調べたついでに、印欧語の原型であるサンスクリット、ギリシア、スラヴ系のロシア語とポーランド語、ゲルマン語系の各国語、さらに印欧語とは全く別系統のバスク語とフィンランド語も調べてみました。
カタカナの読みはあくまでも参考。 語尾が母音で終わるイタリア語やスペイン語はともかく、他の言語の子音で終わる単語の読みは日本語では表記できないので、あくまでも参考まで。
ついでながら、ギリシア語のツバメを表すもう一つの単語”カタビエイ” は飲み込むという動詞ですが、英語の swallow も同じく飲み込むという動詞でもあります。
イタリア語でも同様に ”rondine" は飲み込むとの意味がありますが、他のフランス語、スペイン語、ポルトガル語には同じ意味の転用語はありません。
今回色々調べていて面白いと思ったのは下記の件です ;
1. r と l
日本人にとって外国語の発音と聞き取りで ” r と l ” とが困難ですが、しかしラテン系の言葉の推移を見てくると、多くの言葉で同様に ” r と l ” との置き換えが起こっていることが分かります。
日本語の”らりるれろ” の発音も実は ” l ” でも ” r ” でもない発音なので、ヨーロッパ人でもその差が曖昧で転換が起きるのだということが分かってなんとなくほっとしている次第。
2. v と b の発音
同様に日本人には日本語に無い ” v ” の発音が難しく、注意して発音が出来ても.聞き分けが出来ないという指摘がなされています。
しかしながら、v と b という似たような響きを持つ文字の発音は、実は欧米人にも混乱が起きるということが、今回改めて確認できました。
改めてというのは、スペイン語を学んだ時に、スペイン語では ” v ” は ” b ” と発音されると分かりましたが、スペイン語に限らず、イタリア各地の言葉、さらに南フランス語系のプロヴァンス語等に広範に ” l ” から ” r ”への転換が起きていることが明らかになりました。
3.発声の手抜き化
さらに、例えばポルトガル語で ” Ronald ” という名前は ”ロナルド” ではなく ”ホナウド” と発音されます。
先頭の ” R ” がフランス語の発音同様、 ” Paris : パヒ ” ”Roma : ホーマ” と無音化され、さらにポルトガル語では ” l ” の発音も無音化されてしまうなど、緊張を強いられる子音の発音が骨抜きにされ、軽減化されるような変化が広範に起こっていることが良く分かりました。
日本語で起こっている ” れ ” 抜きの表現やスマートフォンを ”スマホ” と呼ぶような発音の簡易化や短縮化が急激に起こっているのは、結局人間の言葉の持つ宿命のようなものということを、改めて認識 した次第です。