超弦理論
III 超弦理論の宇宙
無数の形状がある、9次元空間のカラビ・ヤウ空間の二次元に投射図の例 | 宇宙のランドスケープ | |||
インフレーションによって多宇宙(マルチヴァース)が際限なく生まれる |
超弦理論とは、万物がプランク長(10-35m)という極小の振動する弦から出来ているという説とは前回までに述べた。
20世紀の主流であった、万物が大きさを持たない点である素粒子で出来といるという量子論の標準理論に代わって、21世紀の理論物理学を主導する理論として近年急速に存在感を見せている理論だ。
超弦理論は、しかし、量子理論を否定し、置き換えるものではなく、20世紀に営々と積み重ねられて来た量子理論で解決できなかった様々な本質的な欠陥を説明できる理論として台頭してきたもので、極めて高度の数学を駆使する、未だに発展途上にある理論だ。
万物の理論とあれば、プランク長の極小の振動する弦から、それが集まって、物質や反物質、原子、分子、鉱物、我々の身体を含む全ての生命、地球、恒星、太陽系、銀河系、さらには宇宙の全てが極微の振動する弦でできていると考えねばならない。
そして超弦理論から導かれた宇宙像とは、にわかには信じられない(理解するのに20年余りかかった)ような驚愕のものだった。
マルチバース(多宇宙)
我々の宇宙がたった一つの宇宙 (Universe) ではなく無数にある多宇宙 (Multiverse) の中の一つに過ぎないという考えは、今に始まったわけではなく既に19世紀末から唱えられていた説だ。
とりわけ多世界解釈が注目されたのは、1957年にプリンストン大学院生のヒュー・エヴェレット (1930 - 1982) が提唱した量子力学の多世界解釈の理論だった。
しかしこの理論が真面目に検討されるまでには20世紀末までの40年余りの年月が必要だった。
多世界という理論が、光や電子が粒子であると同時に波でもあるといった実験で証明できるような代物では到底なかったためだ。
が、このアイデアは、サイエンス・フィクションの分野で脚光を浴び、多世界をテーマにした作品が続出するようになった。
超弦理論が示す多宇宙の姿
冒頭二段目の3枚の図は、後述する宇宙の創成からインフレーションにより泡宇宙や枝分かれした宇宙が次々に生まれてゆく様子を描いたもの。 我々の宇宙はこうして出来た無数の宇宙の中の一つに過ぎない。
こうした様々な無数の宇宙はそれぞれ独立していて交互に行き来することは不可能だ。
もっとも我々の宇宙でさえも、見えるだけで130億光年、光速を超えて遠ざかっている銀河を勘案すれば直径450億年はあると考えられるから、隣の宇宙へ出かけるどころの話ではない。
冒頭は無数にある、9次元空間のカラビ・ヤウ空間の二次元投影図の例。
そして宇宙のランドスケープとは超弦理論の計算から導かれる10500種類も存在する多宇宙がどのようにしてできるかという概念図。
10500とは途方もない数字だが、一体、何をどのように計算して出てきた数字なのか、あれこれ当たってみたが、どうやらカラビ・ヤウ空間の形や穴の数等々の性質を詳細に検討した結果、得られた数字なのだ。
が、当初はこんな途方もない数字は、すなわち超弦理論がまともではないと看做される一因ともなった。
だが、その後の様々な宇宙観測データから、この途方もない多宇宙の存在が最も妥当な解釈として認識されるようになって来ている。
異なるカラビ・ヤウ空間の数だけ異なる宇宙が存在する、すなわちカラビ・ヤウ空間の形や性質がそれぞれの宇宙の存在特性の基本的な要因であると考えられている。
宇宙観の変遷
宇宙がどのような構造になっているか、大昔から人々の大いなる関心の的だったには違いないが、しかし観測技術とそれを裏付ける理論とが整ってきたのは19世紀末からだった。
そして20世紀にアインシュタインが構築した二つの相対性理論によって時間と空間の概念が根本的に革新され、そこから新しい宇宙観が生まれることになった。
アインシュタインは一般相対性理論の完成後にそれが宇宙全体を扱えることを認識し、翌年1917年に ” 宇宙原理 : 宇宙が一様であると同時に等方的であるという二つの単純化された仮定 ” の下に ”宇宙論的考察 ”という論文を発表した。
ところが、そうして自らの方程式を解いてみると、パラメーターの採り方によって、宇宙は膨張したりあるいは潰れてしまったりすることが明らかになった。
当時は宇宙が永遠普遍に変わらない絶対的な存在と考えられていた。
アインシュタインもその静的な宇宙を固く信じていた一人だったから、方程式を見直して万有引力と釣り合って収縮も膨張もしないような力 : 宇宙項、あるいは宇宙定数( Cosmic Constannt) λ (ラムダ) を重力場方程式に組み込んだ。
宇宙定数により静的な宇宙が得られたはずだったが、後にベルギー生まれのカトリック神父で後にローマ教皇庁立科学アカデミー議長にまでなった数学、天文学、物理学者のジョルジュ・ルメートル (Georges Lemaître : 1894 - 1966) がアインシュタインの宇宙定数を入れた重力方程式を解いた結果では宇宙は静止どころか、やはり膨張を得られるという結果が得られた。
さらにロシアの数学者、宇宙物理学者のアレクサンドル・フリーデマン(1888 - 1925) もアインシュタインの宇宙定数なしの宇宙方程式の解として,潰れるどころか膨張するモデルを得ている。
と、こうした様々な解が出てくるのは、宇宙の曲率が正か負か、あるいはゼロかというパラメーターの採り方によってどのような結果も得られるということなのだ。
しかし美しい静的な宇宙という観念に捉われていたアインシュタインは頑なに彼らの計算の結果を認めようとはしなかった。
宇宙の距離を正しくを計測する
机上の計算や理論だけでは宇宙がどうなっているかは分からず、宇宙を観測して正しい距離を測ることが必至の課題となる。そのためには宇宙の距離を正しく図るための物差しが必要だ。
その物差しとなったのがセーファイド型変光星だった。
セーファイド型変光星
変光星とは周期的に明るさを変える星の事。 連星系を成す星、爆発を繰り替えす星等々6種類ほどの異なる種類が知られているが、その中で太陽の5~20倍の質量を持ち、燃料の水素の大半を消費し尽くして寿命の最期の100万年間にある段階で不安定になり、収縮と膨張との脈動を繰り返す星をセーファイド(ケーファイド型 : Cepheid Variable) 変光星と呼ばれる。
この名は最初に発見されたケフェウス座デルタ (δ) 星に因む命名。
セーファイド型変光星の特徴は変光の周期と明るさとの関連から、その星の絶対光度が導かれることで、その見かけの光度との差から地球からの正確な距離を知ることが出来る。
ヘンリエッタ・スワン・リーヴィットの観測と論文
セイファード型変光星を発見し、宇宙の灯台として使えることを調べ上げたのはヘンリエッタ・リーヴィット (Henrietta Swan Rievitte : 1868-1921) だった。
1893年にハーヴァード大学天文台で無給の助手として働き始めた彼女は、撮影された乾板を比較、整理、分析して変光星を見つけ出す仕事を与えられ、その有能さを認められて時給30セント(当時の女性の最低賃金が25セント、男性はその2倍)の条件で、遥かに高給の男性天文学者たちが撮影した星の写真の乾板を整理、分析する仕事に没頭した。
1908年までにヘンリエッタはセーファイド型変光星の周期がその明るさときれいに相関していることに気づいていた。
そして1912年のハーヴァード大学天文台会報173号に彼女が発表した3ページの ”小マゼラン星雲の25個の変光星の周期” と題された論文は古今東西の科学論文の ”最高傑作” と言われている。
この論文こそはセイファード型変光星が宇宙の物差しとして使えることを完璧に証明したものだったが、その重要さが直ちに脚光を浴びることはなく、一部の天文学者に評価されただけであった。
生来病弱であったヘンリエッタは1921年に亡くなるまで当時発見されていた数の半分に当たる2400個の変光星を発見し分類した。
1925年にスウェーデン・ノーベル物理学賞選考委員会は、彼女を受賞者に推すべく連絡を取ったが、彼女がすでに死亡していることを知った。
エドウィン・ハッブルによる宇宙膨張の発見
1912年、ローウェル天文台のヴェスト・スライファー (Vesto Slipher : 1875 - 1969) が星雲の分光観測を始めて、大きな赤方偏移をしている星雲があることに気づいた。
赤方偏移とはドップラー効果により光の波長が長い周波数(赤)方向ににずれることで、即ち、その星雲が観測地点から遠ざかってことを示唆するものだ。
同様な発見はリック天文台等々、他の観測からも報告が出始めていた。
カリフォルニアのパサデナに近いウィルソン山天文台に当時世界最大の100インチ望遠鏡が設置された1919年に、ここに就職し、生涯を過ごしたエドウィン・ハッブル (Edwin Hubble : 1889 - 1953) は18個の銀河を調べて、銀河までの距離と視線速度にきれいな比例関係があることを発見し、1929年に論文を発表した。
銀河系の周囲にある星雲がどれも赤方偏移を示す事実は、宇宙が膨張していると考えれば説明できる。
静的な宇宙像を信じていたアインシュタインも、ついにこの事実を無視することはできなくなり、東海岸のプリンストンからわざわざウィルソン天文台のハッブルを訪ねて、詳しい説明を聞き、宇宙の膨張を認めて自身の宇宙方程式から宇宙定数のラムダを撤回した。
そして宇宙定数を入れたことは”生涯最大の不覚であった”と述べたとの逸話が広まったのだが、どうやらこれは、後にビッグ・バン説を述べたジョージ・ガモフの作り話だったらい。
こんにち、ハッブル宇宙望遠鏡や、銀河の赤方偏移と距離感の経験則を定式化したハッブルの法則、星や星雲が相互に遠ざかる速さの基準であるハッブル定数、隣のアンドロメダ星雲の大きさや銀河からの距離を測定等、数々の業績をあげたハッブルだが、実はこれらの数字は現在確認されている値とは遥かに隔たっている。
例えばハッブル定数を 500km/s/Mpc と計算されたものが、現在は70.4km/s/Mpc と7倍もの違いがある。
さらにアンドロメダ星雲の大きさや銀河からの距離、銀河系の大きさは、現在ではハッブルの計算値の2倍以上となっている。
これはハッブルが観測に当たって使ったセーファイド変光星に様々な種類があることに気づかず、明るさや距離の計算に大きな誤差が出てしまったためだ
電弱統一理論でノーベル物理学賞を受賞したスティーヴン・ワインバーグは、量子理論以外の科学全般に通じた天才で、天文学にも詳しく、後述するように、現在の宇宙論を主導する予言をしているが、ハッブルの業績については、当時の観測の限界である最大で1億光年程度の距離の星雲を調べて、法則を確立出来たのは信じられないと述べている。
ダークマターの発見
ウィルソン山天文台で働いていたスイス出身の天文学者のフリッツ・ツヴィッキー(Fritz Zwicky : 1898 - 1974) は同僚のワルター・バーデ (1893 - 1960) と共に超新星爆発の研究で名高いが、その研究をさらに推し進めて、中性子星が生まれる可能性を予言した。
中性子はケンブリッジ大学のラザフォードによって1920年にその存在が予言され、弟子のチャドウィックの実験によってその存在が1932年に確認されたたった2年後のことだ。
中性子星が発見されたのは30年後の1967年だった。
ツヴィッキ-は1933年、太陽系から 3.2 億光年離れた、1000億の銀河からなる”かみのけ座銀河団”の中の8つの銀河の運動速度を測定し、その光の量に基づく計算から銀河団系の安定に必要な質量は、光を放つ物質の400倍もなければならないと断定した。
そして見えない質量をドイツ語で ”Dunkel Materie : Dark matter” と呼んだ。
さらに明るさが同じ18個の超新星の研究から、その絶対光度を基準にして距離を測る標準光度として使えることを発見し1938年の論文で発表した。
この発見はその後の宇宙の観測と宇宙論の飛躍的な発展に絶大な貢献をするものだった。
宇宙に本質的な質量が不足するという事実は1930年にスウェーデンの天文学者、クヌート・リュンドマルクが銀河系内の物質の不足を観測し、その値を5倍と計算し、1932年にオランダのヤン・オールトも同様の結論に達していた。
これは重大な発見であり、ハッブルもそれが深刻な問題であることを認めたが、これらの発見はその後40年余り殆ど無視されたままだった。
ツヴィッキ-達の発見が再認識されたのは1970年代後半、パロマー山天文台で銀河系やマゼラン星雲の運動を観測していたヴェラ・ルービン (1928 - 2016) とケント・フォード (1931 ~) による発見だった。
ルービンは星の動きを、フォードは星雲の外周の星間ガスの動きを詳しく観測していて、それらの回転速度が内周でも外周でも同じである事実に気が付いた。
これは驚くべき事実だった ; 「面積 - 速度一定の法則」 とも呼ばれる、ケプラーの第2法則から明らかなように、太陽系では内周にある惑星では公転速度が早く、外周の惑星では遅くなり、惑星が軌道上を移動する面積-速度が等しい。
ところが、この法則が銀河系のような系では通用しない。
あたかも星雲内の星や物質が巨大なレコード盤に乗っているかのように内周でも外周でも等しく回転している事実が観測された。 そしてこのレコード盤に相当する、宇宙を動かす見えない力がダーマターなのだ。
COSMOS(宇宙進化サーベイ)により得られたダークマター分布の三次元投影図
重力レンズ効果により作成された。 左手前が近傍の宇宙、右奥が80億光年彼方の遠い宇宙
ダークマターとは何か ?
ツヴィッキー達によって指摘され、命名されたダークマターは、40年後の観測によって存在が確認され、宇宙を構成する重要な要素として認識されるようになった。
図は、21世紀初頭に始まった宇宙進化サーベイ・プロジェクトにて、世界の天文学者が協力してハッブル望遠鏡,すばる望遠鏡、チリのALMA望遠鏡等々、世界のあらゆる望遠鏡と人工衛星等の観測装置による赤外線、可視光、紫外線、ガンマ線、X線と、あらゆる電磁波を駆使して、宇宙の謎を解明しようというプロジェクトで明らかにされた、ダークマター分布の最新の3次元図。
ダークマターとはいったい何なのか? さまざまな説や理論が登場して、検出のため様々な実験が行われて全てが失敗に終わったが、観測技術の発展のおかげで、宇宙にどのように分布しているかが明らかになりつつある。
ダークマターを ”暗黒物質” と翻訳するのは誤解を招く。”Dark ” とは暗黒ではなく ”未知の”という意味だ。
他の物質と反応しないために、あらゆる電磁波で観測できないが、黒いのではなく透明で光が透過する。
物質として質量があるので、望遠鏡を通して背後にある光が屈折するため、重力レンズ効果を逆算してどのように分布しているかを計算し、コンピューターで合成して可視化したのが写真の投影図だ。
宇宙を構成するエネルギーと物質のうちダーク・エネルギーが72.8%、ダークマターが22.7%、普通の物質はたったの4.56%に過ぎないと計算されている。
これらの構成比が明らかになったのは20世紀末の事、驚愕の事実であった。
アメリカの理論物理学者、リサ・ランドールは、たった5%の普通の物質が100近い素粒子(あるいは超弦)からなっているのであれば、ダークマターも一つの物質ではなく、複数の性質を持つものがある筈だと主張している。 全く妥当な提案だ。
ダークエネルギー(真空のエネルギー)の再発見
グラフの緑の曲線が重要
観測した超新星の赤方偏移をこのカーブ上に
プロットすると、二つのチームが別々に観測した
遠方の銀河が、いずれもおよそ50億年前までは相対的な明るさが増えていて、すなわち膨張が減速していることを、逆にその後の明るさが落ちていることは、膨張が加速に転じて早い速度で遠ざかっていることを意味する。
銀河NGC4526の外縁部に輝く Ia型超新星SN1994D 加速膨張を示す超新星の加速データ
2011年のノーベル物理学賞は米国立ローレンス・バークレイ研究所でSCP(Supernova Cosmology Project :超新星宇宙論プロジェクト)を指揮していた、パールムター(Saul Perlmutter : 1959~)とオーストラリア国立大学のHZT(High Z Supernova Search Team : 高赤方偏移超新星探査)チームを率いていたシュミット(Briann Schmidt : 1967~)と米ジョンズ・ホプキンズ大学のリース (Adam Riess : 1969~)に与えられた。
宇宙の再加速膨張を発見した、即ち真空の密度 : ダークエネルギーの大きさを正しく測定した、というのがその理由だった。
彼らはどうやって宇宙の再加速膨張を発見したのか ?
プロジェクト名が示すように、超新星を使って100億光年彼方の銀河の移動速度を測り、宇宙の膨張の速さを調べたのだ。
ハッブルが近隣銀河の距離を調べて宇宙の膨張を発見した時にはケフェウス型変光星を使った。
だが、普通の星では1億光年程度の距離しか測れない。遠くの星や銀河の距離を測るには暗すぎる。
そこで利用されたのが超新星だ。
1938年にワルター・バーデの研究で明らかになったが、Ia型の超新星はいずれも質量が同じなので、爆発時の絶対光度が等しく、距離を測る物差しとして使える。
しかも例え100億光年彼方の距離があっても、超新星爆発の光は一つの銀河より明るくなるので観測が可能だ。
問題は超新星爆発は一つの銀河で100年に1回程度しか起こらないことだ。
だが100億光年の範囲内には数百億の銀河が存在するので宇宙の遠方を広範囲で探せば、毎日のように超新星の観測が可能となる。
20世紀末には、超高感度の電子素子を使ったカメラや望遠鏡で撮影した画像をコンピューターで処理することにより、たとえば一晩で超新星の出現を観測し、データを処理して多くの銀河の赤方偏移を調べることが可能となった。
こうして、二つのチームが競争して観測し、データをまとめた結果が一致し、宇宙誕生後のおよそ60億年後に物質と暗黒物質による重力より、真空のエネルギーによる斥力が勝るようになり、膨張が加速されていることが確認された。
それまでは、殆どの天文学者と物理学者とが、宇宙の膨張は宇宙にある物質の重力により緩やかになっていると信じていたからこの結果に驚かされた。
かつてアインシュタインが宇宙が重力で潰れるのを防ぐために、自らの方程式に加えたが、後にハッブルによって発見された宇宙膨張の事実の前に取り下げた”宇宙項(斥力)”が復活したのだ。
ダークエネルギーとは何か
ダークマターと共に宇宙に存在する質量とエネルギーの殆どを占めるダークエネルギーとは、ダーク(未知の)エネルギーと呼ばれてはいるが、今日、物理学者の大半は、それが真空のエネルギーであると考えている。
すなわち、アインシュタインが宇宙方程式に挿入して、重力によって宇宙が潰れないようにした斥力(ラムダ:λ)こそは真空のエネルギーに他ならない。
何もない、空っぽの空間である真空が何故エネルギーを持つのかと疑問に思われる方があるだろうが、量子理論の世界では、真空とは空っぽの空間ではなく、絶えず正と負の粒子が生まれては対消滅している空間と考えられている。
しかし量子論の世界では全てが揺らいでいると考えられため、対消滅によってエネルギーが打ち消しあって全くゼロにならないこともあり得る、即ち正であれ負であれ何らかのエネルギーが残ることは充分考えられる。
すると宇宙空間の大半を占める膨大な真空がエネルギーを持つと考えても不思議はない。
しかも宇宙は初期のインフレーションを経てビッグバンにより桁違いの膨張を続けていることが観測により確認されている。
空間が広がれば物質の存在比率は小さくなるが、一方で真空の空間は拡がっても、そこから際限なくエネルギーが湧き出すので、次第に真空のエネルギーの比率が高くなり、それが宇宙の膨張を加速している、というのが現在の認識だ。
真空のエネルギーが低すぎる !!!
ところで前述のSCPとHZTの二つの、さらに他の様々なプロジェクトとで得られた真空のエネルギーの値が実は量子理論に基づく計算とは、けた違いに低い、
それも10-120桁、120分の1ではなく、120桁も小さな値であるという事実が物理学者たちを甚く困惑させている。物理学史上もっとも外れた予測といわれる所以だ。
真空のエネルギーではなく未だにダーク(未知の)エネルギーとしているのは、この余りにも大きな食い違いのせいかもしれない。
スティーヴン・ワインバーグが1987年に予言した我々が存在しうる宇宙の条件
真空のエネルギーの理論値と実測値の桁違いの差はしかし、不思議としか言いようのない事実を我々に提示する。
それが上の二つの図だ : 様々な観測によって得られた宇宙の物質のエネルギー密度と、真空のエネルギーの密度とが、宇宙創成後137億後の現在、同じ水準で釣り合っていることが分かっている。
電弱統一理論でノーベル物理学賞を受賞したスティーヴン・ワインバーグは、科学史上屈指の才人の一人であり、物理学だけではなく天文学の分野でも大いなる存在感を示している科学者だ。 そのワインバーグが1987年に宇宙の真空のエネルギー密度の桁が異なったら宇宙はどうなるかという計算をした。 右の図で示したのがそれだ。
ワインバーグの計算によると、真空のエネルギーと物質のエネルギー密度が我々が生きている現在のような比率の場合のみ、宇宙に銀河や星、そして生命が生まれ得るのだという。 そういう時期に我々が存在するのは偶然なのか ?
前述の、我々の宇宙の真空のエネルギーの実測値が予想より120桁も小さいという、殆どありえない宇宙が、しかしこのような宇宙にしか銀河や星、生命が生まれないという予言と一致するという事実は、冒頭で述べた、超弦理論が10500種類もの宇宙を予言するという事実を思い起こさずにはいられない。
無限といえる数がある宇宙の中には10-120桁という殆ど起こりそうもない宇宙が出現しても不思議ではない。
我々はそういう奇跡的な宇宙に生まれたのだろうかという不思議な感慨を抱かざるを得ない。
宇宙創成論の台頭
宇宙と言う漢字は天地四方を意味する“宇”と空と無限の時間を表す”宙”の字から成っている。
一般相対性理論で時間と空間とを考えたアインシュタインが宇宙論を唱えるのは当然のことであったと言えましょう。
しかしながらそのアインシュタインにしても宇宙の始まりがどうだったかという質問には答えられなかった。
だが、一般相対性理論から膨張する宇宙という解を導き出したベルギーのル・メートルが、膨張の過程を逆に遡れば、原子宇宙と呼ばれる極小の点が宇宙の始まりだったという解釈を1930年ごろ提唱した。
ル・メートルはまた、宇宙膨張の速度をの基準となるハッブル定数を独自に算定したり、宇宙の年齢を100-200億年と見積もるなど、宇宙論の分野で先駆的な仕事をした科学者だった。
インフレーションからビッグバンを経て現在の宇宙へ
ビッグバン宇宙論
宇宙の始まりの頃、全てが極小の空間に閉じ込められた灼熱の火の玉から始まった、とする”火の玉宇宙説”は1946年にロシア出身の天文学者、ジョージ・ガモフ (1904 - 1968) によって唱えられた。
ガモフは火の玉宇宙の温度と圧力とが下がってゆくにつれて全ての元素が創成されたと考えたが、現在では最初に出来た元素の殆どは水素とヘリウムであったことが分かっている。
星の内部と超新星爆発とで水素とヘリウムより重い全ての元素が合成されたという論文がフレッド・ホイル(1915-2001)達によって1957年に発表された。
天文学と物理学の分野で先駆的な業績を挙げたホイルだったが、ハッブルの膨張宇宙論も認めなかったほどの定常宇宙論者であったから、”火の玉宇宙論”を真っ向から否定し、BBCでのラジオ放送にて 「奴ら ー ガモフやル・メートル達 ーは宇宙が火の玉から始まったなどとほざいているが、とんだ Big Bahn(大ぼら吹き)野郎たちだ」 と罵倒した。
ビッグバンとは大きな爆発音を意味するが、英語の卑語では大ぼら吹きを意味する。
幸か不幸か、ベルギー人のル・メートルもロシア出身のガモフも英語の卑語の意味など分からなかったから、ビッグバンの命名が気に入って、以後この呼び名が使われることになった。
もっともホイルは火の玉宇宙論には反対したが、宇宙の創成については、”宇宙が膨張しているとしよう、それはそれでよい。 だが私の定常宇宙論でもこのような結果は観測できる : 膨張で密度が低くなる分、物質が湧いて来ればよいのだ。その結果、宇宙は至るところで密度を保持しながら悠久に存在できる” と述べている
これは、その後のインフレーション理論や、真空エネルギーによる宇宙の創成を先取りした卓見だ。
ホイルは同じケンブリッジ大学の天文学科の大学院生だったジョスリン・ベル(Susan Jocelyn Bell : 1943~)が1967年に世界で最初にパルサーからの信号を発見したのに、1974年のノーベル物理学賞が発見者ではなく、ホイルの同僚であった指導教官に与えられたことに対して敢然と抗議した、と。 その誠実な人柄には大いに共感できる。
ビッグバンの名残の発見
ビッグバンの名残の3K放射を受信したホーン型アンテナ 1989年COBE衛星によって撮影された宇宙創成30万年後の姿 2003年にWMAP衛星が30倍の解像度ので撮影した姿
ビッグバン理論は宇宙がどのように出来たかをうまく説明するが、あくまでも理論に過ぎず、何らかの方法で証明出来なければただの理論でしかない。
ガモフは、熱い火の玉から始まった宇宙が膨張して温度が下がったのであれば、その痕跡が現在も残っていると考えた。
宇宙の膨張に従って光の波長が伸び、温度が下がると赤外線になり、さらに波長の短いマイクロ波と呼ばれる電磁波になる。
そして絶対温度で5Kの電磁波が現在も宇宙を満たしているはずだと予言した。
だが、当時はそれを検出することが出来るとは考えもしなかった。
1967年の秋の日、プリンストン大学のロバート・ディッケ (Robert Dicke : 1916 - 1997) の研究室に電話がかかって来た。
ディッケの生徒のジム・ピーブルズ (Jim Peebles : 1935~) はビッグバンの名残の電波を捕えることが出来ると考え、1年前からディッケの指導の下にデイヴ・ウィルキンソン (David Wilkinson : 1935-2002)達とアンテナの製作に着手し、定例の打ち合わせをしていた時だった。
電話の主はベル研究所のアーノ・ペンジアス (Arno Penzias : 1933~) と名乗り、知人の勧めで、困っている問題について教えを請いたいとのことだった : 内容は、彼が整備しているアンテナに宇宙のあらゆる方向から正体不明の雑音が入り、どんなに調整しても消えない。 一体どういうことなのか教えて欲しいと、詳しい説明をした。
30分ほどの会話の後にディッケはピーブルス達に告げた : ”諸君,われわれは出し抜かれてしまったよ !”
ペンジアスが困り果てていた雑音こそは、まさにピーブルズが捕えようとしていたビッグバンの名残の3Kの電波だったのだ。
その後ディッケ達はペンジアスのアンテナを確かめに出かけ、間違いなくビッグバンの名残の電波が受信されたことを確認した。
ところでペンジアスと同僚のウィルソンは二人とも天文学者なのだ。だが彼らはビッグバンの名残の背景放射のことを知らなかったので、宇宙のあらゆる方向から季節も昼夜の区別も無く、四六時中やってくる ”雑音” に長らく悩まされていた。
そこで物理学者のディッケとピーブルズが二人に天文学の講義をしたという次第。
ニュー・ジャージー州のベル研究所の敷地内に設置された15mのホーンアンテナは、本来、アメリカ東海岸と西海岸との通信研究のテスト用として設置されたものだった。アルミ箔で覆われた直径30mのバルーンに信号を反射させて通信を行うという試みだった。
その後、通信衛星テルスターの受信用として使われ、実験の終了後にアンテナは宇宙からの電波受信用としてペンジアスとウィルソン (Robert Wilson : 1936~) とでアンテナを改造し、試験中に謎の雑音に遭遇したという次第。
この出来事はペンジアスとウィルソン (Robert Wilson : 1936~) に1978年度のノーベル物理学賞をもたらした。
それと知らずにノーベル賞級の仕事を成し遂げたわけで、幸運といえば幸運だが、しかし通信用のアンテナを改造して宇宙からの極微の3K電波を受信可能なまでに仕上げた二人の手腕は並みのものではない。 通信用とビッグバンの信号の受信とでは難しさがそれこそ天文学的に違う。 それを成し遂げた二人の手腕と努力とはやはりノーベル賞級だった。
だがその成功の背景には、当時開発されたばかりのメーザーが、恐らくは合成エメラルドを発振子に使ったマイクロウェーブ共振器が決定的な役割を果たしたに違いない。
やはり、当時世界最高の技術を持つベル研究所ならではの成果だった。とは個人的な感想。
彼らに出し抜かれたジム・ピーブルズは、その後ビッグバンによる元素合成、ダークマター、宇宙マイクロ波背景放射、宇宙の大規模構造構造等々、天文学の最先端の分野を主導する業績を挙げ、2019年のノーベル物理学賞を受賞した。
かくしてフレッド・ホイルに大ぼら吹きと罵倒されたビッグバン理論は、宇宙創成を理論的に予言し、観測によって証明されたわけだが、さらにその詳細な内容を確認すべく、その後続々と新しいプロジェクトが続いている ;
* 1989年 COBE (宇宙背景放射観測 : The Cosmic Back Ground Explorer) 衛星が打ち上げられ、宇宙創成後30万年の姿が10万分の1の揺らぎで電波強度の差を示している。 この揺らぎが大きくなって銀河や銀河団、大規模構造への成長をもたらした。
* 2001年に打ち上げられたCOBOの後継機 WMAP ( 宇宙マイクロ波背景放射異方性プローブ: Wilkinson Microwave Anisortrophy Probe) が2003年までの観測により、COBEより30倍高い解像度で得られた情報から、宇宙の年齢が137億年、正体不明のダークエネルギーとダークマターとで宇宙のエネルギーと質量の96%を占める事実が確認された。
* 1998-2003年 人工衛星で宇宙全体を探査する計画と並行して大気圏外高空に気球を打ち上げて、狭い探査範囲を詳細に調べる実験も行われた ;
BOOMERanG(ミリ波銀河系外起源放射及び地球物理学の気球観測)はカリフォルニア工科大学とローマ大学との共同プロジェクトで南極の上空37㎞を10日間周遊して全天の3%と範囲は狭いが深く詳細に探査する計画。
MAXIMA (ミリ波異方性実験イメージングアレイ) プロジェクトはカリフォルニア大学とNASA等との共同プロジェクトで、テキサス州上空40㎞にてに観測を繰り返した。
これらの気球による観測はCOBE等の衛星観測と比べると視野は狭いのだが、その分遥かに高解像度の画像が得られ、アインシュタイン方程式から導かれる、開いた宇宙、閉じた宇宙と平坦な宇宙の3通りの解の中で、我々の宇宙は ”緩やかな膨張を続ける平坦な宇宙である解に最も近い” ものと確認された。
プランク衛星
プランク衛星の宇宙背景放射画像 これまでの画像との比較
2009年、ヨーロッパ宇宙機構がハーシェル宇宙天文台衛星と共に打ち上げた宇宙背景放射観測用のプランク衛星はラグランジュ2地点に留まってこれまでにない高感度と高解像度で宇宙背景放射を観測した。
COBEやWMAPとの解像度の違いは一目瞭然。
最新の技術で観測され、最終的に2018年に発表されたデータは ;
宇宙の年齢 : 138億年
バリオン (普通の物質) : 4.9%
ダークマター : 26.8%
ダークエネルギー : 68.4%
プランク定数 : 67.4km/s/MPC
と、これまでに得られた数字をさらに精緻に観測したものだった。
ただし、銀河同士が相互に遠ざかっている速さの基準であるプランク定数(MPCとは100万パーセク、326万光年)が67.4km という値は、それまでにハッブル衛星やガイア衛星で観測された値の73.5km/s/MPC とは大きく異なり、現在に至るまで宇宙論の根本の見直しを迫られる程の問題となっている。
ビッグバン理論の問題点
宇宙背景放射が観測されたことで、ビッグバンが確かに起こったこと、宇宙が極めて平坦であることが確認されたが、しかし何故、どのように起こったのか ? 何故極小の点から始まった爆発で宇宙がこんなにも滑らかで平坦な宇宙に拡大されてしまったかという二つの重大な疑問が生じた。
宇宙をこんなにも平坦に引き延ばすためには、宇宙が始まって10-44秒の頃にその宇宙のエネルギーの量を120桁の精度で調整する、まさに”神の手” が必要となる。
ビッグバン理論ではこうした疑問に答える説明が不可能だった。
インフレーション理論
時間も空間も物質もない”無”から虚数の時間
として量子論的なトンネル効果で宇宙が生まれた生まれた宇宙は山道を転がるように指数関数的
に膨張して拡大しビッグバンを引き起こしたインフレーションからビッグバンを経て現在も膨張が続いている我々の宇宙像
こうした疑問に答えられる理論として提唱されたのがインフレーション理論だった。
最初に提唱したのは日本の宇宙論学者、佐藤勝彦 (1945 ~) だった。 その論文は ”指数関数的膨張モデル” として1981年1月に発表された。
半年後にアメリカのアラン・グース (Alain Guth :1947~) がインフレーション理論として同じ発想に基づく理論を発表し、分かりやすい命名から、この呼び名が一般的になっている。
インフレーションと命名したアラン・グースばかりが脚光を浴びているが、先に論文を発表した佐藤勝彦がこの分野で果たした功績は大きく、二人のノーベル物理学賞受賞は時間の問題だ。
この理論が宇宙の始まりを明らかにし、その後のビッグバンを経て、現在と宇宙の将来とを見通しているだけではなく、インフレーションによって、10500種類もの多宇宙が生成された仕組みを鮮やかに解明した事実は、20世紀から21世紀の天文学史の中でも最大の功績と言っても過言ではない。
ビッグバン理論での疑問の解明
宇宙が何故、どのように始まったのか ?
インフレーション理論では、宇宙は時間も空間も物質もない”無”から虚数の時間として量子論的なトンネル効果で生まれたと考える。
10-35m というプランク長の大きさで生まれた宇宙が始まりの10-36秒後の10-35秒から10-34秒の間に1043 倍もの指数関数的な膨張を遂げるが、この膨張は何時までも続くのではなく、真空の相転移の終了とともに膨大な潜熱を発生させた。
この潜熱のエネルギーがビッグバンを引き起こす原動力となった。
図のド・ジッター宇宙とはオランダ、ライデンの天文台長であり、1920年代にアインシュタインと共ににライデンにて時空の構造の研究をした物理学者、Willem de Sitter : 1872~1934) に因む : アインシュタインの一般相対性理論の重力場方程式の三つの解のうちの一つ、密度と圧力がともにゼロで宇宙項(真空のエネルギー)が正の値を取る宇宙
宇宙が何故こんなにも滑らかで平坦なのか ?
初期の曲率が正であれ負であれ、その値が大きくゼロからずれていたとしても10-34~35秒という短い時間に空間が1043倍にもなるような膨張の中では曲率はゼロに収束する。”神の手”を借りて微調整する必要がない。
そのため宇宙は現在も平坦なままでの膨張が続いている。
インフレーションによる多宇宙の生成
インフレーションによって多宇宙(マルチヴァース)が際限なく生まれる
宇宙が何時、どのように始まったかという疑問については、佐藤勝彦やアラン・グースのみならず、1970年代末ごろから、世界の物理学者達によって様々な提案がなされていた ;
ウクライナ生まれのアレクサンドル・ビレンキン : 1949ー) は1982年に量子真空からトンネル効果により宇宙が生まれたという論文を物理学の論文誌 ”Physics Letters” 発表し、大きな反響を巻き起こした。
ブラックホールの研究で名高いホーキングは量子重力理論に基づいて、虚数の時間の中で宇宙が生まれ必然的にインフレーションを引き起こすと考えている。
こうして起こったインフレーションによって、煮えたぎる釜の中で連鎖的に泡が生まれ続けるようにして宇宙が創成され続ける。
図はその様子を様々な観点からの想像図。
そして我々の宇宙は、こうしてできた無数の泡の一つに過ぎないというのが、インフレーションから導き出された多宇宙理論だ。
冒頭に述べた10500種類もの宇宙とは、例えば一つの泡から枝分かれした一連の宇宙を一つの種類とし、別に生まれて成長してゆく宇宙等が別の種類である、というように、無限の宇宙が常に生まれ続けているというのが多宇宙の考えだ。
我々の宇宙と枝分かれして隣に繋がっている宇宙も、アインシュタイン-ローゼンの橋と呼ばれるブラックホールとホワイトホールから成るキノコの軸のような境界を介しているため、行き来することは不可能だ。
超弦理論の宇宙論
超弦理論では宇宙の始まりの時空間次元はきつく巻き上げられて最小の大きさ、およそプランク長(10-35m)ほどになっていた。
温度とエネルギーは高いが無限大ではない。
宇宙の始まりの瞬間、ひも理論の空間次元は全て巻き上げられた多次元のプランクサイズの塊りになっていて、完全に対等 ー 完全に対称的だった。
ブランデンバーガーとカムラン・バッファによると、その後宇宙は対称性減少の第一段階を経る。
ビッグバンからプランク時間(10-43秒)くらいの頃、空間次元のうち三つだけが膨張し、他の次元は全て当初のプランク・スケールを保っている。この三つの空間次元は、インフレーション宇宙論のシナリオに描かれる空間次元と同一のものと認められ、その後の進化と共に膨張して、現在観測される形になる。
三次元だけが大きくなったのは、大きい次元は、急激な熱膨張の際に弦と反弦との対衝突により消滅し、3次元のみが現在観測できる宇宙の大きさにまで膨張したのだと考えられる。
そして無数の特徴と形とがある6次元のカラビ・ヤウ空間のうち、激動し熱い初期宇宙の時点を経て、様々なカラビ・ヤウ空間があるカラビ・ヤウ空間から他のカラビ・ヤウ空間への転移が遅くなり、巻き上げられた次元は結局、現在の我々の宇宙で観測される物理的特徴を生み出すカラビ・ヤウ空間に収まったと考えられる。
ヴェネツィアーノとガスペリーニの考える宇宙の始まり
同じ超弦理論者の中でも異なる宇宙の始まりの解釈が存在する。
例えばトリノ大学のガブリエーレ・ヴェネツィアーノ (1968年に、超弦理論の発端となる、重い原子核内の粒子の振る舞いとオイラーのベータ関数との関連を見出した、あのヴェネツィアーノ)と同僚のマウリツィオ・ガスペリーニはビッグバン以前の宇宙が冷たく無限大の空間的広がりをもって始まったと考えている。
彼らの方程式では、その後不安定性が効果を発揮し始め、宇宙のあらゆる点が互いに遠ざかる。そして空間がますま湾曲し、その結果温度とエネルギー密度が劇的に上昇する。その後広大な拡がりの中にある三次元空間が、ちょうどインフレーション的膨張から出現する超高温で超高密度の空間のように見えてくる。 そうすればこの空間は通常のビッグ・バン宇宙の標準的膨張を通して、我々の馴染みの宇宙全体の説明になる。
こうして、佐藤勝彦とアラン・グース以降無数に出現したインフレ-ション理論の一変種が超弦理論からも提示される。
いずれにせよインフレーションというのは宇宙の始まりの10-36秒程度のごく短い時間に起こり、その後のビッグ・バンにつながった出来事だ。 その短い時間に何がどのように起こったのかを証明することは不可能だが、今後も様々な説が出てくるに違いない。
ブレーン(膜)宇宙論
物質や光子等の開いた弦は切り開かれて、Dブレーンと呼ばれる膜にくっついているが、閉じた弦である重力子だけは空間を自由に動き回り、次元へも自由に移動できるため、3次元空間では電磁気力などの他の力と桁違いに弱くしか観測されないことは、前回説明した。
超弦からブレーン理論への発展は、それによるブラックホールの熱の放射や、さらに時間と空間の概念の見直し等々、超弦理論の計算手法の飛躍的な発展につながった。
このブレーンがプランクサイズレベルの超微細な世界だけではなく、実は3次元の空間と時間からなる4次元時空にある我々の宇宙が10次元や11次元の時空に浮かんでいる3次元の膜であるという予言が出現した。
我々の宇宙とは隔絶されている多宇宙も同様にブレーンであり、時々二つのブレーンが衝突するよう事件が起こるが、それこそはビッグバンなのだという解釈だ。
となると、宇宙創成からインフレーションに至る道筋とは、このブレーン宇宙論とどのような整合性を持つのか、大いに興味があるのだが、それには今後も様々な論文が出てくるだろう。
だが、超弦理論やインフレーション理論を主導する佐藤勝彦や、大栗博司等がブレーン宇宙論を真面目に取り上げているからには、それなりの背景があるのだろう。最新の宇宙論には途方もない数字や解釈が続出して来るので、そのたびに心の中で ”なんだ、なんだ、なんだ、なんだ・・・・・” と叫んでしまうばかり。 この20年余り、こうして叫び続けてきた、とりわけ難解そのものの超弦理論と、それと密接な結びつきのある斬新な天文学の世界とを一通り見直して、おぼろげながら、ようやくその筋道と全体像とが分かりかけて来たとの感想を抱けるようになった次第。
参考図書 ;
暗黒宇宙の謎 谷口義明 2005年 講談社ブルーバックス 余剰次元と逆二乗法則の破れ 村田次郎 2011年 講談社ブルーバックス ゼロからわかるブラックホール 大須賀健 2011年 講談社ブルーバックス 宇宙96%の謎 佐藤勝彦 2005年 実業之日本社 4%の宇宙 リチャード・パネク 2011年 ソフトバンク・クリエイティブ 宇宙はなぜこんなにうまくできているのか 村山斉 2012年 集英社インターナショナル 膨張宇宙の発見 マーシャ・バトゥーシェク 2011年 日本経済新聞社 宇宙マイクロ波背景放射 小松英一郎 2019年 日本評論社 Dブレーン 橋本幸士 2006年 東京大学出版会 超ひも理論 広瀬立成 2006年 ナツメ社 脈宇宙論 桜井邦朋 2003年 PHP研究所 エレガントな宇宙 ブライアン・グリーン 2001年 草思社
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