美しきもの見し人は
チャイコフスキー ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50
”偉大な芸術家の思い出のために”
Piano | ヤン・パネンカ | ボリス・ベレゾフスキー | アンドレイ・コロベイニコフ |
Violin | ヨーゼフ・スーク | 諏訪内晶子 | ヴァディム・レーピン |
Cello | ヨーゼフ・フッフロ | マリオ・ブルネッロ | アレクサンドル・クニャーゼフ |
1976年 荒川区民会館 大ホール | 2017年5月 紀尾井ホール | 2014年11月 すみだトリフォニーホール |
この曲はチャイコフスキーが当時ロシアで最高のピアニストであり友人でもあったニコライ・ルービンシュテイン(1845-1881)の死を悼んで作曲したピアノ三重奏曲だ。
哀愁を帯びたメロディーとその変奏曲とを、ピアノとヴァイオリンとチェロとが交互に二重奏と三重奏、時には単独の楽器の独奏とを交えて50分に近い長時間を休まず演奏するという独特のスタイルの曲だ。
曲の性格からして、それぞれの時代の各楽器の名手たちがトリオを編成しての演奏が多数録音されているが、長年市場にあったのがチェコのスーク・トリオのレコードだった。
スーク・トリオの三人は、いずれも独奏者としても一流の腕の持ち主なのだが、長年、室内楽の演奏にかかわって来たこともあり、まとまりの良い整然とした演奏に定評があった。
この曲は1976年にデンオンによってPCMデジタルで録音され、LPレコードで発売されたが、1980年代になっていち早くCDとして発売されたものであり、現在はさらに音質の良いUHCDでリマスターされ、半世紀近くたった現在でも販売が継続されている、いわば文化遺産ともいえる名盤だ。
この曲の新しい演奏が最近NHKのクラシック・俱楽部の番組にて何度かて立て続けに放送された。
一つは1990年に史上最年少の18歳で優勝した諏訪内晶子が、同じくチャイコフスキー・コンクールの優勝者のボリス・ベレゾフスキーとマリオ・ブルネッロとで即製のトリオを組んで演奏したものだ。
長年スーク・トリオの端正な演奏に聴き馴染んできたのだが、流石に当代超一流のヴィルトゥオーゾの手にかかると、この曲はこうなるのかと圧倒させられる劇的と言ってもよい名演だった。
諏訪内晶子はかつてヤッシャ・ハイフェッツが長年弾いていたストラディヴァリの中でも名品中の名品の”ドルフィン”を永年貸与されていているが、その流麗かつ力強い音色と高い演奏技術でこの曲を演奏していて間然するところがない。
CDと違って放送番組の良いところは、演奏の前にインタービューがあり、演奏者がどんな思いでこの曲に取り組んだかを語ってくれるが、いずれ個性の強い3人が集まって弾いてみても、始めはまるで様にならなかった、とのこと。
続いて、ロシア出身の三人の名手の演奏も劣らず凄いものだった。 技術的にも音楽性からも前述の3人と同じ水準にある3人が、いわば手の内とも言えるロシアのメロディーを演奏すればこうなるという見本のようなものだ。
惜しむらくは演奏会場が広すぎた。
すみだトリフォニーホールの大ホールは多目的ホールで1800人を収容出来る大容量のホールなので室内楽の演奏にはいくらなんでも広すぎる。 3人の奏者なら本来は300人くらいの小ホールが最適なのだが。
一方, 諏訪内晶子組の演奏した紀尾井ホールは800人と、まずまずの広さだ。
いずれも録音はNHKがセットした、舞台前方の上方45度にステレオマイクと各奏者にそれぞれ専用マイクという同じセッティングだが、会場での反響音の広がりの違いにより、音場感がどうしても異なり、ミキシング等の操作では補正し切れない。
したがって、適度な広さで反響音が帰ってくる諏訪内晶子組の方が聴感上、音の密度が濃く感じられる。
スーク・トリオが演奏した荒川 区民会館の大ホールは実は975人のこじんまりとした大ホールなのだが、何しろ半世紀近く昔の録音であり、しかも後の二組とは演奏の水準も全く異なる。
図らずも昔から聴きなれてきた曲の、演奏と演奏会場の音響効果との違いとを聴き比べる結果になった。
NHKのクラシック・俱楽部という番組は、かつてBS放送が3チャンネルあった時代には、朝6時と11時、更に午後の1時からと、余裕をもって日に3度、都合の良い時間に見ることができたものだ。
それがBS3チャンネルは多すぎると詰まらぬ横槍が入って2チャンネルに減らされ、さらに人気のないクラシック番組故、朝の5時に一度だけの放送と冷遇の限りだ。
幸いなことに、今は1万円以下に値下がりした4TBもの大容量のHDDを接続すれば、簡単に録画予約が出来る時代になった。4TBの容量であればハイビジョン放送を580時間も記録できるわけで有難い限りだ。
地方に暮らしていると演奏会など滅多に出かける機会が無いから、世界中の音楽家の演奏会が毎朝放送される音楽番組を、例え朝5時の早朝であれ、録画して何時でも見ることができるというのは夢のような時代になったものだ。