美しきもの見し人は
無伴奏フルートのための12の幻想曲集
テレマン (Georg Philipp Telemann : 1681-1767)
ジャン・ピエール・ランパル (1922~2000) 1972年 PCMデジタル録音 | ハインツ・ホリガー (1939~) 1979年録音 | 有田正弘 (1949~) 1989年録音 |
既に紹介した、アルチュール・グリュミオーのヴァイオリンと、今井信子のヴィオラという、稀代の演奏家による無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲は、同時代のバッハによる無伴奏ヴァイオリン組曲に比肩できるものではありません。
と言っても決してつまらない曲というわけではありません。
そもそもテレマンには対位法の奥義を極める曲を作曲しようという意図など全くなく、専門家であれ、素人の演奏家であれ、広範な音楽愛好家に演奏の楽しみを十二分に享受してもらいたいという動機で作曲した曲なのです。
新たに紹介するのは、フルートの名演奏家であったテレマンが同様の意図で作曲した、他に例のない、無伴奏フルートのための12の幻想曲集を当代屈指の演奏家達による様々な楽器での演奏を聴き比べたものです。
冒頭の3枚のCDはフルートのジャン・ピエール・ランパル、オーボエのハインツ・ホリガー、有田正弘のバロック・フルートと、それぞれの楽器では当代,第一級の演奏家達による演奏を DENON が18年かけて録音した偉業とも言うべきものです。
とりわけ、ランパルの演奏は、1972 年に既にPCMデジタル録音された、しかもランパルの唯一のこの曲の録音という歴史的なものなのです。
DENON はこれらを当初はLPレコード、その後はCD、さらに新しい版では1ビットデルタ・シグマ変調(DSD)、や Blu-Spec CD 等の、より高音質CDとして、しかも発売当時より割安な廉価版のシリーズとして絶版にすることなく販売を続けています。
長らく忘れ去られていた曲を、当代第一級の演奏家による多彩な楽器による演奏で記録(レコード)として残そうという心意気に溢れる企画なのです。
ジャン・ピエール・ランパルの演奏
テレマンの時代のフルートはキーも付いていない木製の横笛で、現代のフルートと比べると音域も広くはない、未完の楽器でした。
もちろん、様々な楽器を弾きこなしたテレマンが最も得意とする楽器でしたから、当時の楽器で可能な限りのあらゆる演奏技術を織り込んだ12の無伴奏曲集を、現代のフルートの名手のランパルがモダーン・フルートで演奏すれば作曲者の意図を120%発揮できる名演奏になるのは当然のことです。
ランパルの演奏は溢れるばかりの輝かしい響きと音色とで陶然とさせられてしまいます。
ハインツ・ホリガーのオーボエ演奏
20世紀を代表するスイス生まれのオーボエの演奏家であるハインツ・ホリガーは、単にオーボエという楽器の演奏にとどまらず、作曲や指揮、積極的な現代音楽への取り組み等々、広範な分野での活躍を展開した演奏家です。
オーボエの独奏曲など殆どありませんから、フルートのために作曲されこの曲をホリガーが取りあげたのは当然のことでしょう。
フルートとは音域が違うオーボエでこの幻想曲集を演奏するのは大変なことなのだそうですが、ホリガーの手にかかれば演奏技術の困難などは微塵も感じられない、あたかも初めからオーボエのために書かれた曲のように冴え冴えと響き渡るオーボエの涼しげな音色にはやはり陶然とさせられます。
有田正弘のフラウト・トラヴェルソ(横笛のフルート)演奏
フラウト・トラヴェルソとはテレマンの時代のキーなど殆どない、穴を指で塞いで音程を出すだけの木製のバロック・フルートのことです。
すなわち、テレマンが演奏し,聴いていたのはこんな音だったということが分かります。
一時はすっかり忘れ去られていた昔の楽器が復活したのは20世紀半ば、バロック時代の音楽を当時の楽器で演奏しようという機運が盛り上がったためです。
現代の楽器の輝かしい響きと比べると、素朴な、しかし味わいのある音色が心に染み入ります。
有田正弘はバロック音楽の復活に主導的な役割を果たしたオランダの演奏家、フランス・ブリュッヘンから譲られたバロック時代の名器を演奏しています。
ロバート・ディックのモダーン・フルートとロレンツォ・カヴァサンティのバロック・フルート/リコーダー演奏
現代フルート(Robert Dick) とバロック・フルート (Lorenzo Cavasanti) での演奏 2000年録音 | 解説や楽譜と全演奏を収めたMMCD(DVD) |
前述の3人の名手たちによる演奏を聴いているときに、たまたまネット上で見つけたのがこのレコード。
まるで見映えのしないジャケットと、聞いたことのない演奏家とイタリアの Callisto Records からの二つの楽器による演奏なのに何故か3CDとあるのが気になって入手しました。
3枚目のCDはなんとMMCD : マルチメディアCD ; 1994年にDVDに音楽を収めるフォーマット争いで、SONYとPhilipps が 松下・東芝の DVD-Audio に対抗して提案したものです。
このフォーマット競争は1995年にDVD規格として統一されたので、MMCD・DVDが世に出る筈はなかったのに、2000年にイタリアから幻の企画で発売されたのか不思議です。
この MMCD にはその名の通り実に様々な情報が収められている :
12曲全ての楽譜、イタリア語、フランス語、ドイツ語、英語の解説、録音中の様々な様子の写真、おまけに2枚のCDの録音がMP-3ファイルの128kbps の圧縮版で収められている、まさにMMCDの全ての機能が使われています。
幻とはいえ、内容は殆どDVDそのものですから、パソコンでMMCDの全てを開いて見ることができます。
ただし、最近の新しいブルーレイ・プレーヤー、マルチメディア・プレーヤーでは、MP-3ファイルの音楽は再生できますが、その他の映像や、4か国語の解説、写真などは開けません。
解説を読むと、このCDおよび Callisto Records はボローニヤ大学にて企画され、バロック音楽の演 奏と録音を CD と MMCD とで発売することを目的に設立され、その第一弾がこの3枚組のCDだったということです。
見映えのしないジャケットも彼らの手作り、録音も自らが手がけているという、しかし意欲的なCDなのです。
別途、ネットで調べたところ、3年間で10枚ほどの CD/MMCD を発売した後に解散されたようです。
肝心の演奏ですが、いずれも、冒頭の3枚の名演奏と比べて遜色のない見事なもので感嘆させられました。
モダーン・フルートとバス・フルート、ピッコロと種のフルートを使い分けて演奏しているロバート・ディック (1950~) は、アメリカで活躍しているフルート奏者で、フルート史の中の8人に数えられているほどの名手とのこと。
実際、ふくよかな音色でテレマンを縦横無尽に演奏していて、ランパルの名演奏に比肩する出来映えです。
何と、このCD集の録音技師も兼ねているロレンツォ・カヴァサンティ (1962~) は、 392Hz ピッチのバロック・フルートとアルト・リコーダー、そしてソプラノ・リコーダーの3本の楽器で録音していますが、これまた前述の演奏家達に比肩する名演奏です。
無名の演奏家と思っていましたが、あんまり見事なので調べてみると、欧州のレコード・ラベルに、バッハ、テレマン、ヘンデル、ヴィヴァルディ、等々のバロックの室内楽、独奏曲、協奏曲を数十枚出している程の広範な活動をしていることが分かり、なるほどと思いました。
と、このMMCDにて全曲の楽譜を見ることが出来ました。
1本の管楽器だけですから、確かにそんなに演奏が難しいわけはありませんが、しかし、名人が演奏すれば、ドレミファソラシドだけであっても美しい響きで堪能させられるのが音楽というもの。
音楽に少しでも心得のある人なら誰でも演奏を楽しめることを前提に、しかしそれなりにテレマンが才能の限りを尽くして作曲した幻想曲集を、こうして様々な楽器の達人たちが繰り広げる演奏の競演には改めて感嘆させられます。