美しきもの、見し人は
無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲(Twelve Fantasies for Violin Solo)
G. P. テレマン( Georg Philip Telemann : 1681-1767)
今井信子のヴィオラ演奏 2003 年録音 | アルチュール・グリュミオーのヴァイオリン 1970年録音 |
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Théâtre La Musica 、La Chaux de Fonds, Swiss |
ショー・ドゥ・フォンの音楽堂
ゲオルク・フィリップ・テレマンはヘンデル(1685 - 1759)やバッハ(1685 - 1750) と同時代の作曲家です。
バッハとは家族ぐるみの交友関係にあり、ヘンデルとはライプツイッヒ大学時代の学友でした。
3人共に、当時としては相当に長生きをしましたが、とりわけテレマンは、40歳の1721年以降、ハンブルグにて生涯の残りの46年間を市の音楽監督として過ごし、膨大な数の曲を残したことで知られています。
資料によると1400曲以上の教会カンタータ、オラトリオと受難曲が120曲以上、オペラが40曲、管弦楽の序曲と組曲が600曲、その他の協奏曲。独奏曲とを合わせて合計で4000曲にもなるとのこと。
これは多作で知られるヴィヴァルディーの700曲、ヘンデルの600曲、バッハの1100曲と比較しても桁違いに多く、20世以降、全曲の整理が進められていますが、遅々として進まず、22世紀中に終われば良いといわれているほどです。
とりわけ声楽の独奏と合唱のそれぞれソプラノ、メゾソプラノ、アルトとテノール、バリトンとバスとが加わる教会カンタータ、オラトリオと受難曲にオペラとは、作曲するパートが器楽だけの曲と比べて倍増しますから、それだけでも1560曲というのは想像を絶する作業であったに違いありません。
生前はバッハを遥かに凌ぐ人気作曲家だったテレマンですが、死後すっか忘れ去られてしまい、1960年代になってようやく、“ターフェル・ムジーク(食卓の音楽)” ”ハンブルクの潮の満ち干”といった一部の器楽曲が演奏されるようになった次第です。
今回取り上げた”無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲” はオルガン、リュート、チェンバロ等の名手であり、とりわけヴァイオリンとリコーダー(縦笛)演奏では名人級と言われたテレマンが自由な発想で作曲した幻想曲です。
というと、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタを連想させるかもしれませんが、しかし、技術的にも、音楽的な意味からも、全く異なる曲集です。
恐らくテレマンはバッハのように、生涯をかけて対位法の技法を極めるなどという意図を決して抱いたりしなかったのでありましょう。
もちろんロマン派の作曲家のように、自身の感情やら、激情や憂鬱やらを音楽で表現しようともしなかった。
テレマンは職人としての作曲家に徹して、ハンブルグの音楽監督と6つの教会の楽長を同時に努め、毎週行われるミサ曲やらカンタータ、オペラ等をあたかも現代の工場でベルトコンベアで大量生産される工業製品のように作曲しまくったのでした。
そうした合間に、得意とするヴァイオリン、チェンバロ、リコーダーのための、自由な発想に基づいた12の幻想曲集を残したというわけだ。
が、これらの曲集も、それぞれの楽器の特徴と演奏技巧を対位法によって至高の高みにまで洗練させたバッハの同様の無伴奏曲集とは大いに異なる。
テレマンが目指したのは一般的な音楽家でも容易に演奏できる多声的な要素を盛り込んだ即興的な小器楽曲集だった。
したがって、当時興隆してきた富裕な中産階級の音楽好きにも容易に受け入れられる演奏が容易な曲集であり、それゆえ楽譜は飛ぶように売れたに違いない。
一方バッハと言えば、ケーテンの片田舎の宮廷の楽長であり、オルガンの名手としての評価こそあったが、当時のヨーロッパではほとんど無名の作曲家であり、もっと高い地位を求めはしたもの決して叶わず、没後は100年有余、すっかり忘れ去られていたのだった。
何しろバッハの無伴奏曲ときたら、一見すると易しそうだが,ひとたび演奏しようとすると、早くも第一小節から立往生させられるほど演奏困難なものばかり、当時の音楽からは演奏技巧の練習曲に過ぎないと看做され、演奏会で演奏されることもなかった。
と、長々と書いたのは、テレマンの曲がつまらないと貶めるためでは決してありませぬ。
少なくとも、18世紀の前半世紀を当時隆盛にあったハンブルグという大都会にて音楽監督として君臨した作曲家の曲に全く価値がない訳がないのです。
ただ、至高の高みにあるバッハの無伴奏曲集と比べるものではないということなのです。
ここでは、20世紀に流麗な音色と洗練された味わいとで一世を風靡したアルチュール・グリュミオーと、ヴィオラの演奏にかけては屈指の名人、今井信子とが演奏するとどういうことになるかという良きお手本を紹介する所以です。
いずれの演奏でも、作曲者のテレマンが意図したとおりに、ひたすら音楽だけが空間にあふれ広がり、1時間余りの至福のひと時をくつろいで過ごすことができるという稀有な体験なのです。
それこそはテレマンが目指した音楽というもの。
アルチュール・グリュミオーは1970年に、今井信子は2003年に、奇しくも、スイスのフランス国境に近いジュラ山脈中の、高級時計の生産地として名高いショー・ド・フォンの音楽堂にて録音しています。
観客数1186人のこじんまりした瀟洒な音楽堂は室内楽や独奏楽器の演奏には最適な音響特性を持っているのでしょう。
このレコードは何と SEIKO EPSON から出ている !!!
今井信子は他にも多くの曲の録音をこのホールで行っています。