宝石読本

 

3.支配者の宝石  ー ダイアモンド −

 

 2) 21世紀ダイアモンド市場の展望

 

 2000年7月12日、デ・ビアス社は1933年以来維持してきた世界のダイアモンド原石の需給調機能を緩和すると発表した。
 これは事実上の価格維持政策を放棄することであり、宝石業界のみならず,一般の新聞やテレビなどでも衝撃的なニュースとして取り上げられた。
 一般の反応としては、短期的なダイアモンド価格の動向が話題となり、長期的にはデ・ビアスの支配力低下によって高品質ダイアモンドが値下がりする。
 日本経済新聞などでは、在庫過多による、デ・ビアス社の株価低迷等々、もっともらしい解説が取り沙汰されていた。
 が、こうした観測には21世紀のダイアモンド生産と市場との展望とが決定的に欠けている。
デ・ビアスの発表の背景には,21世紀の世界のダイアモンド市場の展望に基づく明確な戦略があるのだ。
 何故なら、一般に考えられている様にデ・ビアス社が市場の80%を支配していると言うのは1995年末までのことであり、現在では既に全生産量の40%,金額では50%にまで低下してしまっているのである。 
 もちろん,単一商品で市場の50%も支配していれば依然として市場の覇権を握るには十分な数字である。
 こうした状況を認識した上で、デ・ビアスが21世紀への新たな方針を示したのである。

 だが、この5年間に何が起こったのか、また今後は如何なる展望が開けるのか ? 

 それが今回の主題である。
ロシアの反乱

 
1950年代末に,シベリアで巨大なダイアモンド鉱脈が発見されて以来、ソビエト連邦は世界のダイアモンド生産の数量で10%、金額では16%に相当するダイアモンド原石生産の全量を、独占資本の象徴とも言えるデ・ビアスのカルテルを通じて販売して来た。
 それは,共産主義国といえども、デ・ビアスの市場支配力と,それによる価格の安定を無視する事が出来ず、販売を全面的に依頼するしかなかったためである。
 だが,1991年のソ連の崩壊後の経済の混乱の中で、貴重な外貨獲得資源であるダイアモンドを、みすみすデ・ビアスに渡して、膨大な利潤をピンはねされることは我慢がならなかったに違いない。
 1995年末の契約終了を機に、デ・ビアスとのダイアモンド原石の独占販売交渉の打ち切りを宣言し、原石と自ら研磨した宝石ダイアモンドの直接販売に乗り出した。
 当時、量で世界第4位、金額では世界第2位の地位にあったロシアでこそ可能な強硬手段であった。
 だが、デ・ビアスとの取引を完全に打ち切ったわけではない。
実際にはかなりの原石をデ・ビアスのルートでも流してはいたのである。
 2年間の空白と世界のダイアモンド市場の少なからぬ混乱の後に,1997年10月、14ヶ月を期限とする新契約が両者の間に調印された。がそれはかつてのような独占販売契約ではなく,ロシア側が50%を自由に販売できると言うデ・ビアスの主導権が大幅に後退した条件であった。

オーストラリアの反乱

アーガイル鉱山 砂粒のような低品質ダイアモンド 極めて稀なピンク・ダイアモンドが採れる


 平行して1996年6月、生産量では世界の40%の年間4000万カラットを生産するオーストラリアのアーガイル鉱山がデ・ビアスを通さず,全量を自前で販売する旨宣言した。
 アーガイル鉱山産のダイアモンドは平均0.1カラットと小粒で,しかも95%が工業用に分類され、原石の平均単価はカラット当たり8〜9ドルという低品位の原石である。
(ただし、一万個に一個の割合で,世界の80%を占めるピンクのダイアモンドを産する。) 
 つまり、アントワープやニューヨークなど,先進国のカッティングセンターでは加工しても採算の合わない,したがって従来は宝石用には用いられなかったものである。

 ところがアーガイル鉱山は原石の大半を宝石用として直接インドに売ることが出来た。
 1980年代以降、1時間当たりの平均賃金が4セントという低賃金を武器に、インドのダイアモンド研磨産業は急速な発展を遂げた。
 現在では世界のダイアモンド研磨の個数で80%,重量で70%、金額でも40%と圧倒的な地位を築くに至った。
 その原動力となったのがかつては工業用に回されていたアーガイル産の低品質の原石の宝石用途への研磨加工であった。
 かつてはダイアモンド原石のおよそ20%が宝石用,残りが工業用と分類されてきたが,それは必ずしも原石の質だけの問題ではなく,あくまでも採算を基準にした分類であった。
 現在では原石はそれぞれ20%の宝石用と40%の準宝石質(カット可能)と残りの工業用途の3種に分類されている。
 即ち低賃金のインドでカット可能な準宝石質ダイアモンド研磨産業の発展によりダイアモンド原石の宝石用途への比率を拡大し、宝石ダイアモンドの供給を急増させたのだ。

 さて、過去にデ・ビアスがダイアモンド原石の供給を独占することが出来たのは次のような事情がある ;
 ダイアモンド鉱山の探鉱と開発,維持等には高い技術力と膨大な資金とが必要となる。
とりわけ原石の大半が発見される未開発国ではそれらのいずれも持たないため,デ・ビアスが全面的に関わって、ダイアモンド鉱山の開発と生産とが行われて来た。
 強大な資本力こそがデ・ビアスに対抗する勢力の出現を悉く退けてきたのである。
 ところでアーガイル鉱山については、RTZ (Rio Tinto Zinc) と言う世界第1位の英国鉱業資本が58%、またアシュトン鉱業という,こちらもカナダ資本で世界第4位の鉱業資本が38%と言う構成の株主が背景に在る。
 デ・ビアスに十分対抗可能な資本力があってこそ、独立宣言が可能になったのである
デ・ビアス社の市場支配放棄の第1弾

 1998年初頭、ロンドンでのファイナンシャル・タイムス・第2回ダイアモンド・コンファレンスにおいて、デ・ビアス社は4分の3カラット(カットすると5分の1カラットとなる)以下の原石を在庫は持つが価格コントロールを行わないと宣言した。
 これは量的にはCSO(デ・ビアス社の販売部門)の取り扱い量の3分の1を占める原石である。
この宣言は事実上,これまで全てのダイアモンド原石の市場コントロールを行ってきたデ・ビアス社が、ダイアモンド・ビジネスの質的な変化を認識し、新たな戦略を立てざるを得なくなったことを意味した。

 1970年の価格を100として、1998年9月のダイアモンドの価格とを比較すると、2分の1カラットでは280だが5分の1カラットの場合は108と,この間のインフレ率を考慮すれば暴落と言っても良いが、この事実こそはダイアモンドの市場の劇的な変化を物語る。
 その主役はかつては工業用だった小粒の褐色の石の登場でである。
したがって、必ずしも1970年当時の石との同等の価格の比較にはならないが、こうした低価格のダイアモンドの氾濫は、もはやダイアモンドがかつてのような特別の宝石ではなく,普通の商品になってしまった事実を物語る。
 それはとりもなおさず,ダイアモンドの同義語でもあったデ・ビアスと言う神話の終焉を告げる出来事でもあった。


デ・ビアス社の市場支配の全面的な放棄宣言

 
そして,2000年7月12日、ついにデ・ビアス社の全面的なダイアモンド原石市場での価格調整機能の放棄宣言に至ったのである。
 だが、それは必ずしもデ・ビアス社のダイアモンド市場支配の放棄を意味するわけではない。
 それどころか、宣言後間もない9月に,あろうことかアーガイル鉱山の38%を有するアシュトン鉱業に対し5.13億豪ドル(約308億円)での買収を仕掛けたのだ。
 アーガイル鉱山の最大手株主である RTZ 社は直ちに6億豪ドル(約370億円)の提示で対抗した。しかし10月初旬デ・ビアスは新たに買収金額を45%増の7.45億豪ドル(約447億円)に引き上げた。 
結局 RTZ は対抗しきれず、10月11日アシュトン鉱業はデ・ビアスの傘下に入ることとなった。
 デ・ビアス社は現在約40億ドル相当のダイアモンド原石在庫を持っていると考えられる。
さらに、ほぼ同じ金額の預金があると見られる。
 そのおよそ10%を取り崩してまでアシュトン鉱業を支配しようとする目的は何だろうか ?
 まもなく寿命が尽きようとしているアーガイル鉱山(2005年には現在の露天掘り鉱脈は枯渇する。
 地下の鉱脈の採掘は技術的には不可能ではないが,低品位の鉱山への更なる投資は採算が合わないと見られる)が目的では、もちろんない。
 デ・ビアスの狙いは、新たなる資源の確保によって、21世紀に依然として世界のダイアモンド市場での覇権を維持し続けることに違いない。
 そのためにはアシュトン鉱業が展開している世界各地での新しいダイアモンド産地も確保する必要があるのだ。

アシュトン鉱業が展開中の主な採掘と探鉱地域 ; 

カナダ,アルバータ州  :
 
 
アシュトン鉱業が1997年に24本のキンバリーパイプを発見。うちK14パイプは100トン当たり17.4カラットの品位が記録されている。
 ただし発見された最大の1.31カラットの原石は工業用品質。
 実はデ・ビアスも1970年代央から同じ地域での探鉱をしていたが、有望な鉱脈発見に至らなかった,という経緯がある。
 アルバータ州はカナダ北極圏と並ぶ有望なダイアモンド鉱脈発見が期待されている地域である。

アンゴラ,Cuango鉱区 : 

 アシュトン鉱業が3分の1の資本投下。1998年の生産額は1億4200万ドル。
 アンゴラの鉱山は漂砂鉱床で生産量は少ないが、90%が宝石質で、2カラットを越す大型の原石が多く,カラット当りの単価が300〜800ドルと際立って高いのが特徴である。 
 ここでの生産量は以前から全量がデ・ビアスへ売られていた。              
オーストラリア, Merlin鉱区 

 1999年の生産量20万カラット。 21世紀以降15〜30万カラット/年の生産が見こまれる。
生産量は少ないが単価がカラット当たり150ドルと高品質である。

フィンランド、カレリア地区 

 現在最も注目を集めるロシア・アルハンゲリスクに隣接する鉱区。
アシュトン鉱業は既に15のキンバーライト・パイプを発見している。
 と、アシュトン鉱業の有する21世紀のダイアモンド資源の大きな可能性に触手を伸ばしたものである。
 デ・ビアス社自身もアフリカを中心に有数の鉱山を支配しており,さらにカナダの北極圏と,ロシア,アルハンゲリスク白海湾周辺の、21世紀にはそれぞれ世界のダイアモンド生産の10%と25%とを担うと見られる鉱区での、積極的な探鉱と開発とに参加している。
 にも拘わらずこうしてアシュトン鉱業の開発鉱区までをも傘下に入れようとしているのは、さらに巨大なライバルに伍して21世紀のダイアモンド市場での覇権争いの主導権を握りつづけようとする決意の表れに他ならない。
 
では、デ・ビアスさえも脅かすライバルとは誰か ?


百年の支配の歴史と終焉


 デ・ビアスが19世紀末以来,100年に及ぶ世界のダイアモンド市場の供給と在庫とを独占し、価格を支配して来たことは周知の事実である。簡単に,その歴史を辿れば以下のようになる ;
 かつてダイアモンドの供給源は、2000年以上も昔からインドのゴルコンダとボルネオの漂砂鉱床からの細々とした生産とが全てであった。
 その供給量はせいぜい,年間1万カラット程度であったと推定されている。 
 そんなにも少なければこそ、ダイアモンドは王族や強大な資本力を持つ財閥等、限られた支配層だけが手にすることのできる、宝石の中の宝石であった。
 ところが1725年にブラジルで最初のダイアモンド漂砂鉱脈が発見され、18世紀の半ばから年間10万カラットを超える量が供給されるようになると、稀少な宝石のダイアモンドが一般の富裕階層の間にも広く浸透し始める。
 それからおよそ一世紀後の1867年、南アフリカのキンバリーにて初めてダイアモンドを豊富に含む,キンバリー・パイプと呼ばれる鉱脈が発見された。
 同様のパイプや漂砂鉱床はアフリカの他の20ヶ国にも次々と発見され,ダイアモンド供給は爆発的に増加した。

  ダイアモンドの生産は前述の様にブラジルで漂砂鉱床が発見されて以来飛躍的に伸びたが、19世紀末、アフリカでのキンバリー・パイプという鉱脈が発見されると1870年の30万カラットが1880年には300万カラットへ、そして巨大なプレミア鉱山が発見されると1910年には600万カラットへと倍増した。
 その後アフリカ各地での鉱山発見が相次ぎ、1960年には2800万カラットと増加。
 そして1960年代シベリア各地に大鉱脈が発見され、生産量は1970年に4200万カラットに増加した。
 さらにボツワナのジュワネン、オラパの2大鉱山の発見とで生産は6000万カラットへ増加。
 1980年初頭には奇しくオーストラリア北西部、その名もキンバリー高地にアーガイル鉱山が発見され、1990年代の生産は遂に1億カラットの大台に達した。 
 1億カラットの原石からカットされる宝石用ダイアモンドは1500万カラットに達するが、これは他のあらゆる宝石を凌ぐ圧倒的な量である。
 ダイアモンドは稀少な宝石どころか,実際は他の主要な宝石と比べて最も供給量の多いありふれた宝石なのだ
 
ダイアモンド生産の推移


 にもかかわらず,依然としてダイアモンドが宝石の中の宝石として君臨しているのは,とりもなおさずデ・ビアスと言う一企業がその供給を一手に握り,価格をコントロールして来たからに他ならない。
 一般に,デ・ビアスと言えば独占と市場支配と言うイメージが強くあたかも悪の帝国のように思われている。
 だが,冷静に振り返れば、19世紀末から20世紀末までの激動の1世紀に渡り、1億カラットにも達する巨大な世界のダイアモンドの生産と在庫と市場での流通を、さしたる混乱もなく支配してきた実力を正しく評価するべきであろう。
 ダイアモンド採掘の黎明期に小さな鉱山主から身を起こしたセシル・ローズが身をもって体験したのは、生産の急増によって引き起こされた乱売であり、それによる鉱山経営の不安定と倒産への危惧であった。
 そのために他の鉱山を次々と買収して生産をコントロールし、市場の秩序を回復しようと、1888年に設立したのが、デ・ビアス社である。
 適切な生産と在庫調整による市場での価格の安定のみが、生産者と販売者とそして消費者と、関連する全ての人々のダイアモンドへの信頼を確立する唯一の方法であると、セシル・ローズは確信していた。
 だが、それは徹底して推し進めなければ意味がなく、余りにも見事に成し遂げた結果,世界に冠たる独占支配体制が出来てしまったのである。
 今日、余りにも名高いデ・ビアス社の独占販売システムを行うCSO(中央販売機構)が設立されたのは、1934年の大恐慌によるダイアモンド相場急落の後である。
 この独占支配を始めたのはセシル・ローズであるが,それを今日見られるような比類のないシステムにまで仕上げたのは、世界最大の金と白金の生産者でもあるアングロ・アメリカンの創設者,オッペンハイマーが、第一次世界大戦後にデ・ビアスの経営に参加して以来のことである。
 以後デ・ビアス社は代々、オッペンハイマー一族の運営で一層の発展を遂げて来たのである。

デ・ビアスの卓越したマーケティング戦略

 デ・ビアスを語る上で忘れてはならないのは、独占支配もさる事ながらその卓越したマーケティング戦略である。
 一口に独占支配とは言っても、結局ダイアモンドを買うのは一般の消費者であって、彼らは別に強制されてダイアモンドを買っているわけではないのだ。
 消費者のダイアモンドへの信頼を保ちつつ、絶えず購買意欲を喚起しつづけることがデ・ビアスの至上の役割でもあった。
 その凄さは、激動の20世紀を通して、その間300倍以上にも生産が増大したダイアモンド原石の生産と在庫と価格とをコントロールしながら、常に消費者の信頼を損なうことなく、さばき続ける事に成功したことである。
 世界のマーケティング史上、空前絶後の成功と言っても過言ではない。
19世紀英国での産業革命を期に出現した豊かなビクトリア・エドワード時代の英国を始めとする欧州を手始めに、次は第一次大戦と第二次世界大戦とで急速に国力をつけたアメリカを,そして第二次世界大戦後に高度経済成長を遂げた日本と、いずれも豊かな中産階級を対象に、ダイアモンドの高級なイメージと値上がりによる着実な資産形成と言う,夢と実利とを織り交ぜた巧みなキャンペーンを、ダイアモンドと言う唯一の商品を大量に販売するために展開してきたのである。
 ところで、デ・ビアスが扱うのはあくまでも原石だけである。
ルースはもちろん直接消費者の手に渡るダイアモンド宝飾品も、自ら扱っているわけではない。
 にもかかわらず、デ・ビアスは日本だけでも毎年数十億円、全世界では年間300億円もの広告費を投入している。
 何故なら、いずれにせよ殆ど全ての生産と在庫とを支配している以上、末端の宝石店の販売を促進するために、絶え間ない需要の喚起が必要なのである。

 最近、デ・ビアスは自らのブランドと直売店舗での宝飾品の販売を開始した。
しかし、直売だからと言っても他の宝石店と比べて安いわけではなく、むしろ限られた最高級品に絞っているため、あくまでも市場の反応を見るための試みに過ぎない。

 一般に宝石店というのは意外と零細企業であって、巨大な広告費を投じて自らキャンペーンを展開する余裕などないのが実情なのである。
 
 一般消費者が求めるのはルース(裸石)ではなく宝飾品としてのダイアモンドである。
したがってデ・ビアスの持ち株会社であるアングロ・アメリカンにとってはダイアモンド宝飾品が売れれば、即ち金や白金の販売増につながる。
 金と白金とを支配するオッペンハイマーのアングロ・アメリカン社がデ・ビアスに参画した意図はまさにそこにあった。
 その成功がデ・ビアスの強大な力の源となり、その力があらゆる対抗者の出現を阻止して来たのである。
 まさに貴金属の支配者、アングロ・アメリカンとダイアモンドの支配者のデ・ビアスとの絶妙な結婚とが、今日の独占的な市場支配を誕生させたと言っても過言ではない。 


新たなダイアモンド市場秩序の形成


しかしながら,20世紀の終わりに至って、遂にデ・ビアスに拮抗する力を持つ対抗者たちが次々台頭して来たのである。

 最初が1995年の国家の力を背景にしたロシアのデ・ビアス・シンジケートからの離脱宣言である。
 ロシアはこの離脱の後、彼らの発表によると20億ドル(本当か?)を投下して水没やメタンガスの噴出で廃坑同然となっていたザルニツァ(Zarnitsa)とアイハル(Aikhal)の二つの主要鉱山を1998年と99年に相次いで復活させた。
 さらに21世紀の主力鉱山となる ジュビリアナ(Jubileyana)鉱山を1999年に本格的に稼動せた。
 同じく1999年にブツアビンスカヤ(Butuobinsukaya)とヌルバ(Nyrba)の2新鉱山も立ち上げるなど、猛烈な勢いでダイアモンド生産の拡大体制を整えた。
 それに加えて、膨大な埋蔵量を有すると推定されているアルハンゲリスク・白海湾地域のダイアモンド鉱床と、モスクワ南方200kmのツーラ(Tula)、500kmの クルスク(Kursuk)、ヴォロネジ(Boronezh)等々、新たなダイアモンド鉱脈の予想される地帯を自ら、あるいは海外のデ・ビアス等も含むあらゆる企業との合弁会社の設立等々、精力的な開発を進行中である。

永久凍土地帯のアイハル鉱山 高品質のシベリア産ダイアモンド ロシアの主力、ウダチナヤ鉱山

 次に1996年、年間4000万カラットを生産する世界最大のダイアモンド鉱山、オーストラリアのアーガイル鉱山がデ・ビアスのシンジケートを離脱し、生産された原石全量を独自に販売すると宣言した。
 アーガイル鉱山は英国の世界最大の鉱業資源会社、RTZ (Rio Tinto Zinc) が57%、カナダの鉱業資本、アシュトン鉱業が38%を出資する。
 RTZグループは9億カナダドルの資金を投下してカナダの北極圏 Lac de Gras(獣脂湖)湖底のDiavik鉱山の開発に成功し,2001年から年間800万カラットの原石(カラット当り平均単価が56ドル)を全量、独自のルートで販売する予定である。
 またインドでも現地の企業と合弁でダイアモンド探鉱を行っている。

・同じくRTZと並ぶオーストラリアの鉱業資本、BHP (Broken Hill Pty) も同じカナダ北極地域にその名も現地語で獣脂湖を意味するEkatiダイアモンド鉱山の開発にいち早く成功し、1998年年産200カラットの生産量にて世界のダイアモンド・ビジネスに参入してきた。
 2000年以降は生産を倍増し、以後25年間で1億カラットの出荷を見こんでいる。
この鉱山の原石も平均単価が84ドルとかなりの高品位である。
 が、BHPは生産量の35%をデ・ビアスのシンジケートにも販売している。 
 恐らくダイアモンド市場に参入したばかりで、直ちに全量を自力で売るだけの販売力を持たないためであろう。
 2002年10月初旬、BHPはしかしEkati鉱山産ダイアモンドのデ・ビアスへの供給契約を年末で打ち切ることにしたと発表した。
 3年間の販売経験を経て、370万カラットに達している年間生産量の全量を自力で販売する流通網が確立出来た為である。
 予想された事態であり新聞記事で強調されるような ”デ・ビアスのダイア価格形成力に打撃”などありはしない。
 デ・ビアスの市場シェアと利益がほんの少し低下し、BHPグループの利益が直接販売する分だけ増えるだけである。
 またBHPグループは、ロシア、アルハンゲリスク地区での開発にも米,カナダ社との共同開発を進行中である。



 
カナダ北極圏Ekatiダイアモンド鉱山 Ekati鉱山産ダイアモンド原石とルース
 因みにデ・ビアスもその持ち株会社のひとつアングロ・アメリカンは世界最大の金鉱山を持ち,さらにその傘下アムプラッツ及び資本提携関係にあるロンローと合わせて白金でも世界の過半数を支配している。
 デ・ビアスグループも,歴史的な勢力範囲を持つアフリカ以外に,前述のカナダ北極圏、ロシアのアルハンゲリスク地区に単独あるいはロシア政府との合弁等,それぞれ1000億円近い資金を投下して調査、探鉱と開発とが進行中。

デ・ビアス直轄の南ア,フィンチ鉱山 世界最大のナミビア・ジュワネン鉱山 高品質のナミビア海岸の漂砂鉱山


 このように、怒涛のようなダイアモンド資源の開発が上記のロシア、RTZ,BHPそしてアングロ・アメリカン/デ・ビアスと屈強の世界の四大鉱業グループによって進められているのである。
 とりわけこれまで、石炭、鉄鉱石、金、チタン、銅、アルミニウムなど資源関連で世界最大級であった後発のRTZとBHPの2社はダイアモンド・ビジネスへの積極的な投資が目覚しい。
 何故,彼らがダイアモンドの領域への進出を決断したのか ?
思うに、第一次産業である鉱業資源は、市況によって商品価格が激しく変動するため、生産者が価格をコントロールすることが困難だ。
 従って鉱山開発や維持のための膨大なコストにも拘わらず利益が出にくいのである。
 一方ダイアモンドはアーガイル鉱山の経験から、デ・ビアスが実質的に市場を支配しており、安定した末端の消費市場と直接つながるため、利益率も高い。
 BHPもRTZの成功を見て、産業資源だけに留まっていたのでは結局鉱業資本間の競争に勝ち残れないと判断して、ダイアモンドに参入してきたことは間違いない。
 即ちダイアモンドがその他の地下資源と並ぶ重要な鉱業資源として位置付けられた証である。

史上最大のダイアモンド市場の出現

 こうして、世界の鉱業資本が競ってダイアモンド資源への投資を強化しているのは、21世紀に出現する史上最大のダイアモンド市場に的を絞っているからである。

それは、インドと中国を中心とするアジアのダイアモンド市場の台頭である。

 前述の様に、20世紀に入ってからは、ダイアモンド産業は、かつての王侯貴族や一握りの富豪相手ではなく、豊かな中産階級へ大量に販売することで驚異的な成長を遂げてきた。
 さて、こうした世界の消費者が所有するダイアモンドの総量は20世紀末で3億カラットと、現在の供給量の20年分にまで達していると推定される。 
 これらの在庫はデ・ビアスのキャンペーンのうたい文句のとおり、永遠に不滅であり,大半は親から子へ,子から孫へ・・・・と、価値ある資産として代々受け継がれて行く。
 ただし、株や不動産の様に自由に売買できる資産ではない。
個人が自由に売買できるような市場が存在しないためである。 
 消費者が資産と信じて所有しているだけともいえるだろう。
 即ちダイアモンドとは膨大な量がひたすら蓄積されて行く一方の、独特の商品でもある。
一つの市場が飽和してしまえば、それ以上の販売の大きな伸びは期待できない。
 デ・ビアスが次々と新たな市場に狙いを定めて開拓してきた所以である。

 そして21世紀こそは、それぞれ14億人と10億人という巨大な人口をもつ中国とインドとを中心とするアジア市場が台頭してくる。
 いずれもかつての閉鎖的な経済を開放政策へと転換し、目覚しい経済発展を遂げつつある。 すなわち、膨大な中産階級が生まれているのである。
IT産業の振興が目覚しいインドだけでも21世紀初頭に3億人の中産階級が生まれると言われる。
  中国でもすでに北京,上海、広東などの先進地域では、欧米や日本に相当する豊かな中産階級が生まれており,その背後にはそれに数倍する人口が、豊かな生活への期待を込めて待機している。
 そして,中国人、インド人ともに,無類の宝石と貴金属好きな事は周知の事実である。
 その背景には,度重なる戦乱や飢饉,自然災害などを経て、常に金や宝石を身に着けて、何時でも身軽に世界の何処へでも避難して来た永年の経験によるものだ。
 21世紀に間違いなく世界を襲う、食料、水、エネルギーの基本的なライフラインの不足は、とりわけ膨大な人口を抱えるインドと中国では危機的な状況になると予測されている。
 さらに政治的にも、パキスタンと戦時状態にあるインドしかり、共産主義下の市場経済と言う体制で、国内に看過し難い矛盾が高まりつつある中国しかり。
 過去に、様々な危難により海外に多数の華僑や印僑人口を持つ二国で、同様な事態が何時でも起こり得るとは、危機に敏感な彼ら自身が最もよく知っていることである。
 となれば、来るべき避難に備えてダイアモンド以上に相応しいものがあるだろうか ?
 仮に1億円の財産を持って避難するとしよう ;
 金では100kgと、身軽に逃げるには重過ぎる。
 インド・ルピーや人民元の札束など嵩張るだけで、紙くず同然。
 では中国やインドで人気の翡翠やルビーではどうか ? 
 確かな本物の逸品ならともかく、とりわけヒスイとルビーとは合成品や人為的に加工された紛い物が氾濫している宝石なのだ。
 余程の専門家が調べないと正しい評価が出来ない。
たとえ本物としても、世界市場に翡翠やルビーの価値を客観的に評価する基準が存在しない。
 唯一、ダイアモンドだけが、良く言われる4C(カラー,カラット,カット、クラりティー)の客観的な価値基準が確立されており、またダイアモンド・テスター等の簡単な機器で、贋物や類似宝石との識別も容易に出来る。
 現実には数量が限られている超高品質のルビーやサファイア等にも、とりわけ中国の富裕層の需要が殺到していて、この数年恐ろしい値上がりが起こっている。

 デ・ビアスが100年に渡り、営々と築いて来た秩序あるダイアモンドビジネスの蓄積がまさに、こうした局面でこそその真価を発揮すると言えるだろう。
 しかしながら、今度ばかりはデ・ビアスがその成果を独占的に享受することは出来そうもない。 
 新興勢力が、その成果にただ乗りしようとしているのである。
獅子の分け前を巡って、ハイエナたちとの壮絶な戦いが展開されるのは間違いない。

 が、この争いは決して泥沼の価格競争にはならないだろう。

 何故なら,ダイアモンドの需要と供給のバランスは長期的には供給不足になることが明らかだからだ。
 ひとたび中国とインドの市場とが立ち上がれば,現在の年間1億カラットの生産では明らかに品不足になる。
 21世紀の世界のダイアモンド生産の展望については、別途述べる予定だが、まず、現在稼動中の鉱山の多くは鉱脈が枯渇して生産が減って行く。
 ダイアモンド鉱山の寿命は平均して20〜30年程度である。
 アフリカや、新たに探鉱や開発が進行中のカナダやアルハンゲリスクで等の鉱山の生産とが全て順調に行ったとしても,現在の年間1億カラットの生産水準が減る事はあっても超える事はないと予測されている。
  品位の高いアフリカ各地の鉱山を持ち、高品位の原石の50%を押さえるデ・ビアスが今後も市場の価格支配権を維持し続けることも確かである。
 前述の様に対抗各者とも、それぞれの鉱山開発に1000億円近い資本を投下している。
加えて、鉱山は開発後にも新たな鉱脈の探鉱や坑道の維持、選鉱設備の改善等々、膨大な運営費用がかかるのである。
 したがって無用な価格競争を挑んで、いたずらに体力を消耗する愚だけは避けたいに違いないし、その必要も無いのである。 
 いずれにせよデ・ビアスが価格主導権を握り、市場を支配するのは明らかだ。 
新規参入者は、デ・ビアスのシステムと価格主導にただ乗りして、自らの利益さえしっかりと確保すれば良い。
 デ・ビアスにとっては,忌々しい限りだろうが、しかし、市場の秩序が保たれさえすれば、敢えて自ら波風を立てるまでもない。
 何しろ相手も巨大資本であり、闘いとなればお互いに無傷では済まないからだ。

 市場独占の地位こそは失ったものの、デ・ビアスの主導する秩序ある市場が今後も維持されると見るのが妥当な判断であろう。
 デ・ビアスを脅かすものがあるとすれば,それはアメリカ合衆国政府のお節介のみだ。
以前から,事ある毎にデ・ビアスの事業に独占禁止法の網を掛けようと虎視眈々であった。
 ところがデ・ビアスの拠点は英国、スイス,南アフリカと、外国で手が出ない。
 さらに21世紀にデ・ビアスとの暗黙の了解でカルテルを形成するのはロシア、英国,オーストラリアにカナダ資本と,いずれも外交にかけては百戦錬磨の国ばかり。
 加えて市場が中国とインドとなれば、どう悪あがきしても手が出ない。
 いみじくもデ・ビアスのオッペンハイマー会長が”独占は全員の利益である”と宣言する言葉はダイアモンドに関する限り、永遠に真実である。

 生産側にとっても、販売側にとっても、とりわけ消費者にとってもである。

 膨大な開発資金を投下している対抗各社にとって、今後の市場での価格の安定こそが最大の関心である。
 消費者にとっても価格の安定は重要であろう。
 何しろ世界の消費者の手元には毎年の供給量の20年分、3億カラットのダイアモンドが資産として死蔵されている。
 その価値が、バブル後の株式や不動産の様に見る見る下落して行く,などとは想像するのも恐ろしいではないか ?
 バブルの崩壊後にあらゆる物が価値を失って行く中で、せめてダイアモンドがくらいは未来永劫、価値ある資産としての地位を保って欲しいというのが人情であろう。

 かくして、百年の独占支配こそ終焉したが、しかしダイアモンドの支配者、デ・ビアスの地位は21世紀にも揺るがないのである。

 

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