宝石読本
帝王の宝石 − エメラルド −
II エメラルドの奇妙な流通事情
エメラルドの生産では質,量ともにコロンビアが支配的な立場にある事は前回説明しました。
ところで、そのコロンビアでのエメラルド鉱山での採掘から消費者の手に渡るまでの過程は、まさに魑魅魍魎が跋扈する世界と言っても過言ではありません。1. エメラルド採掘の現場にて
採掘した母岩層を均すブルドーザーと 見守るグワケーロ達 |
グワケーロの生活するテント | 老若男女とりどりのグワケーロ達 | 鉱山下流でのエメラルド探し |
上の写真はコロンビアのムソー地区にあるエメラルド鉱山の光景です。
この写真に写っている膨大な人々は一見鉱夫の様に見えます。
実際鉱夫には違いないのですが、大半は正規の鉱夫ではなく,実はグワケーロ(盗掘者)と呼ばれる泥棒達です。
エメラルドは黒色の頁岩の中を走る白い方解石脈に入っていますが、露天掘りやトンネルから母岩ごと採掘された原石をブルドーザーで均して採取されます。
しかし、こうした大雑把な方法では取りこぼしが出ますが,それを目当てにこうした不法な採掘者たちが万という単位で群がって来ます。
彼らは鉱山近くの川の下流や川岸等にて雨露を凌ぐだけのテント暮らしをしながら、昼も夜もこうして採掘されたエメラルドを掠め取ろうと、狙っているのです。
当然鉱山としても、盗掘者達を追い払うために管理者や私兵、警備員などを雇い、また正規の警察もいるのですが、実はこれら取り締まる側も盗掘者と一緒になって盗みを働いたり、分け前をピンはねしているというのが実情です。
ともかく,正規の鉱夫も取り締まる監督官も,もちろんグワケーロ達も・・と、”権兵衛が種まきゃカラスがほじくる” といった感じで,全員が群を成して襲いかかるカラスのような泥棒達なのですから始末に負えません。
鉱山町では、これらの人々を目当ての食堂、酒場、賭博場、果ては娼婦達とお決まりの活況を呈していますが、酔っ払いの喧嘩やエメラルドの奪い合い等で殺人沙汰は日常茶飯事、さながらマカロニ・ウェスタンの映画のような光景が繰り広げられているのです。
1990年頃にはさすがに落ち着いて来て、殺人は一日に1〜2件と、以前と比べれば格段に少なくなったのだそうです。
1975年以前に鉱山が政府の管理下にあった時代に,相当のエメラルドが採掘されながら,結局政府は膨大な赤字を出していたのですが、その当時の無法状態たるや想像を絶するものであったに違いありません。
2.エメラルドの買いつけと輸送
採掘されたエメラルド原石の一部はムソーの町でのオークションにかけられますが、ムソーへの往復が命がけの仕事なのです。
というのも、首都ボゴタから鉱山へのルートは1990年頃に空港が出来るまではヘリコプターか険しい山道しかありませんでした。
その山道にはしかし、行きは現金を,帰りはエメラルドを狙った強盗が待ち伏せしているのです。
車での往復には武装護衛が不可欠ですが、強盗も大勢で武装しているわけですから,必ずしも安全とは限りません。 一人や二人の殺人など決してニュースにはならないのがアメリカ大陸(北も南も)ですが、さすがに数十台の武装したジープのコンボイと強盗団との銃撃戦で10人の死者と大勢の負傷者が出たりすると、ボゴタではテレビのニュースや新聞で取り上げられます。
が、しかし現地では、あ、またかといった程度の反応です。
輸送の途中だけではなく、鉱山にて豊富な鉱脈発見!といった情報が入ると,強盗団は直接鉱山町を襲撃する事もあります。
双方とも機関銃などで重装備していますから、壮絶な銃撃戦と死傷者が出ますが、こうした凶悪な事件が偶にどころか、年に数回起きているのがコロンビアのエメラルド鉱山を巡る現実なのです。
3.ボゴタでのエメラルド取引さて、こうして取引の中心である首都のボゴタに無事到着したエメラルドの原石はその先、二つの経路で流れて行きます。
1) 一つは、この宝石読本の第1章”美しき贋物達”で紹介した,ボゴタの中心地ヒメ‐ネス通り近辺の路上で毎朝開かれる闇市です。
闇市というのは、ここに出まわるのはまず100%が前述のグワケーロや鉱夫,管理者などが盗掘したり掠め取ったり、奪ったりした原石や、それをカットしたエメラルド・ルースだからです。
明らかに盗品の取引が白昼堂々と行われているのですが、警察が取り締まった事はかつて一度も無かったとの事です。
ボゴタの中心地,ヒメ‐ネス通りにて毎朝開かれる路上でのエメラルドの取引 |
しかし、このヒメ‐ネス通りで取引される原石やルースの大半は低品質のエメラルドです。
ここで良いエメラルドを求めても、合成品とか、あるいはダブレット、トリプレット,さらにガラスやプラスチックのような贋物をつかまされる危険性が大きいのです。
2) 次はボゴタの中心地の高層ビル街にあるワールド・トレード・センターにて行われる高級エメラルドの取引です。
こちらは二重,三重の厳重なセキュリティー下にあり、世界のエメラルドのバイヤー専用の取引が行われます。
ボゴタの中心街にあるワールド・トレード・センター 取引される高級エメラルド
日本に入ってくるエメラルドの大半はこのワールド・トレード・センターにて扱われている高級品です。
日本の宝石取引の特徴は,高品質の宝石の比率が非常に高い事です。
とりわけエメラルドは、インドのマハラージャやトルコのスルタン達が所有していたような逸品と比べて大きさはともかく、少なくとも品質面では遜色の無い高級品が大半を占めています。
欧米や、地元のコロンビアでさえ普通の宝石店で扱っているエメラルドの品質は日本のディスカウント・ショップでさえ扱わないような低い水準の石が殆どです。
そして、このトレード・センターでカラット当たり4万ドルもする最上級のルースを買い漁っている日本人バイヤーには、いわゆる闇の世界の人々が存在しています。
彼らがこの世界に進出してきたのは,1980年頃からと言われています。
今では,しかし,これら逸品ばかりを20年も扱っていれば、もはや立派なエメラルドの専門家と言って良いかと思いますが。
何故,彼らがこの世界に進出してきたのか、詳細は次の項目にて。
4.エメラルドの輸出を巡る疑惑コロンビア産のエメラルドの大半は輸出されます。
そしてエメラルドの輸出の資料は奇妙なエメラルド取引を象徴する興味深いものです。
少し古い資料ですが、1991年のコロンビアの輸出統計を見ると、数量では110万カラットの内、1位の米国の62%と2位の日本の26%とで88%を占めます。
しかし総額1億5200万ドルの総輸出額の1位は日本で53%、2位は米国が24%と逆転します。
日,米に次いで,順にパナマ、スイス,香港、ベルギー,オランダ領アンティル、イスラエルと妙な国々が続きます。
率直なところ、これらの数字は日本を除いては余り信用できません。
何故なら同じ年のマイアミ税関のコロンビアからのエメラルドの輸入通関統計額だけでも,コロンビアの公式な対米輸出額の4倍に達しているのですから。
如何に日本が高級品志とは言え世界の需要の半分以上を占めるとは考えられません。
1990年の輸出統計では、総額1億1670万ドルの輸出の内、日本向けが9160万ドルで、アメリカ向けが1600万ドルとなっています。
(コロンビアのMineralco 発表。 1991年7月の Mining Magazine)
エメラルドの輸出については生産で世界2位のザンビアはさらに極端です。
世界中にザンビア産のエメラルドが溢れていてますがそのほぼ全量が密輸されているのは公然の事実です。
その相手国はスイス、ベルギー,イスラエルと、ここでも、コロンビアからの輸出国と同じ国々が姿をみせます。
即ち,統計の数字の食い違いと、輸出相手国の顔ぶれからエメラルドを巡る脱税や資金洗浄の疑惑が浮かび上がります。
何故密輸出が横行するのか ?
これは簡単です、コロンビアもザンビアもエメラルドは重要な産業で、税収を確保するために輸出税をかけるという安易な手段をとっているためです。
恐らく国内の生産や取引を把握できないためでしょう。
しかし、小さくて高価な宝石くらい密輸が簡単な商品は他にはありません。
結局まともに申告している日本への輸出がコロンビア政府の税収に大いに貢献している事になります。
大市場でもないスイス,ベルギー,パナマ,香港、オランダ領アンティルといった国々が登場するのは,これらの国々がいずれも国際的なタックス・ヘイヴン(税の避難地)として悪名高い国々だからです。
例えばアメリカの宝石商がコロンビアから10分の1の金額でパナマに一旦輸出すれば,輸出税を大幅に脱税できます。
そしてパナマからは実際より割高の金額で米国に輸出し、アメリカで見かけ上儲からない形でのビジネスを行えば,アメリカでの所得税を大幅に節約する事が可能となり、しかもその差額は自国の税務当局の監視から逃れてパナマのオフ・ショア銀行に貯めておける。
と、このような形態の利益操作や脱税が横行しています。
といっても,こうした国々が国ぐるみで脱税や密輸に関与しているというわけではありませんが、銀行のシステムや税制が、合法的な資金洗浄や脱税の格好の舞台を提供しているためです。
例えば、パナマはノリエガ将軍時代(〜1989年)までは百数十の世界の銀行がオフ・ショア(政府の法律や規制を受けない)営業を展開していました。
オフ・ショアの営業では正常な資金も当然ですが、併せて麻薬,脱税、密輸、汚職、資金洗浄等々、あらゆる犯罪関連の資金等とが混在して活況を呈していました。
香港、カリブ海のバハマ、オランダ領アンティルなども同様です。
更にスイスの場合、顧客の守秘義務を堅く守り、信用できる銀行が多数ありますから巨額の資金を預けるには格好の国です。
加えて、時計や医薬品など付加価値の高い商品を生産し輸出しているお国柄のせいでしょう、輸入品の関税はキロ当りいくらと言う重量税が基本です。
となると、小さくて価値の高い宝石の輸入には実質的に関税は無いも同然です。
質実剛健なスイス人がエメラルド等大量に買う筈もありませんから,スイス経由で再輸出され、ここでも資金が洗浄されていると考えても不思議ではありません。
ベルギーとイスラエル向けのエメラルドについては宝石研磨用と思われます。
さて、日本向けの数字が信用できるとするのは、エメラルド取引に関わっているのが闇の世界の人々であるからです。
日本では宝石の原石やルースの輸入関税はゼロですから、僅かな消費税を敢えて脱税する必要はありません。
即ち、カラット当たり4万ドルもの高級エメラルドを買い漁るための資金の出所が何処からかは知る由もありませんが、エメラルドの輸入をきちんと申告し納税することにより、このビジネスが堂々たる正業となる事が重要なのです。
日本では高級宝石店でも、店員が平然とアレキとか、エメ、ダイヤ等とまるでヤクザの事務所に迷い込んだような呼び方で、予てから不審に思っていたのですが、コロンビアの高級エメラルドの取引から、なるほどと納得がいった次第でありました。
宝石名はアレクサンドライト、エメラルド,ダイアモンドと、正しく、格調高く呼びたいものです。
5.厚化粧をしたエメラルド以上はエメラルドの採掘から,市場での流通までの事情です。唖然とするような実態ではありますが、しかし消費者には直接関係はありません。
次に述べるのは消費者にとって重大な、エメラルドの厚化粧の実態です。エメラルドには傷が付き物とは良く言われる事です。正確には傷というより、水滴や気泡、他の鉱物結晶等の包有物、あるいは結晶成長の際の転移による亀裂等を多く含むので傷の様に見えるのです。
他の緑柱石結晶にも同様の現象はありますが,大きくて美しい結晶が相当量採れるため、傷などの部分を避けて、完全無欠な部分だけがカットされて市場に出回ります。
一方エメラルドの場合は元々結晶が小さいため、完全無欠な部分だけをカットしていたのでは無駄が多過ぎて商品にならないため、敢えて傷があっても大目にみる、という事情があります。
ルビーや、赤いトルマリンのルベライトについても事情は同じです。
許容するとはいえ,やはり傷は無いに越した事はありません。
そのために世界の殆どの産地で、オイリングと呼ばれる、カットされたエメラルドをバルサム油,シダー油等の植物油に浸して目立たなくする処理が行われています。
具体的には、エメラルドの場合、カットした石の表面まで亀裂が達している例が多いので、その亀裂に油を浸潤させて目立たなくさせるものです。
この方法は11世紀頃には既に行われていた様ですが、写真の様にかなり効果があります。
そして1〜2回の超音波洗浄くらいでは油が抜けたりはしない様ですが,しかし長年経てば油が蒸発してしまって元の状態に戻るか,あるいはもっとひどいことにもなりかねません。
さらに下、右側の写真の場合は、一般に Opticon と呼ばれる,硬化材を添付した樹脂を浸潤させたエメラルドで,劇的な改善効果が得られます。
Opticon 処理も油浸潤と同様に多少の超音波洗浄には耐久性がありますが,一部の宝石店で行われている高圧,高温の蒸気による洗浄では浸潤した樹脂が抜け落ちて、元の亀裂が現れる場合があり得ます。
(左) 油浸潤処理前と 処理後のエメラルド (右) オプティコン処理前(左)と処理後(右)のエメラルド
こうした処理によってエメラルドの外見は劇的に改善される例が多いのですが,問題はこのような処理が行われる事で低品質のエメラルドが高品質のエメラルドへと変身して,不当に高い値で売られる事態が起きている事です。
むしろ高値のエメラルドにこのような処理を施されたものが多いと断言しても良いでしょう。
そして大半の宝石店はこのような事実を判定できるだけの知識も経験もありませんし,当然の事ながらオイリングの事実が消費者に告知される事もありません。
エメラルドの様にカラット当たり数千ドルから1万ドルを超える高価な宝石で,このような厚化粧処理品が不正に販売された場合に,消費者は莫大な損害を被りますが,現実にこのような不正が罷り通っていると判断せざるを得ません。
エメラルドに限らず、オプティコン処理がされている宝石は強い光をあてると浸潤された亀裂の部分がオレンジや黄色、青の光を放つフラッシュ効果を現しますから、専門家なら識別が可能です。
オイル等で処理された亀裂部分がオレンジや青に光るフラッシュ効果
したがって、高価なエメラルドを買う場合にはこのような情報を公開している信用できる店を選ばなければならないでしょう。