宝石読本
I 美しき贋物たち − 宝石とは何か ?
ブラジル・サンパウロの宝石市場
レプブリカ広場の宝石市場 Plaça Republica, San Paulo Brazil |
ペグマタイト脈中の緑のトルマリン結晶 6cm | ゴルコンダ・トルマリン鉱山 Minas Gerais, Brazil |
ブラジルが世界的な宝石の産地であることはご存知ですね ?
ちょっと思いつくだけでも、トパーズ、トルマリン、アクアマリン、アメジスト等々、美しい色合いの宝石が頭に浮かんできます。
こうした宝石は主にペグマタイト(一般に巨晶花崗岩と呼ばれる)鉱脈に産します。
日本の多くのペグマタイトは福島県石川町、茨城県山の尾、妙見山、岐阜県苗木、福岡県長垂山等、多くは御影石とも呼ばれる花崗岩の採掘場にありました。
これらの鉱脈から、かつてはトパーズやトルマリン,ガーネット等の大きな結晶を産出しました。
しかし日本で採れたのは宝石質の大きく美しい結晶ではなく大半は結晶標本程度の品質でしたがそれらもすっかり掘り尽くされてしまいました。
ブラジルには1万ヶ所を越す無数のペグマタイトが各地にあって多様な宝石を産出します。
もちろん全てのペグマタイト鉱脈が常に宝石を産出するわけではありません。
宝石を産出するのは全体の10%にも満たず、さらに採算が取れる鉱山はそのうち10%程度ですが、数が多いため次々と新しい鉱脈や産地,そして新しい種類の宝石が発見されています。
なかでもサンパウロやリオ・デ・ジャネイロの北のミナス・ジェライス州北東部には24万平方kmと、日本の面積の3分の2にも相当する広大なペグマタイト地帯があり,世界でも有数の宝石産地として知られています。
ここは16世紀にブラジルを植民地にしたポルトガル人が金や宝石を求めて精力的な探検を繰り返して発見に至った、まさに資源の宝庫です。ミナス・ジェライス : Minas Gerais) とはポルトガル語で全ての鉱物(鉱山)を意味します。その名に相応しく、宝石の他に金、銀、銅、鉄、錫、マンガン、ニッケル、ボーキサイト等々、豊かな鉱物資源に富む地帯でもあるのです。
ブラジルの代表的な都市,サンパウロやリオ・デ・ジャネイロの中心にある公園の広場に毎日曜日の午前中に観光客や一般市民相手の蚤の市が開かれ、その一角にはブラジル産の宝石や結晶、化石や宝飾品などを売る露天商の店が並んで大変な賑わいとなります。
さて,宝石やジュエリーといえば非常に高価なものと思われるかも知れませんが、ここでは観光客がポケットマネーで買えるような手軽な値段で,アクアマリン、トパーズ、ガーネット,アメジストの結晶やルース(カットした裸石),さらにそれらを使った宝飾品が多数並んでいて、その値段たるや百円から数千円と、まさかと思うような値段です。
もちろん,当時(1985年〜1990年)の年率3000%に達するハイパーインフレのため、最低賃金が月数千円程度の国ですから,たとえ千円でも現地ではかなりの大金ではあります。
が、日本の物価水準からすれば夢のような値段には違いない。
と、喜んで山のように買ってしまってから、はたと疑問が湧き上がって来ました。
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果たして本物なのだろうか ??? 何しろあんまり安すぎるではないか ?
結晶ならともかく、ルース(カットされた石)では本物かどうか、肉眼で正体を見極めるのは容易ではありません。
結論から申し上げましょう。
次の写真にあるように、本物もあればガラスの模造品、本物だが合成品、合成の模造品、あるいは売る方も間違っていた別種の宝石 …と、実に様々なケースがあるというのが、宝石の世界であります。
これからご紹介するのは、こうした宝石や贋物,天然と合成,模造品たちの美しく,驚きに満ちた多様な素顔と現代の最先端科学技術を担う驚異の宝石と結晶の世界です。
どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。
ブラジル、サンパウロのレプブリカ広場で売られていた贋物の宝石たち
ガラスの偽物 本物のベリル ガラスの贋物 本物のアクアマリン ヘリオドール クリソベリル 50ct 25x22mm 10.9ct 17x11mm 2.9ct 11.2x7.9mm 4.33ct 11.8x9.9mm 3.8ct 13.8x8.3mm 4.7ct 12.5x8.7mm 40ドルもした50カラットのグリーンベリルは実はガラスでありました。けれども実に見事な色合いとカットで美しいことに変わりはありません。
アクアマリンも実はただのガラスでありました。しかし1個100円でしたから文句は言えません。結構美しいのですから、騙された!と怒る気にもなりません。
ヘリオドールは市内の宝石店で買ったものでしたが、調べてみたら天然のクリソベリルでした。
稀少さも価値もヘリオドールと比べて似たようなものでしたから,むしろ嬉しい驚きでした。プロの宝石商でも間違えることもあるということです。
合成サファイア
9.2ct 12.3x9.3mmモルガナイト
7.4ct 13.2x11mmクリスタルガラス
18ct 19x14mmトパーズ
7ct 12.3x9.2mm合成サファイア
7.5ct 10.3x10.1mmトパーズ
4.7ct 13x8.5mm大枚20ドルも払ったモルガナイトは実は合成サファイアでした。ヴェルヌイユ法の、本来ならカラット当たり5セント、即ち1個1ドルの価値もない合成石に20倍も払ったわけですが、しかし後に入手した本物のモルガナイトと比べて実に美しく、肉眼での識別は不可能です。
ブルートパーズはガラスでしたが、しかし少しばかり高級なクリスタルガラスでありました。本物のブルートパーズもカラット当り100円程度とガラス並の値段ですから、何でわざわざクリスタルガラスの贋物などを用意するのか気が知れません。
しかし,この贋物,現地のプロの宝石商もアクアマリンと騙された程の出来映え。しかと調べて,以後ようやくガラスの特徴が分ましたから、安い授業料だったと思わねばなりません。
インペリアルトパーズも実は合成サファイアでした。しかしこれはその他諸々のシトリンやらアメジスト、結晶など10個くらいの石と抱き合わせで100ドルでしたから実際はおまけみたいなものでしたが。
コロンビア、ボゴタの白昼のエメラルド取引同じく中南米のコロンビアは世界に冠たるエメラルドの産地です。世界のエメラルドの数量で70%,金額では90%と、質,量ともにコロンビアはエメラルドの代名詞といってよい産地です。
首都ボゴタの北東部100km近辺のアンデス山脈に連なる東コルディエラ山脈があり、その一帯にムソー、コスケス、ガチャラ、チボール等の大鉱山と他にも100を越す鉱山が存在します。
採掘は厳重な管理の下に行われている筈なのに大量のエメラルドがボゴタ市内の闇市で堂々と売られているのが現状です。
ボゴタの中心地サンフランシスコ教会や黄金美術館、国立ボゴタ銀行に近いヒメーネス通りの一角に毎日午前中、数百人の男たちが集まって来ます。近寄ると,おもむろにポケットから白い紙包みを取りだし、開けるとエメラルドの原石やルース(裸石)が出て来ます。
しかし彼らが持っているのは色が薄く傷の多い、小粒の安い石が大半です。もっと良い石を探しているのだと言うとたちまち伝令が飛んで、数分後には別な男が現れてカフェにて交渉という段取りになります。
ボゴタ市中心街路上でのエメラルドの取引 コスケス鉱山 さて、これからが用心。ブラジルの安い色石とは異なり最上品ではダイアモンドを凌ぐ高価なエメラルドの世界です。ダブレットやトリプレット(ガラス、接着剤、ベリル等を二層、三層に貼り付けた模造品)やガラス、プラスチック等々ありとあらゆる贋物のエメラルドに出会うのがこのヒメーネス通りです。
エメラルドと贋物(Emeralds and fakes) ダブレット
1.89ctガラス
2ctザンビア産
エメラルド
1.68ctムゾー産
エメラルド
3.33ct
8.8x8.2mmフラックス法
合成エメラルド
チャザム 1.44ct熱水法合成エメラルド ロシア
1.24ctキョーセラ
1.52ct
私ももちろん引っかかった。
素晴らしく綺麗な石がムソー鉱山の逸品として取り出され、しかも敵はチェルシー・フィルター(エメラルド鑑別用のフィルター)まで用意する周到さで迫ってくる。
確かにそれらは天然の本物なら市価3000ドルはする逸品でありました。
しかし不思議なことに彼らの値段は始めからカラット当り400ドルとやけに安く、その上ろくに交渉もしないうちから見る見る下がり始め、ついには125ドルになってしまった。
フィルターの反応やら、石の特徴からチャザムの合成品ではないかと、ま、それならそれで良かろうと結構な金額を払いました。ホテルに戻り、つらつら眺めているうちに、一体、本物の合成品なのか、ひょっとしたらガラスの模造品かと疑惑が沸いて来たのです。
が、もはや後の祭というもの。
結局、確認のために当時サンタモニカにあった(現在はカールスバードに移転)のGIA(Gemological Institute of America:アメリカ宝石学協会)等にて、屈折率計、比重測定用重液セット、精密化学天秤、スペクトロスコープ、宝石用立体双眼顕微鏡、フィルター・セットとしめて数千ドルの機器を買い込む羽目になりました。これが運の尽きというもの。その後,本格的に宝石収集にのめりこむこととなったきっかけなのです。
こうした機器を使わず、肉眼で宝石の素性を識別することはまず不可能です。
とは言っても、現実にこれらの機器を持ち歩いて一個一個宝石を調べながら買うというのも実際的ではありません。
買うときはスピードが全て,せいぜい10倍のルーペと、後は直感だけが頼りです。
そして、直感で怪しいと思って買った後でその正体を見極めるスリルが宝石収集の楽しみなのです。
さて、ボゴタの闇市で買ったエメラルドは、ガラスではなく、紛れもない本物でありました。
但し天然ではなく、思ったとおりフラックス・メタル法の合成エメラルドでありましたが。
恐らくチャザムの規格外品が流出したものでしょう。道理で安かった筈だ。
が、ガラスでなくてほっとしたと言うところです。
しかしながら、これがチャザムかその他の合成か、10中 8,9 チャザムであろうと推定していますが、最終的に結論に至るまでずいぶん時間がかかりました。
ありとあらゆる文献に当り,キョーセラ、ギルソン,エンプレス、XL等のフラックス・メタル法,ノヴォシビルスク,リージェンシー,バイロン等々の水熱法と手に入る全ての合成エメラルド、さらにコロンビア,ロシア,ブラジル,ザンビア,マダガスカル、ナイジェリア等の天然エメラルドと,比重,屈折率,インクルージョン,結晶成長の様子等々を調べ尽くした上での結論です。
古典的な識別法では,これが限度です。
現在ではX線蛍光分析や、FTIR (Fourrier Transform Infrared Spectrometry:赤外線走査による吸収特性の測定法) 等にて、天然であれ,合成であれ,宝石の産地やメーカーが識別できる新兵器がありますが,それらは専門の研究所に任せましょう。
そう簡単に分かってしまっては面白くありません。
何の事はありません、1950年代初頭にアメリカの化学者、チャザムが初めてエメラルドの合成に成功した時、世界中の宝石商と結晶学者とを巻き込んで確立された科学的な宝石鑑別法への試行錯誤の道。それは後に宝石学として発展を遂げたのですが、計らずしてその道へ初めから迷い込んでしまったのです。
しかしこの道こそは、目も眩むような驚きと美しさとに満ちた道でもあったのです。
宝石とは何か? 結晶とは? 色彩とは ? 何故色があるのか無いのか、何故同じ緑柱石で、エメラルドは緑で,モルガナイトはピンクなのか、そのモルガナイトが、長い期間太陽光に晒されると何故オレンジに変色するのか?
化学組成や結晶系の異なるサファイアとモルガナイト,またヘリオドールとクリソベリル等が何故同じ色なのか ? 等々・・・・・
宝石と結晶との驚異の美しさに溢れた世界は、今なお、最先端のレーザーや半導体、さらに将来のナノテクノロジーの世界へまで、果てしなく伸びて行く、奥深い世界なのです。