宝石読本
IV 豪奢と静謐 − ルビーとサファイア −
5. 合成ルビーとサファイア
1.宝石合成への挑戦の歴史
宝石合成の試みは古くから行われていましたが,最初に成功したのはフランスの化学者、ベルチエによる1824年の透輝石の合成でした。 その後エーベルマン(1814−1852)が27種類の鉱物結晶を合成し、その中にはエメラルドやルビー、クリソベリル、スピネルの八面体結晶等の宝石鉱物も含まれています。また1852年にはゴーダンが、1958年にはドゥヴィルが、1869年にはオートフォイユと、いずれもフランスの化学者がルビーの合成に成功しています。宝石としてカット出来るような結晶合成への挑戦はさらに続き,1877年にフレミーが1cm大のルビー結晶の合成に達しました。 そして1893年にはオートフォイユとペレがベリル,ジルコン,フェナス石とエメラルド等宝石鉱物の大きな結晶の合成に成功しました。
1848年エーベルマンの合成ルビー 1869年オートゥフォイユのルビー 1879年オートフォイユと
ペレの合成ルビー同じくサファイア(1869〜79)
こうした挑戦は全て19世紀のフランスの化学者達が試み歴史を作ってきました。
さすがに結晶構造理論を提唱した鉱物学者Haüy(アウイ)や、フランス革命時に死刑になった天才化学者のラヴォワジェを輩出した国です。
合成された 1500種の鉱物標本はパリのセーヌ河沿いにあるオーステルリッツ駅の向かいにある植物園内、自然史博物館の鉱物展示館にあり、常時見ることが出来ます。
左の写真は,やはり隣接したパリ第4大学,ピエール・マリー.キュリー校にある鉱物博物館で開かれた宝石合成の歴史特別展”かくして宝石は創造された”の入場券です。
この博物館から500m程離れたリュクサンブール公園内の国立高等鉱山学校にも鉱物博物館があり、これらの博物館では、しばしばこのような特別展示を行っています。
一つの都市で1kmの範囲内に三つもの鉱物博物館があること自体が驚きです。
さらにそれらの博物館が積極的な催しを交互に行い、一般の人々への鉱物学への啓蒙を欠かさないのは羨ましい限りです。
それに比べると日本には主要都市にまともな鉱物博物館が一つも無いという、お粗末な現状です。
さて、前述の多くの人々の宝石合成への挑戦を経て,いよいよ本格的な宝石合成が
やはりフランス人の化学者,ヴェルヌイユの発明によって,実現されました。
ヴェルヌイユ法(火炎溶融法)合成ルビー
ルピーとサファイアは今世紀初めには合成品が商業化されましたが、これについて、少し詳しく触れてみましょう。
合成に成功したのはフレミーの助手であったフランス人の化学者、ヴェルヌイユです。彼の方法が未だにヴェルヌイユ法(または Flame Fusion Process)として使われ、今日では年間3000トンを越えるルビーやサファイアが合成され、大半は宝石としてではなく、時計や精密機械の軸受けや、医学用、光学用材料と広範な用途に使われています。
ルビーの合成の最大の困難は、2000℃を越える融点の高さで、その高温に耐える容器が無いという問題ですが、これをヴェルヌイユは巧妙な方法で解決し、合成ルビーの製造に成功しました。
火炎溶融法の仕組み 上:現代の合成ルビー工場
下:アールデコ時代の宝飾品に使われた
ヴェルヌイユ法合成サファイアヴェルヌイユ法による
合成ルビー・サファイア結晶同法のルビー
とサファイア
図のように、酸素と水素のバーナーの炎の中を原材料の酸化アルミニウムの粉と、ルビーの場合は酸化クロムを、サファイアの場合は着色剤として鉄とチタンを混ぜて降らせ、落ちて行くうちに、材料が融け、下で冷えて固まり、1時間に5〜10mmと速い速度で結晶が成長してルビーやサファイアが出来る仕組みです。
即ち、容器を使わず結晶を成長させる巧妙な方法です。余りにも巧妙なので、材料の粉を金槌で叩いて少しづつ降らせるという、まことに原始的な方法までそっくり今日まで受け次がれています。
この方法で合成されたルビーは非常に美しいもので、内部に傷も無く、一時は天然ルピ一の相場が暴落するほどの影響を与えたほどです。 しかし、余りにも美し過ぎ、更に結晶の内部に、生成時に取り込んだ空気の泡や、結晶が次第に成長する線が、レコードの溝のように識別でき、天然のルビーとは簡単に区別できることが明らかになったので、天然ルビーの暴落騒ぎはやがて納まってしまいました。
実は巷の本に書かれているほど、ヴェルヌイユ法のルビーは特徴がはっきりと分かるものではありません。余りにも色が美し過ぎると言うのは事実ですが、レコードの溝のような結晶の成長曲線は、そう簡単にば見えません。したがってジュエリーなどに使ったら、容易には区別は出来ません。
とは言え、余りにも安過ぎる(カラット当り5円くらい)のが災いして、宝石商も真面目に売りたがらないし、消費者もまるで宝石とは考えないと言う奇妙なことになっているので、これによる贋物騒ぎ等ば減多にありません。
が、例えば最高級のパパラチア・サファイアとして世界的な宝石コレクションを持つスミソニアン博物館に15年も展示されていたのが、実はヴェルヌーイ法による合成品と判明したような例もある程で、やはり注意はすぺきでしょう。
特に、今世紀初めに作られたアンティークのジュエリーの場合には、後で天然とすり替えたり、あるいば初めから初期の合成ルビーやサファイアを使用したものが少なからずあるので、余りにも美しい石の場合にば警戒する必要があります。
サファイアの合成
ヴェルヌイユはルピーの合成には簡単に成功しましたが、その後サファイアの合成はさらに5年もかかり、成功したのは1910年のことでした。すなわち当時はあの青の発色の原理が解明されてなかったためです。 ともかくヴェルヌーイはコバルトなどありとあらゆる青くなりそうな添加物を試して、鉄とチタンの組み合わせにたどり着くまでに、何と5年間を費やしました。
その間マグネシウムを添加して、サファイア同様の美しい結晶を作り出すことに成功しましたが、それはコランダムではなく、スピネルという別の宝石でありました。
ジュネーヴ・ルビー
一般に合成ルビーの商品化に最初に成功したのがヴェルヌイユということになっていますが、実は彼より少し早く、スイス人ワイゼが作ったルビーが、1884年頃から20世紀初めまでジュネーヴ・ルビー,またはシャム・ルビーの名でかなりの量出回ったということです。
残っているルビーは、大量の空気の泡,ひび,黒い包有物等の特徴があり,恐らく原始的な火炎溶融法で、質の悪い天然のルビーを溶かして再結晶させたものと考えられています。
普通の宝石では溶かすとただのガラスになってしまうのですが,ルビーやスピネルは溶かして冷やすだけで再結晶しますのこんなことが可能だったのでしょう。 ジュネーヴ・ルビーは下記の写真の様に当時の宝飾品にかなり使われましたので、アンティークの宝石を買う場合に注意しなければなりません。
1.4ctのジュネーヴ・ルビー 中央の石は約1カラット 8個の天然と86個
のジュネーヴ・ル
ビーのペンダント
フラックス法合成ルビー
ヴェルヌイユ法による合成ルビーは紛れもなく本物のルビーですが、しかし天然とは異なる条件で、たまたま本物のルビーが合成された幸運な例です。コランダムは2000℃を超える高い温度で溶融して、冷えれば再び結晶になるため、比較的に簡単に人工の結晶合成が達成できたのです。
今日、宝石市場に於て真面目なといっては変ですが、ともかく宝石として扱われているのは、フラックス法(Flux Melt process)と言う、より天然の結晶条件に近い環境で合成された結晶です。
フラックスとは溶剤のことで、ハンダのような金属化合物の中に宝石の原料を入れて溶かした後にゆっくりと冷却して結晶を成長させる方法です。
宝石級の大きく,完全な結晶を成長させるためには、3ヶ月から6ヶ月もの時間をかけて、温度をコントロールしながら、ゆっくりと冷却する必要があります。
フラックス法は既に19世紀半ばにエーベルマンやオートフォイユ達によってルビーやエメラルドの合成に試みられていました。しかし、結果は,ごく小さな針状や不透明な団塊の結晶が得られただけでした。
当時の技術では、長期間の精密な温度のコントロールが困難であったと思われます。
この方法の実用化は1930年代初頭にドイツのイーゲー染料染料会社がエメラルド合成に成功し、発売しましたが、極めて製造コストが高く商業的には失敗であった様です。
1930年代後半になってアメリカの化学者,チャザムが独力で合成エメラルドの量産技術の開発に成功したことがフラックス法の実用化の嚆矢となりました。
1960年にルビーレーザーが発明され,純度の高いルビー結晶製造用にフラックス法が盛んになり、その副産物として宝石用のルビー合成が主にアメリカの企業によって商業化され、それぞれ異なる名前で市場に出まわるようになりました。
アメリカのチャザム,カシャン,ラモーラ、クニシュカ(オーストリア),ドゥーロス(ギリシア)と日本のキョーセラ(米国ではイナモリ,日本ではクレサンベール)などのブランドで、いずれもフラックス法による合成ルビーです。
使われているフラックスは各社で多少異なりますが、チャザム社が酸化リチウムー酸化モリブデンー酸化(弗化)鉛、カシャン社は弗化アルミニウム・ナトリウム、クニシュカ社は酸化リチウムー酸化タングステンー酸化(弗化)鉛、ラモーラ社は酸化ビスマスー酸化ランタンー酸化(弗化)鉛の組み合わせとのことです。
各社の合成ルビーはいわば生産のロット毎に微妙に色が異なりますが,これは天然のルビーと同じで、出来映えは天然の最高のルビーと全く識別がつかず,また各社のルビーも顕微鏡で内部の特徴から識別は殆ど不可能です。 ラモーラ社のみは希元素を添加して紫外線照射の蛍光により簡単に識別できるようにしていますが,その他のブランドはX線蛍光分析装置等の特別な機器で微量のフラックス成分等の分析をしない限り識別できません。数ある宝石の中でルビーの鑑別は専門家でも最も困難なものの一つです。
チャザム社の合成装置 ラモーラ社のフラックス・ルビー合成装置 クニシュカの合成
ルビー結晶 45ct
チャザムの合成
サファイア
結晶 884ctラモーラのルビー
結晶 8.77ct
ルース 3.67ctドゥーロスのルビー
結晶とルース(前列右)10mmカシャンのルビー
4.51,3.14ct
これらフラックス合成法のルビーはヴェルヌイユ法や,引き上げ法と比べて製造に時間と費用とがかかります。したがって、価格的に天然と差の無いサファイアは技術的には可能ですが、商業ベースでは作られず,ルビーのみが市場に出ています。 価格はインクルージョンの状態によりカラット当たり100〜200ドルと、天然ルビーと比較すれば100分の1程度で、気軽な装飾用の宝石としてアメリカでは人気があります。
チャザムから青とパパラチアサファイアとが出ていますが、ほぼルビー並の値段です。
生産量は最大のチャザム社で年間数万カラット,次いでラモーラ社が8000カラットといずれも多くはありません。
装飾用途に合成宝石を作るのは、開発者の趣味の領域で、ビジネスとしては難しい様です。
素晴らしい品質の宝石が妥当な値段で入手できるのですが、消費者からすると天然でなければ宝石ではないと言う思いが,とりわけ日本では根強く残っています。 宝石が途方もない贅沢品であった時代の名残と言えましょう。
したがって合成宝石を扱う宝石店が皆無に近いのが実情です。
しかしながら、例え天然であっても、一般の消費者の入手できる宝石はただの高額商品に過ぎず、決して財産と呼べる水準の品物ではないのが実情です。 いずれ日本人の宝石観も変り、紛れもなく本物である合成宝石を気軽に楽しむような時代がやがて来るだろうと思います。 しかし,現在では合成宝石は日本では勝負の土俵にも上がれない実情で
既にカシャン社は倒産し、ロシアとタイの合弁企業Tairus社の経営も順調ではない様です。
したがって,こうしたブランドの合成宝石は、天然の宝石や結晶の鉱脈が尽きれば2度と入手できなくなってしまう様に、一時期作られる結晶も、会社が消滅してしまえば再び手に入れるのは不可能となります。
言わばカシミールのサファイアの様に幻の宝石となってしまうわけです。
引上げ法(チョクラルスキー法)合成ルビー
引き上げられる結晶 引き上げ法のパパラチャ・サファイア 各10ct 14.2x12.5mm
京セラのパパラチャサファイアとルビー ロシアの引き上げ法ピンク・サファイア 5.03ct 13.93ct 2.81ct 2.88ct 8.00x6.50mm
材料を坩堝の中で融かし、種結晶を融液に接触させると,単結晶が成長します。これを成長速度に合わせながらゆっくりと回転させながら冷却させて引上げて行くと、棒状の単結晶が得られます。 この方法は1913年に開発され、発明者の名を取ってチョクラルスキー法とも呼ばれます. 純度の高い大型の単結晶が得られるため、ナイン・ナイン,即ち99.9999999%もの純度が必要となる半導体材料のシリコン単結晶の合成等、主に半導体や最先端技術向けの結晶合成には欠かせない技術です。
宝石にはこれほど高い純度は必要ありませんが、レーザー用途に作られたルビーやサファイア結晶が市場に出回ることがあります。 恐らく結晶の転移などの欠陥があって本来の目的には使えない結晶が宝石用として転用されるのだろうと思います。 宝石用途なら、欠陥があろうと,転移があろうと、美しければ充分使えます。2.88カラットのピンク・サファイアはロシアでおそらく核融合のレーザー用として実験的に合成されたものと思われます。
しかし純粋に宝石用としては,かつてアメリカのユニオン・カーバイド社が合成スター・ルビー製造用に1972年に特許を取りました。 近年ではキョーセラ社の合成アレクサンドライトやルビー等が引上げ法で作られています。殆ど内包物を含まず、透明度が高い大きな結晶が得られるのが特徴です。熱水法合成ルビー・サファイア
フラックス法は恐らく,ルビーやサファイアが実際に自然の条件の下で成長するのと良く似た条件を再現したものです。
同様にもう一つペグマタイト鉱脈のような高温,高圧の熱水の中での結晶の成長は,カシミールのサファイアのサファイアの例や、その他の緑柱石やトパーズ,トルマリンのように、時に大きく美しい結晶が出来る条件の一つです。
熱水法の結晶合成法は天然では中々得られない高品質の水晶の単結晶を得るために1960年に確立されました。
左の図の様に、白金や銀を張ったオートクレ‐ヴと呼ばれる密閉した容器の中に酸性,またはアルカリ性の溶液と、材料を入れて、温度が数百度から1000℃、圧力が1000〜2000気圧程度の条件で,水晶の場合は1ヶ月程度で、30cmもある単結晶が成長します。 この方法で,今日、年間数千トンの合成水晶が生産されています。
熱水法は、緑柱石の合成にも応用され,天然と識別が困難な合成エメラルドが既に市場に出まわっています。
しかしルビーの場合は困難を極めました。 クロムが均一に拡散せず、結晶に斑が出来たり、無数の罅が出来てしまうためです。
1990年代の後半になってようやく、クロムではなく,主にニッケルを着色剤とすることで、ルビーやサファイアの熱水法による合成技術が、ロシアにて完成されました。
合成宝石の分野ではロシアが圧倒的に優位にありますが、これは本来軍事や通信目的に多様な宝石の結晶合成の研究が行われているためです。
下記の写真の様に宝石用として美しいものが出来ているのですが、市場に殆ど流通してはいないと思われます。他の合成法のルビーやサファイアと同様に、合成品が市場で余り歓迎されない為です。 万一市場に出たとしても、包有物や、赤外線吸収特性等、天然とは異なりますから、専門家なら識別が可能です。
ロシアの熱水法合成ルビー 右端 7x5mm 同 ピンクサファイア 中央 7x5mm ニッケル着色のイエローサファイア
発色材のクロムとニッケル比を代えた多彩な
色合いの熱水法合成ルビーとサファイア結晶 左 17.8x39.9mm 合成スタールビーとスターサファイア
ルビーとサファイアの合成が成功すると直ちにスター石の合成への挑戦も始まったと思われますが,実際にスター石が出来たのは1947年と,かなり時間が経ってからのことでした。
これはユニオン・カーバイド社の一部門のリンデ・エアー・プロダクツ社が開発に成功したもので、くっきりと鮮やかなスターが出現します。 値段も手頃だったので人気があり,一時期かなり市場に出まわったものでした。
製法はヴェルヌイユ法と同じですが、大量の酸化チタンを加えて結晶させます。一端出来た結晶を一週間ほど焼き鈍しをすることでルビーに含まれている酸化チタンが針状結晶となってルビーの結晶軸上に並ぶので、それをカボションカットするとスターが出るという仕組みです。
しかし大量の酸化チタンの結晶を含むため石本体の透明度が失われ、不透明な乳白色となってしまい、何となくプラスチックの安物のような印象となり、次第に人気を失い、いまでは宝石店で見かけることはありません。
近年,日本のキョーセラから素晴らしく透明な地にスターが出る新しいスタールビーが売り出されました。
これはビルマやスリランカの最上級に遜色のない見事なものです。最近ではスター・サファイアも商品化されました。
製法の詳細は明らかにされていませんが、恐らくチョクラルスキー法によるものと考えられます。 したがってコストも安く大量生産が可能ですから、手軽な値段で最上級のスタールビーを楽しめるでしょう。
さらに、近年、おそらくヴェルヌイユ法のルビーに何らかの処理をしたと考えられますが、極めて透明度の高いスタールビーが登場しました。
リンデ社のスターサファイアとルビー キョーセラのスタールビー
3.40ct6.28ct 12x10mm
ヴェルヌイユ法のスタールビー