翡翠輝石(Jadeite) と 軟玉 (Nephrite)

1. 翡翠輝石 (Jadeite)

カボションにカットされた翡翠輝石 裏表に彫刻が施された翡翠輝石 
 
  様々な色合いの翡翠のカボション  0.31 - 14.99ct  1.03ct  35x22x5mm  37x24x4mm  41x25x10mm  38x23x4mm   34x27x11mm
 Burma   トルコ   Burma


軟玉の装飾品
       
 44x30x6mm 15g 52x35x3mm 10g  39x18x5mm 5g 31x27x6mm 4g  Faberge ” Pansy Egg 1899”  Deborah Wilson 
 中国 台湾  シベリア産軟玉の作品 


     化学組成
(Formula)
結晶系 
 (Crystal System) 
 モース硬度
 (Hardness) 
比重
 (Drnsity) 
屈折率
 (Refractive Index) 
 硬玉・翡翠輝石  Jade・Jadeite  NaAlSi2O6 単斜晶系 
(Monoclinic)
6-7  3.24-43  1.640-652 
 軟玉・ネフライト   Jade・Nephrite  Ca2(Mg,Fe)5Si3O22(OH)2 6½  2.96 1.61-63 

名前について
      翡翠とは鳥のカワセミの羽の色に由来する命名です。
翡はカワセミの腹部の赤い色、翠は背中の青緑色と
いずれも美しい羽の色を表します。
 一般に宝石の翡翠には緑色が多く、透明度の高い緑の石
はインペリアル・ジェードと呼ばれて珍重されます。
 純粋な翡翠は無色ですが、遷移金属のクロム、鉄、チタン
等が不純物として含まれると、それぞれの金属の電荷の
違いから、エメラルド・グリーン、緑、青、赤、ラベンダー等
様々な色合いを示します。

   一般に翡翠と呼ばれるのは、宝石として使われる翡翠のことです。
鉱物としては硬玉、あるいは翡翠輝石と呼ばれます。 よく似た色合いの軟玉も翡翠と呼ばれていました。
 英語の Jade の語源は、中南米を征服したスペイン人が、原住民が腎臓の痛みの治療に丸い翡翠を使ってい たことから
この石を ” Piedra de ijada : ピエドラ デ イハーダ (横腹痛の石)” と呼んでいたことに由来します。
 翡翠輝石は硬玉とも呼ばれます。 色合いや外観がよく似た軟玉と比べて少し硬度が高いためです。
軟玉は主に角閃石を主成分とする鉱物で、硬玉よりやや柔らかいため、軟玉と呼ばれます。
 軟玉の語源もギリシア語の ” Nephros : 腎臓 ” に由来し、翡翠輝石同様に、温めた石を脇腹に充てて痛みを癒す治療に用いられたことに因む命名です。
 いずれも繊維状の結晶が緻密に絡み合って生成する鉱物ですから、大きな岩塊をハンマーで叩いても容易に割れないほどの強靭で精密な細工が出来ることから、世界各地で古来から儀式用、装飾用の材料として珍重されてきました。

翡翠輝石 と軟玉の産地と生成条件
       
翡翠輝石 (硬玉) と ネフライト (軟玉)の産地 硬玉の生成条件  翡翠輝石と近い成分の 輝石類の化学組成  

  翡翠輝石、軟玉共にプレートの衝突や造山運動等の大規模な地殻変動による変成作用で生成した鉱物です。
温度や圧力の生成条件が緩やかな軟玉の産地は世界の変成地帯に広範に存在します。
 一方、生成条件が1万気圧という高圧にもかかわらず、300℃の低温という特異な環境でしか生成しない硬玉の産地は、世界に数か所しかありません。
 ”硬玉の生成条件” 図の中央、地下20㎞は、普通は1万気圧で数百℃の高温ですが、これが300℃ということは、地殻変動により地下20㎞から地上に達する巨大な亀裂が生成されて、その深さから地上付近まで翡翠輝石成分を含む岩塊が急速に上昇して温度が低下する過程で、翡翠硬玉が結晶化したと想定されます。
 さらに、沈み込んだプレートから供給された大量の水分の存在が決定的な要因と考えられます。
地下深くの高圧下でも様々な鉱物成分を溶かしこんだ超臨界水の温度は370℃程ですから、翡翠輝石の生成条件として重要な要素であると考えられます。
 世界に翡翠産地が極めて限られているのは、1万気圧、300℃の条件下で大量の超臨界水が存在して溶融した橄欖岩や、蛇紋岩等が輝石類の鉱物と反応を引き起こすような環境が滅多に起こらないためと考えられます。
したがって、翡翠輝石が大きな結晶に成長する時間がなく、微小な結晶が繊維状に絡み合った強靭な塊状となって発見されます。
稀な翡翠の結晶
   
結晶の長さ 5mm  結晶の長さ 4cm 
Ash Creek、Mendocino Co. California  長野県北安曇郡小谷村栂池 

日本の翡翠輝石
     
日本各地の翡翠産地  青海川橋立翡翠峡の100トン超の翡翠輝石   明星山直下姫川支流の小滝川翡翠産地


       
 翡翠輝石を含むオンファス輝石 5x3x2cm 1.5x1cm 4x3x1.5cm 3x7cm 5x5x3cm  4.2x3.2x2㎝ 29g  5.1x4.5x2.9cm 63g   6.9x2.7x0.8cm 22g 
 北海道旭川市雨粉の沢 新潟県糸魚川 ,姫川、青海海岸  兵庫県養父市大屋町加保 鳥取県八頭郡若桜町角谷 


   
     
連結勾玉 4x1.5x1.8cm
奈良県宇陀市沢の坊出土 
翡翠勾玉 3.6x1㎝ 
出雲眞名井遺跡出土
親不知海岸で採集された多彩な色合いの翡翠 

  日本を含み、翡翠輝石の産地は世界に8か所しかありません。
 ところが日本には北海道旭川周辺の神居古潭高圧変成帯の蛇紋岩が分布する、旭川市雨粉の沢、深川市納内町、芦別市中の沢から翡翠輝石を含む岩石が発見されています。
 糸魚川 - 青海の翡翠産地を含む蓮華帯は九州まで細長く分布していますが、この中の糸魚川周辺に5か所、長野県小谷村栂池、兵庫県加保坂、隣接する鳥取県若桜町角谷、岡山県大佐町のいずれも蛇紋岩地帯から翡翠輝石が発見されます。
 関東山地から九州東部まで中央構造線の南側に伸びる三波川高圧変成帯からも翡翠輝石が発見されます ; 埼玉県寄居町西の入、群馬県下仁田町茂垣、静岡県三ケ日町西黒田
さらに四国の三波川帯中の高知県伊野町周辺に分布する黒瀬川帯の蛇紋岩中から翡翠輝石が発見されています。
 長崎帯中の長崎市三重町と琴海町の二か所からも蛇紋岩に伴う翡翠輝石を含む岩石が発見されています。 
 と、世界でも稀な翡翠輝石が日本では北海道から九州まで、列島各地の広範な地域から発見されます。
ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン・プレートと、4つのプレートが衝突する狭間に形成され,世界で有数の高圧変成帯が密集する日本列島ならではの地質構造がこうした翡翠輝石の生成を促したと考えられます。
 残念ながら、殆どが翡翠輝石成分が90%未満で、翡翠とは呼べない鉱物標本級でしかありません。
もっとも、例え翡翠成分が100%であったとしても、宝石質とは限らず、大半はただの石ころにしか見えません。
 糸魚川産の翡翠輝石は縄文時代中期の紀元前 5000年頃には発見され、勾玉等の装飾品に加工されたものが北海道から九州、沖縄に至る日本全土の古墳や寺院の宝物等として採掘、発見されています。
 さらに古墳時代の3世紀から7世紀に至る新羅や百済等の朝鮮半島の国々へも交易を通じて運ばれました。
こうして各地で発掘された翡翠輝石の中には、ごく稀ですが、宝石質の翡翠も存在します。
 現在も、唯一糸魚川の産地から姫川と小滝川から流出した翡翠が周辺の海岸に打ち上げられて、採集されます。
 こうした翡翠輝石は、しかし、鉱物学や宝石学に疎い考古学者によって日本産とは考えられず、中国から渡来したものと決めつけられていました。 
 しかし、中国には翡翠輝石の産出はありません。
古来から中国で玉として珍重されていたのは全て軟玉質の鉱物でした。
 翡翠輝石が中国に入ったのは18世紀の清の乾隆帝の時代、ビルマで13世紀に翡翠輝石が発見されて500年も経った後に、ようやく中国にもたらされました。
 したがって日本は世界で最古の翡翠文化が起こった土地なのです。
縄文時代に起こった翡翠文化はしかし、7世紀末の奈良時代には途絶えてしまい、以後翡翠はすっかり忘れ去れてしまっていました。
 糸魚川で翡翠が再発見されたのは何と1939年、糸魚川在住の文学者が、古代糸魚川流域を治めていた伝説の奴奈川姫が身に着けていたとされる翡翠の勾玉が糸魚川産ではないかと知人に問いかけたことをきっかけに探索が始まり、ほどなく、小滝川の支流で緑の石が発見されたことで日本各地から朝鮮半島まで拡散していた翡翠製品が全て日本産であったことが確認された次第です。 
 日本の翡翠については、日本各地の考古学遺跡から大量に加工品が発見されるために、日本国内が産地ではないかと、個人的な調査が進められ、1935年には発見されていて、鉱物学者の益富寿之助に報告され、発表されていたという信頼できる情報もあります。

ビルマの翡翠
     
翡翠の装飾用平板 各 20x10x1㎝  伝統的な翡翠彫刻の装飾品 


           
2.0x1.2cm 11.0 - 15.6ct 
ビルマの翡翠の加工品
14.99ct 15.3x11.6x8.6mm   6.96ct 15.9x12.0x4.0mm 0.31ct(5x3x2mm) - 1.51ct(11.8xx8.5xx1.6mm)   11.19ct 18.8x13.6x4.6mm  34x14mm 8g    33x14mm 6g

   今日、世界の翡翠輝石のほぼ全てを供給しているのはビルマの北部、カチン州のパカン - タウマウ地域ウル川流域、2000 平方㎞の広大な地域に広がる産地です。
   ビルマ北部カチン州パカン ー タウマウ地域、ウル川流域の翡翠輝石産地と採掘光景
         
           タウマウに近い翡翠輝石鉱山の地下に見られる巨大な蛇紋岩塊 

 古来から西域で産する軟玉を加工して宝玉に加工していた中国人は、明の時代 (1368 - 1644) にビルマ北東部までを支配下に治め、明の滅亡後に起こった清朝 (1636 - 1912) の乾隆帝の時代にビルマから新たにもたらされた翡翠輝石に注目して、ビルマ政府が1963年に国営化するまで、採掘から集荷、中国への輸出、加工から販売まで、全てを独占していました。
 このため、翡翠といえば長らく中国産と誤解されていました。

ビルマの翡翠輝石の産状
 ビルマ北東部に翡翠輝石が生成したのは、およそ1億5000万年昔にゴンドワナ大陸が分裂し、インドがユーラシア大陸に衝突したおよそ5500万年昔の地球規模の地殻変動によるものと考えられています。
 この地殻変動によりインドの北から北西部にかけてヒマラヤーカラコルム山脈が形成されましたが、その東側や北東部のビルマ、ヴェトナム等、広大な地域にも大地殻変動が起こりました。 
 ユーラシア大陸に衝突したインドの地殻はビルマ北東部の地下へと潜り込み、高圧高温の変成作用を引き起こしました。
 翡翠輝石の産地となったカチン州の地質は古生代ペルム紀 (7.8 - 2.25億年昔) に生成した大理石層に白亜紀 (1.3 - 0.65億年昔) に貫入した蛇紋岩化した橄欖石の岩体に覆われていました。
 この一帯に潜り込んだインド大陸の圧力で押し上げられた蛇紋岩体は高温高圧となり、インド大陸からもたらされた大量の熱水との化学反応で緑泥石片岩、角閃石、藍晶石、黒鉛、藍閃石片岩が生成され、同時に巨大な断層帯が形成され、地下深くから地上に達する亀裂をこれらの岩体が上昇し、それに伴う温度の急激な低下という環境の下で翡翠輝石が生成したと考えられています。
 エメラルド・グリーンの元となるクロムは、母岩の蛇紋岩に含まれるクロム鉄鉱が分解して翡翠輝石に移行されたと考えられます。
 ビルマ産翡翠の詳細な分析の結果、翡翠生成時の温度が250℃~370℃圧力が1Gpa(1万気圧)であったことが確認されました。
 前述のように日本やグアテマラ、その他の地域の翡翠輝石も、同様の大規模な地殻変動によって生成されたものです。

ビルマ産の翡翠輝石の特徴
       
腕輪 内径49.5mm 厚さ 8.36mm  カフス 各19x4.5mm  ペアリング 21.27/21.65mm  マンダレーの翡翠市場 

   翡翠輝石の産地は世界に数か所しかありませんが、実質的に宝石質の翡翠は唯一ビルマ産のみです。
日本の糸魚川やグアテマラ産にも稀に宝石質の翡翠が採れますが、質、量共に世界の宝石市場に出回るほどの規模ではありません。
 上の写真の3点はいずれもサザビーのオークションで扱われた極め付きの最上品質の翡翠の宝飾品の例です。
 腕輪は1999年の香港でのオークションにて US$2,576,600 で落札されました。
続く2点も同様にビルマ産ならではの最上級の翡翠です。
 しかし、ビルマ産の翡翠の大半は写翡翠市場の写真に見られるような、庶民でも気軽に入手できるような値段と品質であり、冒頭のカボションや、装飾品は、こうした普通の翡翠を加工したものですからせいぜい一個数百円から数千円程度の水準です。

翡翠の処理
 
 

   採掘され、研磨された翡翠の装飾品は、一般に見映えを良くするために特別のワックス処理が施されます ;
1.研磨中に付着した汚れを取り去るために温めたアルカリ溶液中に5~10分間浸します。
2.付着したアルカリ溶液を酸性溶液で洗い流した後、沸騰した熱水に数分間浸し、翡翠中の気孔や空隙を空にします。
3.十分に乾かし、冷めてから予め温めておいたワックスに数分~数時間浸した後乾いた布で磨いて、艶を出します。
 処理後の翡翠の表面に付着したワックスはごく微量なため、研究機関での赤外線分析でも検出されない程度です。
 したがって、ワックス処理は宝石業界で広く容認されています。

 こうした措置は翡翠製品に一般的に行われていますが、それ以外に、実に様々な偽装が施されたものが存在します ;
1.褐色を帯びた原石を漂白して、緑に着色した樹脂を注入して高級な翡翠に見せかける。
2.石英、長石、方解石、蛍石、ザクロ石等々、無色の鉱物に着色、樹脂含侵等の加工をした偽造品
等々、古来より無数の偽物が存在します。
 そうした偽装品や偽物には専門の研究機関が調べない限り、到底識別が出来ない種類と出来栄えの物が多数ありますから、翡翠輝石を入手する場合は、信頼のおける、宝石の専門家がいる宝石店を通して求めるのみです。
 宝石フェアやオークションでも、そうした偽装品が多数あるものと、覚悟したうえで入手するしかありません。

グアテマラの翡翠
       
グアテマラの翡翠産地  巨大な翡翠転石 El Palmilla 川、 Zacapa州  推定340トンの翡翠原石 
Montagua Valley
” Blue Jade ”  12.73x9.51x2.00mm

中米グアテマラの翡翠
マヤ文明(BC8000 - AD1697) オルメカ文明 (BC1500 - 紀元前後)  アステカ文明 (AD1428 - 1521)
       
マヤ文明の ”命の象徴”板 12cm  翡翠の仮面 8.6x6cm  27.2cm Oajaca, Mexico    アステカ文明の翡翠彫刻


     
 Olmec Imperial Jadeite 1.89 - 5.51ct New Blue Jadeite 4.01 - 15.05ct  モタグア峡谷産な多彩な色合いの翡翠 最大 24x17x5mm 

   中米各地の遺跡から発見される翡翠輝石の彫刻や祭器品によって、中米では紀元前1200年から、スペイン人の侵略によってアステカ文明が滅亡するまでの15世紀初頭までの期間、各地で翡翠製品が作られていました。
 しかしスペイン人は金とエメラルドにしか興味を抱かず、翡翠は腎臓病の痛みを和らげる石としか考えていなかったので、敢えて翡翠の産地を探すこともなく、中米の文明が滅亡した後は、翡翠の産地の情報も失われ、忘れ去られていました。
 翡翠がスミソニアン博物館の研究員によってサパカ州のモタグア川の支流、パルミジャ川流域で再発見されたのは、1974年、さらにオルメカ文明で珍重された  ”青翡翠” の産地が再発見されたのは1990年代半ばと、最近のことです。
 いずれの産地も北米プレートとカリブプレートの衝突に因る沈み込み地帯で出来たモンタグア断層地帯にあります。
 研究の結果、産状は5000~12000気圧の高圧と比較的に低温の200~450℃の温度の超臨界状態の熱水による、主に溶融した蛇紋岩の岩体から翡翠輝石が生成したと、ビルマや日本各地の翡翠輝石の産状と共通の、極めて稀な地質状況であったと解明されています。
 モタグア峡谷各地に産する翡翠輝石には暗緑色、暗青色、淡青緑色,等々多彩な色合いがあり、大半は土地の土産物店で売られるアクセサリー級の品質でしかありません。
 したがって、国際市場に姿を見せることは殆どありません。

その他の産地の翡翠
         
宝石質翡翠輝石  Block total 22.8g  59x44x14mm 67g  15.92ct   18.44ct 1.03ct 9.9x6.6x2.0mm 
Russia  Central Russia  Sayan Mtns. Russia   Turkey

ロシアの翡翠輝石 :   ロシアの北極圏のウラル山脈に何か所か翡翠輝石の産地があるとのことですが、詳細な情報はありません。 
 写真の装飾品は、雑誌の片隅にロシア産の翡翠輝石として記載されていたものです。
詳細な産地は不明で、単に中央ロシア産の翡翠とされているのは、宝石質ではなく、風呂や台所等の内装用として採掘、販売されている物です。 
 余り見映えのしない標本ですが、専門家の分析で翡翠輝石として認められたものです。
 カボションに研磨されているのは、モンゴルに近いサヤン山脈産のアクセサリー品質級ですが、これも専門家の分析により、翡翠輝石と判定されたものです。

トルコの翡翠輝石 :
 
30年以上昔にミュンヘンショーにてトルコ産として入手した淡い紫色の翡翠のカボションです。
リンクしている ”鉱物たちの庭” には翡翠の産地や生成に関する情報が豊富にあり、このトルコ産翡翠についても、オスマン帝国時代に一時首都でもあった、古都ブルサの南60㎞のオルハネリの町で紫色の翡翠が採れるという情報で、ようやく産地が分かりました。
 この一帯は青色片岩に花崗閃緑岩が貫入した接触変成帯の石英脈中に細く薄い翡翠脈が発見されるという産状とのこと。
 したがって翡翠は半透明の石英とともに研磨されるため、表面に光沢があってなかなか美しいのですが、翡翠成分は全体の50%程度しかなく、宝石としての翡翠輝石とは認められない物です。

翡翠の仲間の類似の鉱物
     
糸魚川姫川産のコスモクロア
周囲の暗緑色は軟玉タイプの緑閃石 
ビルマ産モウ・シ・シ 52x51x9mm モウ・シ・シ(Maw-sit-sit) 原石と
カボション 9.87, 8.48ct 

   
 Omphacite max.0.35ct    鉄龍星 (Hte Long Sein) 44x23x14mm 15.82g  と薄片に研磨されたブローチ
 Guatemala  Burma
 コスモクロア輝石 (Kosmochlor)  NaCrSi2O6    翡翠輝石のアルミニウムがクロムに置き換えられたもの
1894年、メキシコの Toluca 隕石から初めて発見され
その鮮やかな緑色に因み ”宇宙の緑” と命名された。
 日本各地の翡翠産地からも 発見され、翡翠輝石に広範に含まれる成分です。
 モウ・シ・シ (Maw-Sit-Sit)      ビルマの翡翠輝石産地北部の Maw-Sit から採れる特にクロム成分比が高い濃緑の翡翠の一種。
 透明度が低いためカボションに加工される。
 オンファス輝石
(Omphacite)
 (Ca,Na)(Mg,Fe2+,Al,Fe3+)Si2O6      ギリシア語で ”未熟な葡萄を意味する : omphakit ” に由来する命名の、青みがかった緑の輝石で、翡翠を構成する鉱物です。
 エメラルド・グリーンの最上級の翡翠と見分けが付かない色合いもある。
 鉄龍星
( Hte Long Sein)
     2000年代初期にビルマで新たに発見された翡翠の変種で最大2.6wt% の Cr2O3 を含み濃緑色を示します。
 このため薄片にカットされ、透明度を高めて宝飾品に加工されます。

合成翡翠 (Synthetic Jade)
       アメリカのゼネラル・エレクトリック社は1955年にダイアモンドの合成を成し遂げました。
宝石用のダイアモンドの合成を目指しての実験でしたが、出来たのは砂粒のような小さな結晶で到底宝石には使えません。
 実はスウェーデンのASEA社も宝石用ダイアモンドの合成を試み1953年に成功していたのですが、同様に砂粒のような結晶しか得られなかったために、未発表でした。
 GE社はその後、温度差法という技術で、漸く1カラットの宝石質のダイアモンド合成に成功したのは1970年のことでした。
 GEはこの高温高圧技術を転用して翡翠輝石の合成を1950年頃から試み、1970年頃には翡翠輝石と判断できる結晶塊の合成に成功していました。
 3万~5万気圧、1200~1400℃と、天然の翡翠の生成条件とは異なる高温、高圧下での実験でした。
 天然の翡翠は蛇紋岩・橄欖岩が様々な輝石類と超臨界条件の熱水と反応して出来る鉱物です。
 単に翡翠成分を高温ー高圧下で圧縮するという実験でしたが、ともあれ合成が可能という事実が証明されたわけです。 
 5.20ct  6.73ct  
General Electric, U.S.A.   

 GE社は、翡翠合成はあくまでもダイアモンド合成技術を転用した試みにすぎず、商業的な生産を試みるつもりはないとのことでしたが、辛抱強く試行錯誤を続け、1990年代終わりには、写真のような、天然の最上の翡翠輝石に匹敵する合成品を作り出すことに成功しました。
 半世紀を費やしての成功で、その執念にはただただ感心するばかり。


翡翠に類似した天然の宝石
          a  アヴェンチェリン・クォーツ
 b ハイドログロシュラー
ガーネット 
 c  バリスサイト
 d クリソプレース
 e 蛇紋岩(サーペンタイン)
         
 蛇紋岩 翡翠輝石   クリソプレース  f  染色したクォーツァイト
10.38ct 15.4x12.0x7.2mm  14.99ct 15.3x11.6x8.6mm  8.1ct 14.1x9.3x4.4mm  g 染色した方解石 
南アフリカ   ビルマ  オーストラリア  
   古来より翡翠輝石に見せかけた染色加工した偽物や、類似した天然石が無数に登場してきました。
 写真はそうした宝石類のほんの一例にすぎません。
  同じ種類でも,個々の石毎に色合い等々千差万別の違いがあり、これらを外見だけから識別するのは至難の業です。
  セットしてない裸石なら比重や屈折率で識別が可能ですが、染色されたものは、赤外線走査等の専門的な機器を駆使して調べる必要があります。
 すなわち、これら翡翠輝石らしき宝石を求めるときには、信頼できる、宝石の専門家がいる宝石商を頼るのみです。
怪しげなネット販売に出ている翡翠は自己責任と覚悟するしかありません。


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