北アメリカ大陸のトルマリン

メイン州のトルマリン(Maine Tourmaline)

 

1,92ct 6.95x5.0mm 0.54ct 6.1x4.9mm 48.7ct
Maine, U.S.A. Newly, Maine


G.F.Kunz博士の本
”北米の宝石”1890年
からメイン州のトルマリン
Mt.Mica産
結晶 8cm
Dunton Quarry産トルマリン
13x10cm 
William Larson Collection
典型的なMt.Mica産トルマリン 
4.2ct
Mt.Mica産トルマリン彫刻 10cm

 

 アメリカ大陸には多くのペグマタイトがあって、水晶、緑柱石、トパーズ、ガーネット等のペグマタイト鉱物と共にトルマリンは古くから採 掘されていた宝石です。  
 アメリカ合衆国では1820年にメイン州で最初に宝石質のトルマリンが発見され、その後カリフォルニア、コロラド、コネチカット、モンタナ、ニューヨーク州、南ダコタ、ニュー・メキシコの各州でも宝石質や標本級のトルマリンが発見されています。
 しかし最も重要な産地はメイン州とカリフォルニアのサン・ディエゴ近郊のペグマタイトです。
 またカナダでもマニトバ州、オンタリオ州、ケベック州にてトルマリンが発見されていますが、近年ダイアモンドの巨大な鉱山が開発されている北部地域のイェロー・ナイフやLac de Gras付近の大ペグマタイト地帯に多くのトルマリンが発見され、質の良い宝石級の結晶が続々と発見されているとの報告があります。
 しかし北極圏の極めて辺鄙な地域ですから、商業的な採掘が行われる可能性はまず考えられません。
メイン州のトルマリン
  メイン州の宝石は余りにも有名ですが、さて、その詳細な地質情報や地図となると,皆目見当たりません。
 呼び方からして日本の地図では何故かメーン州となっています。
  ”Maine”の綴りならメインと呼ぶ筈ですが何かわけがあるのかと思っていました。
最近BS放送のアクターズ・スタジオの俳優とのインタービュー番組で英国の俳優,マイケル・ケインがきちんとメインと発音していました。
 手もとの僅かな資料によると、アメリカ東海岸北部ニューイングランド地方はコネチカット州,ニューヨーク州、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州からメイン州まで400kmにも及ぶリチウム・燐酸ペグマタイト地帯が存在するようです。
 この一帯は2億5千万年ほど昔、古生代後期のペルム期に起こった大規模な地殻活動によって出来た花崗岩地帯と思われます。
 これらのペグマタイトの中ではメイン州には数百ものトルマリン、緑柱石、ポルース石、水晶等を産するペグマタイト晶洞が存在する重要な産地です。
 とりわけオックスフォード郡のパリスの町の郊外、マウント・マイカと、その60km西にあるダントン採石場、さらにパリスの町の南東25kmにあるオーバーンのパルシファー採石場のマウント・アパタイトの3ヶ所は数々の世界的な宝石結晶を産出したことで知られています。
Mt.Mica 晶洞に目印の棒が立っている 1890年代 現在のMt.Mica Mt.Micaでの採掘
 
マウント・マイカ(Mt.Mica、 Paris, Maine)

 メイン州でトルマリンが発見されたのは1820年の秋のことでした。
前日来の暴風で倒れた木の根元に緑の結晶が輝いているのをハイキングで通りかかった二人の子供、Elijah HamlinとEzekiel Holmesが見つけたことに始まります。
 これがアメリカで公式に記録された最初の宝石の発見とされています。
場所はパリスの町の外れでありました。 
 近くにはもっと沢山の結晶が散らばっているのが発見されました。
 しかし翌日からの雪に閉ざされて、結晶探しは翌年の春に持ち越されました。
 二人は近所の人々にその結晶が何なのか尋ねましたが、誰も答えられなかったので、結晶はイェール大学に送られ、珪線石(シリマナイト)にその名を残す、地質学教授のBenjamin Sillimanによって、トルマリンであることが判明したというわけです。
 後にリンカーンの下でアメリカ合衆国の副大統領となったエリア・ハムリンの弟、ハンニバルも夢中になって露頭を掘っては緑やピンクのトルマリンの結晶を採集していましたが、誰もそれが価値ある宝石とは思わなかったので、たいていはプレゼントとして配られていたのでした。
 Mt.Micaから宝石質のトルマリンが採れることが判明してからは、何年にも渡り、多くの人々が採掘を試み宝石のある晶洞が発見されることもありました。
 しかし固い岩盤を掘る作業は効率が悪く採算が採れないために、本格的な鉱山経営が継続されることはありませんでした。
 1971年になり,最初の発見者の息子のAugusutus Hamlinが最大で11x4cmの一端が緑色をしたアクロアイト(無色のトルマリン)を含むポケットを掘り当て、標本はハーヴァード大学に買い取られました。
 その後ハムリンは採掘を続け、1881年にMt.Mica 会社を設立しました。 
その後10年間に多くの宝石ポケットが発見され、宝石質のトルマリン、煙水晶、20cmにも達する無色の緑柱石(ゴッシェナイト)等を発見し、それらはハーヴァード大学やティファニー宝石店に買い取られました。



1880年代に採掘されたトルマリンと無色
のベリルからなるHamlinネックレス
最大の緑のトルマリンは34.25ct
Harvard大学コレクション
Mt.Micaのトルマリン 中央上の結晶 5cm
左上のペンダントは最初にE.Hamlinが発見
した結晶
上 Mt.Mica産の最大のトルマリンルース
  256ct
下 典型的なパステルカラーの結晶


 Mt.Micaでの採掘は1913年頃まで断続的に続けられましたが、アメリカ産トルマリンの最大の顧客であった清朝の消滅により鉱山経営はほぼ半世紀間途絶えました。 
 1965年になって再び鉱山が再開され、ブルドーザーで数千トンもの堆積物を除去し,古い晶洞を爆破して新しい晶洞が幾つか発見されました。
 煙水晶や中心がピンク,周囲が緑のウォーターメロン・トルマリンが発見され、50ct以上の曇りのない緑ー緑青色のルースが取れた結晶等が得られました。
 1979年に恐らく Mt.Micaでは最大の晶洞が発見され250kgの水晶、10kgにも達する無色−青−ピンクのカラーバンドを持つ宝石質の緑柱石やメイン州産としては最大の記録となった256ctの深い緑のトルマリン・ルースがとれた宝石質のトルマリン等を産出しました。
 Mt.Micaではその後も採掘は続いていますが、例えば1991年の産出は1000カラットのルースが採れた程度ですから、量は極めて少なく、市場で結晶やルースを見かけることはなかなかありません。
 Mt.Micaの宝石ポケットの大きさは0.5〜数十リットルと小さなものです。
が、発見されたトルマリンの最大の結晶は高さ39cm直径が18cmと巨大なものです。
最大のルースは256カラットでした。
 冒頭の写真のネックレスのように、多彩な色彩のエルバイトを産しますが、一般にパステル・カラーが多く、ブラジルのトルマリンのように褐色を帯びず、爽やかな色合いが多いのが特徴です。
 過去180年の間に発見されたポケットの数は数百個です。すなわち非常に固い岩盤を掘って年間数個のポケットが見つかるという効率の悪さです。
 鉱山といっても写真のように2〜3人のグループが殆ど手作業で掘っているだけの操業形態に過ぎません。
 したがって一次鉱床である固い岩盤のペグマタイト鉱脈を掘るのはビジネスとしては全く割に合わない作業です。
  しかし、そのために発見後2世紀近く経った現在でも鉱床は枯渇することなく,細々とではありますが,時折素晴らしい宝石質結晶を含むポケットが発見されるというのがMt.Micaのペグマタイトです。
 現在ではMt.Micaでは一般のコレクターも料金を払って採集することが出来るという,数少ない宝石鉱山です。



ダントン採石場(Dunton Quarry、 Newry Hills, Maine)


ダントン採石場でのトルマリン採掘
1972年
ダントン採石場の坑道入り口 1972年 トルマリンの評価 1972年 Duntn Quarry産
トルマリン結晶 13x7cm
R.Webster Collection

 Mt.Micaのあるパリスの町から西へ60km程、同じくメイン州のNewryの町の郊外に1898年にペグマタイト鉱脈の露頭が発見され、1902年に鉱夫のDuntonが採掘権を得てから、この鉱山がDunton Quarryと呼ばれるようになりました。
 当初はピンクや緑の透明な宝石質のトルマリンが採れました。
1926年から1930年初めまでGeneral Electric社が鉱区をリースしてポルックス石の採掘を行いました。 
 GE社の目的はポルックス石に含まれるセシウムでした。 当時はラジオや通信機が急激に普及し始めた時代ですが、真空管が高圧で大電流を消費するため、その寿命の短さとバッテリーの消耗とが大問題となっていました。
 より低電圧で消費電力の少ない効率の良い真空管を作るために様々な材料が検討されました。
Western Electrtic社はカソードに窒化バリウム等の酸化皮膜を、RCA社はトリウム添加のタングステンを、そしてGE社は電子親和性がもっとも小さく、全元素中もっとも電子放出効果の高いセシウムと、激しい開発競争が行われていたのです。
 ダントン採石場が注目を集めたのは1972〜74年に巨大なポケットが発見されたためです。
中からはビール缶ほどの大きさのトルマリンが山のように積み重なっていて毎日50kg、100kg、150kg とファセット、カボション、彫刻、結晶標本用の結晶が取り出され、二つのポケットから合計で4トンものトルマリンと、その他に水晶や長石を産出し、それまでは小規模の産地とされていたのが、一躍北米で最大級の宝石産地として記録されたのです。
 ダントン採石場で発見された”Jolly Green Giant”と呼ばれる長さ27cmの見事な結晶はスミソニアン博物館で見ることが出来ます。

アパタイト山とパルシファー採石場,ハッチ農場
(Pulsifer Quarry and Hatch-Farm, Mt.Apatite, Auburn, Mine)

 

Mt.Apatite 長石採石場 
1913年
Pulsifer採石場 1966年 燐灰石(3.2cm)とクック石
(LiAl
4(Si3Al)O10(OH)
 Pulsifer Quarry
アメリカ自然史博物館
燐灰石 3.2x1.5cm 
Patterson自然誌博物館
 New Jersey 
 
 メイン州パリスの町から南東へ25km、オーバーンの町から西へ10kmの低木が茂る丘陵地帯、Mt.Apatiteは雲母片岩からなるペグマタイトで1839年にトルマリン等の鉱物発見が報告されています。
 Mt.Apatiteに至る丘や森を縫う Hatch 通りの東にはハッチ農場が、西側にはパルシファー農場がありました。
この二つの農場の畑や沢、森の木の根元にしばしば緑や青いガラスのようなものが発見されていました。
 それが宝石質のトルマリンであると気づいたのは南パリスの町の鉱物コレクターで,1883年のことでありました。
早速採掘に採りかかると,たった一つのポケットから最大で8x1.5cmの青やピンクや緑のトルマリン結晶が1500個も出てきたのです。
 その後この一帯では紫やピンクの燐灰石、煙水晶、黄水晶、クック石,トルマリン、クンツァイト、ヘルデライト、ブルートパーズ、モルガナイト、アクアマリン、ロードクロサイト、コロンブ石、錫石、曹長石、リシア雲母と、実に多彩な鉱物を産しました。
 1901年にはパルシファーが農閑期にペグマタイトの露頭の採掘を始めました。 
1年余りの採掘で多数のトルマリンと燐灰石のポケットを発見し、それらは2000ドルにもなりました。 
当時としては大変な金額でありました。
 しかしパルシファーは大金に目がくらむこともなく、農閑期にのみ少しづつ採掘を進め、素晴らしい標本級のトルマリンや燐灰石の結晶はハーヴァード大学のコレクションとして買い上げられました。
 多様な鉱物や宝石を産した採石場でしたが、中でも ”ロイヤル・パープル” と呼ばれた菫色の燐灰石はその色合いと大きさと完璧な結晶形とで空前絶後の燐灰石結晶であっ たと評価されています。
 紫色の燐灰石はカリフォルニアの Mesa Grande 鉱山、ボリヴィアの Siglo20 鉱山、チェコの Schlaggenwald、ポルトガルのPanasqueira、ドイツの Ehrenfriedersdorf 等でも産出しましたが、Mt.Apatiteほど見事な結晶はありませんでした。
 残念ながらパルシファー採石場の鉱脈は1964〜65年に発見された晶洞群から深い緑、サーモン・ピンク、淡青色等のトルマリンやかなりの量のロイヤルパープルの燐灰石結晶を、そして1966〜67年に長さ15cm,1700ctの宝石質トルマリン結晶と170ctの濃い紫の燐灰石の産出したのを最後に水没してしまい、二度と採集が出来なくなりました。

メイン州のトルマリンの評価
 

 前述のようにメイン州のトルマリンは他の産地には例の少ない多彩なパステルカラーが特徴です。
とりわけミント・グリーンと呼ばれる爽やかな緑色は、ブラジル産に多いやや褐色を帯びた緑とも、またアフリカのクロム・トルマリンとも異なる,魅力あるものです。
 殆どの結晶が固い岩盤を掘って発見される数少ないポケットに発見されるため産出量が限られることも相俟って、市場では相当の高値で取引されています。 
 中〜上級の緑色のルースがカラット当たり125〜150ドル、ピンクが200〜300ドル、ミント・グリーンやインディゴの美しいものは300ドルを超えます。
 これはブラジル産の同等品の2倍以上、ナイジェリア産の70%高、またパステルカラーが特徴のアフガニスタン産よりも30%高い水準です。
 近年ブラジルのパライバ・トルマリンが異例の高値を更新しつづける中で、全般的にトルマリンの注目度が高まり、特に産出量の少ないメイン州産のトルマリンはこの20年間で5〜10倍になっています。

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