嫋やかな野の花たち
トパーズ,スポジュ‐メン,トルマリン、スピネル
トパーズ | トルマリン | スポジューメン | スピネル 上の写真はパミール高原 下の指輪はビルマ,他はスリランカ産 アメリカ自然史博物館 |
ルビー,サファイア、エメラルドを花に例えれば、それぞれ豪奢で華やかな薔薇や、蘭、牡丹か芍薬に相当するでしょう。いずれも長い年月をかけて人間の手で改良を重ねて、完璧なまでの姿と色合いとに仕上げられた,花の世界の貴婦人の風格を備えています。
一方では、しかし人の手を借りることなく,自然の中で多様な美しさを競い合う高山植物や野の花も無数にあります。山や森の散策の途中で、名も知らぬ野の花の思いもかけない姿や色合いの美しさに歩みを止めて見とれた経験を持つ方も多いのではないかと思います。
宝石の世界にも,一般に余り知られることなく、野の花のように多彩な姿と多様な色合いをもつグループが存在します。
今回は,とりわけ素晴らしい結晶形と色彩の変化を持つ、トパーズ、トルマリン、スポジューメンとスピネルとを特集しました。
化学組成 結晶系 モース硬度 比重 屈折率 トパーズ Al2[F.OH/SiO4] 斜方晶系 8 3.53 1.62-64 トルマリン Na(Mg,Fe,Li,Al,Mn)3Al6(BO3)3Si6O18(OH,F)4 三方晶系 7 - 7½ 3.0-14 1.62-64 スポジューメン LiAl[Si2O6] 単斜晶系 6½ - 7 3.18 1.66-68 スピネル MgAl2O4 等軸晶系 8 3.60-90 1.711-730
2. 尖晶石(スピネル)スピネルという宝石について、それが一体どんな宝石で、どれほどの価値があるのかご存知ない方が殆どと思います。
実は下記の写真の様に、英国王室やロシア皇室の王冠を飾る主要な宝石がスピネルなのです
英国王室王冠の巨大なスピネルの下にはこれまた巨大な世界で最も大きなダイアモンド原石,カリナンからカットされた2番目に大きな317カラットのカリナン第2が飾られています(最大のカリナン第1、530ctは同じく王笏に飾られています)。
同じく”チムール.ルビー”の名の、エリザベス二世所有の見事なネックレスも、スピネルです。
ロシアのエカテリーナ一世の為に1724年に作られた王冠の頂にある鳩の卵大、414カラットもの赤い宝石もスピネルです。
こうした、最も由緒ある宝飾品に使われている程の宝石なのですが、しかし長い間、これらはいずれもスピネルではなく、ルビーと考えられていたのです。
誰もが目にする王権の象徴である王冠に在って、その豪奢な美しさを称えられながら、しかしルビーの影武者として何世紀にも渡って、その本名も知られずにいた宝石がスピネルなのです。
英王室王冠の
”黒太子のルビー”
43.3x33.8mm 170ctロシア皇室
エカテリーナT世の王冠
のスピネル 414ctチムールをはじめ、ムガール
帝国の皇帝の名が刻まれている
チムール・ルビー 352ct
スピネルという名はラテン語の ”スピナ(Spina)=とげ(棘)”に因んで,16世紀ドイツの鉱山学者,アグリコーラ(Agricola)が1546年に命名しました。
上記の写真の様に、まさに薔薇の棘のような鋭く尖った美しい八面体の結晶で産出します。
世界のスピネル産地名前の混乱もさる事ながら、実は産出量が圧倒的に少ないこともスピネルが一般に知られない大きな理由です。
世界的にスピネルの産地は極めて限られているうえに、宝石級のスピネルはほんの少ししか採れません。
恐らく紀元前から採掘されていたバダフシャン(今日のアフガニスタンとパミール高原)のスピネルが世界各国の王室の宝飾品として使われていたと思われます。
またビルマはモゴク、,カチン高原、シャン高原等広範にスピネルを産する世界有数のスピネル産地です。とりわけモゴクからは大理石中や漂砂鉱床から8面体の結晶を産します。
色も姿も美しい結晶は、その表面を研磨しただけのエンジェル・カットと呼ばれて宝飾品に使われることもあります。
そしてスリランカもビルマと並び、昔から多彩な色のスピネルで知られていました。
更に1990年代初頭ヴェトナム各地で次々と発見されたルビー産地からもスピネルが採れる等、中央アジアと東南アジアが古来から現在に至るまで代表的なスピネル産地でありました。
ルース 4.03ct 結晶 1cm
Mogok, Burma
アメリカ自然史博物館70.99ct
Srilanka
アメリカ自然史博物館1.26ct 8.5x5.8mm 1.00ct 7.15x5.65mm 無色透明のスピネル 1.52ct
Pailin CambodiaPamir Mtns
スピネル結晶 9x9o
Mogok, Burma大理石中のスピネル結晶 24x8mm
Pamir Mtns.結晶 12.81ct
ルース 4.46/3.58ct
Vietnam2.28ct
Tanzania中央(大)ルビー
周囲スピネル結晶(小)
Morogoro Tanzaniaルース 0.99〜2.09ct
Ilakaka, Madagascar1990年代に入って間もなく、アフリカ,タンザニアにて、ウムバ川流域、モロゴロ、トゥンドゥルー等、各地でサファイア等様々な宝石と共に多彩な色合いのスピネルが発見されました。
1999年から2000年にかけてマダガスカルのイラカカにてタンザニアやスリランカと同様の漂砂鉱床から、多彩な色合いのスピネルが発見されました。
今やアフリカのタンザニアとマダガスカルは質,量ともに多様な宝石の重要な産地となっています。
その他、ロシアのウラル山脈南部のカメンコ川流域でかつて素晴らしいピンク・トパーズと共にスピネルを産出した記録がありますが、現在では消息が途絶えています。スピネルの価値と、スピネルの産地は最近になって増えましたが,それでも年間供給量は極めて少なく、ルビーの10分の1の数万カラット程度であろうと推定されます。
ルビーやサファイと同じ、深紅からピンク、ラズベリー、橙、紫、紺,青、緑と多彩な色合いを示します。
モース硬度も8と、ルビー,サファイアに次ぎ充分な耐久性を持っています。
それ程の宝石にも拘らず、幸か不幸か一般に殆ど知られていないため、不当な ! としか言いようがない程、スピネルの市場価値は低いのです。
上記の写真の様にビルマ産の最上の"鳩の血の色”のルビーと遜色のない,そして肉眼では全く識別が不可能なスピネルはルビーの10分の1を遥かに下回る価格で取引されているのが現状です。
近年とみに人気が上昇しているパパラチアと呼ばれるピンクのサファイアと同じ色合いのスピネルの価格も同様です。
まして、その他の紫や紺色となると、もうカラット当り10ドルから,どんなに高くとも数十ドル程度と大バーゲンとしか言い様がありません。
僅かにスピネルの中で比較的に人気のあるラズベリー色がカラット当り150ドルと、これでもその美しさと稀少価値とを勘案すれば大バーゲンですが、まともな値段です。
パライバのトルマリンを初め、余りに小さくて,数が少なく、殆ど実用にならないアウイン(藍方石)やレッド・ベリル等が今やカラット当り1万5000ドルと、最上級のダイアモンド並の値段にまで高騰している一方で、美しさでは勝るとも劣らず、ルビーはもちろんダイアモンドより遥かに稀少なスピネルがただ同然の評価とはまさに,宝石界の七不思議であります。
宝石の世界もまた、その評価は宝石そのものの美しさよりは、むしろ知名度が高いか否か、流行っているか否か、他人が持っているか否か、と言うブランド信仰が罷り通る世界なのだと認めるしかありません。
こうした風潮のおかげで、一介のコレクターにも逸品のスピネルでもためらうことなくコレクションに加えることが出来るのですが、それにしても、こんなに美しい宝石がまるで顧みられないでいる現状は普通ではないと思わざるを得ないのです。一言で申し上げれば,スピネルは宝石の世界の究極の掘り出し物なのです。