ファベルジェの卵(Fabergé Imperial Easter Egg)
1885年、最初に作られた ”めんどり”エッグ 6.5cm First "Hen" egg ex. Forbes Collection |
1894年製作の”リージェンス、又はルネッサンス”エッグ フォーブス・コレクション 現在はロシアの個人コレクション "Regence" or "Renaissance" egg ex.Forbes Collection now in Russia |
1915年の”聖ジョージ” "Order of St. George" ex. Forbes Collection |
2004年4月の20日と21日にニューヨークのサザビーズにて9個の卵を含む180点余りのファベルジェの作品がオークションにかけられることになっていました。
総額で100億円を超えるとの前評判が高かった取引の行方に注目が集まっていましたが、2月4日、サザビーズはオークションが中止となったことを発表しました。
出品予定の全作品をロシアの新興財閥ヴィクトール・ヴェクセリヴェルグが一括購入することになったためです。ファベルジェとは19世紀末から20世紀初頭にかけてロシア王室ご用達となった宝石商です。
ファベルジェがロシア王室の注文を受けて製作された数多くの宝飾品や飾り物、文房具、時計等、膨大な工芸品が残されています。
とりわけロマノフ家のアレクサンドルIII世とニコライII世の注文でそれぞれの皇后と母后のために製作されたインペリアル・イースター・エッグと呼ばれる作品群はその独創性に溢れる美しさと、精緻を凝らした仕掛けとで歴史上屈指の工芸美術品として名高いものです。
ファベルジェの卵は全て卵と、中に”驚き”と呼ばれる嗜好を凝らした小さな仕掛けが入っています。
最初に作られたものは七宝の白い卵の殻の中から黄金のめんどりが卵の中から出てくる単純なものでしたが、次第に豪華な飾りと複雑な仕掛けとが施されるようになりました。
1894年製作のリージェンス様式(1715〜23年、ルイ15世未成年時代のオルレアン公フィリップの摂政政治の期間)のお菓子入れー41ctの緑のダイアモンドで有名なドレスデン宮殿の緑の天井の間に展示されているーを模したルネッサンス・エッグは瑪瑙の卵を赤、白、青、緑の七宝焼きとダイアモンドとルビーをちりばめた金の格子で飾られています。
このルネサンス・エッグの中にあったはずの仕掛けは失われてしまっていたと考えられていましたが、最近になってフォーブス家のコレクションにあった”キリスト復活”エッグが実は”驚き”の仕掛けであったと判明しました。
”キリスト復活”エッグ
長らくフォーブス家のコレクションにあった”キリスト復活”エッグは1886年に製作されたと考えられていますが、ファベルジェの記録には独立した”エッグ”としては残ってなく、また何時、誰に贈り物として作られたのか、その由来が不明の作品でした。
しかし、最近のフォーブズの資料によると、写真のように”ルネサンス”エッグの内部にすっぽりと納まり、またデザインや色合いも合うことから、1894年にアレクサンドルIII世皇帝が皇后のマリア・フェオドロヴナに贈ったルネサンス・エッグ用の仕掛け、と考えると様々な疑問が解消します。 ”キリスト復活”エッグは水晶をくりぬいたケース中に七宝の復活したキリストと天使の像が収まり、ベースは金の台に七宝と真珠飾られています。
キリスト復活エッグ 右は水晶のケース内部の七宝のイエスと天使
"Resurrection" egg Quartz case and enamel Jesus and Angelesルネサンスエッグ内部に納まったキリスト復活エッグ
Resurrection egg as "surprise" of Renaissance eggイースター(復活祭)はキリストの復活を祝い、3月21日以降の満月の次の第一日曜日に祝われる祭りですが、現在でも復活の象徴として美しく彩色された卵が贈り物や飾りとして使われます。
ロシアでは長く寒い冬の後、春の訪れと共に祝われる復活祭は、とりわけ重要な祭りでありました。
1885年に製作が始まったロマノフ王朝の卵は毎年1〜2個が製作され、1916年までに50数個が製作されました。
ロシア革命でロマノフ王朝は滅び、その膨大な財宝が失われましたが、ファベルジェの卵の大半は世界各地の博物館等に50個ほどが残されています。
中でも11個と世界最大のコレクションを持つアメリカの経済誌の所有者、フォーブス家のコレクションには逸品が多く、その大半がオークションに売り出されたことから世界の注目を集めたのでした。
今回、そのコレクションが一括してロシアのオリガルヒと呼ばれる新興財閥に買い取られ、革命からほぼ1世紀を経て再びロシアに戻ることになったのを機に、資料をまとめてみました。
製作年 | 名称 | 支払い額 (ルーブル) |
現在の所有者 |
1885 | Hen (めんどり) | 4,151 | フォーブス家(1978) |
1886 | Hen Egg (サファイア ペンダント付・籠の中のめんどり) | 2,986 | 1922年以降行方不明 |
1886 | Resurrection (キリスト復活) | 不明 | フォーブス家 |
1887 | Third Egg | 2,160 | 個人蔵 |
1887 | Blue Enamel(青の七宝) | 不明 | Starvos Niarchosコレクション パリ |
1887 | Blue Serpent Clock(青い蛇の時計) | 2,160 | Monaco レイニエIII世 |
1888 | Cherub with Chariot(戦車に乗るケルビム) | 2,100 | A.Hammerが売却 現在は不明 |
1888 | 時計を持つ天使 | 不明 | 行方不明 |
1889 | Necessaire 【必需品、道具箱の意味) | 1,900 | 行方不明 |
1889 | Pearl (真珠) | 不明 | 行方不明 |
1890 | Emerald (エメラルド) | 不明 | 行方不明 |
1890 | Spring Flower(春の花) | 不明 | フォーヴス家 |
1891 | Azov(巡洋艦アゾフ号) | 4,500 | モスクワ Kremlin博物館 |
1892 | Twelve Monograms(12の組み合わせ文字) | 4,500 | ワシントンD.C. Hillwood博物館 |
1893 | Caucasus(コーカサス) | 5,200 | ニューオルリンズ美術館 |
1894 | Renaissance(ルネッサンス) | 4,750 | フォーブス家 |
1895 | Danish Palaces(デンマークの宮殿) | 4,260 | ニューオルリンズ美術館 |
1895 | Rosebud(薔薇の蕾) | 3,250 | フォーヴス家(1985) |
1896 | AlexanderIII(アレクサンドルIII世) | 3,575 | 行方不明 |
1896 | Revolving Miniatures(回るミニチュア) | 6,750 | ヴァージニア美術館 Richmond |
1897 | Mauve Enamel(モーヴ色の七宝) | 3,250 | フォーブス家(1978) |
1897 | Coronation(戴冠式) | 5,500 | フォーブス家(1979) |
1898 | Pelican(ペリカン) | 3,600 | ヴァージニア美術館 |
1898 | Lilies of the Valley(すずらん) | 6,700 | フォーヴス家(1979年216万ドルで購入) |
1899 | Pansy(三色菫) | 5,600 | 個人蔵 アメリカ |
1899 | Bouquet of Lilies Clock(百合の花束時計) | 6,750 | モスクワ Kremlin博物館 |
1900 | Cockerel(鳩時計) | 7,000 | フォーブス家(1979年1,905,200ドルで購入) |
1900 | Trans Siberian Railway(シベリア横断鉄道) | 7,000 | モスクワ Kremlin博物館 |
1901 | Gatchina Palace(ガチーナ宮殿) | 5,000 | メリーランド州 Baltimore Walter's Art Gallery |
1901 | Basket of Flowers(花篭) | 6,850 | 英国王室 |
1902 | Empire Nephrite(ネフライトの帝国) | 6,000 | 行方不明 |
1902 | Clover(クローヴァー) | 8,750 | モスクワ Kremlin博物館 |
1903 | Danish Jubilee(デンマーク50年祭) | 7,535 | 革命後行方不明 |
1903 | Peter the Great(ピョートル大帝) | 9,760 | ヴァージニア美術館 Richmond |
1904 | Cathedral Ouspensky(ウスペンスキー寺院) | 不明 | モスクワ Kremlin博物館 |
1904 | Alexandre III Commemorative(アレクサンドルIII世記念) | 11,200 | モスクワ Kremlin博物館 |
1905 | Colonnade(柱廊時計) | 11,600 | 英国王室 |
1906 | Swan(白鳥) | 7,200 | 時計博物館 Le Locle スイス |
1906 | Kremlin(クレムリン宮殿) | 11,800 | モスクワ Kremlin博物館 |
1907 | Cradle with Garlands(花冠付の揺りかご) | 9,700 | 個人蔵 |
1907 | Rose Trellis(薔薇の格子) | 8,300 | メリーランド州 Baltimore Water's Art Gallery |
1908 | Peacock(孔雀) | 8,300 | 時計博物館 Le Locle スイス |
1908 | Alexander Palace(アレクサンドル宮殿) | 12,300 | モスクワ Kremlin博物館 |
1909 | Standard(皇室のヨットスタンダード号) | 12,400 | モスクワ Kremlin博物館 |
1910 | Alexander III Equestrian (アレクサンドルIII世乗馬像) |
14,700 | モスクワ Kremlin博物館 |
1910 | Love Trophy (愛のトロフィー) | 不明 | アメリカ 個人蔵 |
1911 | Bay Tree(オレンジの樹) | 12,800 | フォーブス家(1966年35,000ドルで購入) |
1911 | 15th Anniversary | 16,600 | フォーブス家(1966) |
1912 | Napoleonic(ナポレオン様式の) | 不明 | ニューオルリンズ美術館 Geddings Gray財団 |
1912 | Tsarevich(ツァレヴィッチ) | 不明 | ヴァージニア美術館 Richmond |
1913 | Winter(冬) | 24,600 | 個人蔵(1994年 560万ドルで取引) |
1913 | Romanov Tercentenary(ロマノフ家300周年記念) | 21,300 | モスクワ Kremlin博物館 |
1914 | Mozaic(モザイク) | 不明 | 英国王室 |
1914 | Grisaille(グリザイユ) | 不明 | Hillwood博物館 ワシントンD.C. |
1915 | Red Cross with Imperial
Portraits (皇帝の肖像付赤十字) |
不明 | ヴァージニア美術館 Richmond |
1915 | Red Cross with Tripitych | 不明 | クリーヴランド美術館 Ohio |
1916 | Order of St. George(聖ジョージ) | 不明 | フォーヴス家 |
1916 | Steel Military(鉄の軍隊) | 不明 | モスクワ Kremlin博物館 |
”Third Egg” の発見
1887年制作のサード・エッグ 高さ 8.7cm と サプライズのヴァシュロン・コンスタンタン製の婦人用時計
1987年にアレクサンドルIII世から母のマリア・ヒョードロヴナに贈られた ”Third Egg : 3番目の卵” と呼ばれるイースター・エッグが2014年に再び姿を現しました。
1885年と翌年の”めんどり” に次ぐ3番目のイースターエッグと言うことでしょう。
1922年のソヴィエト共産党のカタログに掲載された後、行方不明となり、1964年3月のニューヨークのオークションで2450ドルで売却された後、再び行方不明になっていたものです。
2004年に、アメリカ中西部の骨董市で金属ディーラーが地金として数百ドル位の利ざやを稼げるだろうと、13,302ドルで入手したとのこと。 その後、時計の ” Vachron Constantin ” や、エッグの情報等をネットで調べて、どうやらファベルジェの卵ではないかと、ロンドンの専門家に鑑定を依頼し、本物と判明しました。
現在はロンドンの骨董商経由で売られて、匿名の個人蔵になっています。
* 1885年当時の貨幣価値は1ルーブルが1912年当時の0.51ドルに相当。当時の1ドルは1997年当時の16ドルに相当と計算
したがって当時の1ルーブルは1997年の8ドルに相当します。因みに当時の1英ポンドは9.5ルーブルに相当。** 資料によっては製作年代の推定が異なります。また1904年と1905年にはインペリアル・エッグは製作されなかったとする資料もあります。
ロマノフ王朝向けのほかに製作されたイースター・エッグが12個あり、ファベルジェのエッグの総数は62個あります。
春の花 1890年 フォーブス・コレクション New York Spring Flower eff ex. Forbes Collection |
Pamyat Azova号
1891年 クレリン博物館 モスクワ Azov egg Kremlin Museum, Moskow |
1893年 コーカサス
Caucasus Geddings Gray Foundation New Orleans U.S.A. |
白い卵の殻の中から現れる春の花は、イースターに相応しい嬉しい驚きであったことでしょう。
1891年製のエッグからはニコライII世が世界一周航海をした時の巡洋艦”Azova"号の精密なミニチュア模型が仕掛けとして現れるます。
高さ9cmの”コーカサス”は朱色の七宝製の卵が金、銀、白金、ダイアモンド、真珠と象牙と水晶とで仕上げられています。
パネルを開けるとコーカサス地方の山岳風景と狩猟小屋の絵が出てくる仕掛けになっています。
デンマークの宮殿 1895年 Danish Palaces and 10 paints as
"Surprise" 高さ 10cmの本体と中の10枚の絵 New Orleans Museum of Art |
デンマークの宮殿は高さが10cm。 七宝焼きの卵を金とスターサファイアとダイアモンド仕上げ。
中には真珠母貝のスクリーンにロシアやデンマークの宮殿とそれぞれの皇室所有のヨットとが水彩で描かれた10枚の絵が収められています。
デンマークの皇女であったマリア・フェオドロヴナ皇后にとって、卵の中から現れた懐かしいデンマークの光景は何よりの贈り物であったに違いありません。
1895年 ”薔薇の蕾” Rose Bud egg フォーブス・コレクション ex. Forbes Collection |
1896年 回転する風景 Revolving Miniatures Virginia Museum of Art U.S.A. |
1897年 戴冠式
Coronation ex. Forbes Collection New York |
1895年の”薔薇の蕾”は金とダイアモンドで飾られた赤い七宝の卵の殻を開けると黄色の薔薇の蕾が現れる仕掛けになっています。
1896年製作、高さ25cmの”回転する風景”はダイアモンドの輪で飾られた水晶の卵の中にはロシアの宮殿の絵が描かれたスクリーンが入っています。
卵の上部には26カラットのウラルさんエメラルド・カボションのつまみがあり、時計の竜頭のようにロックを外して回すと中のスクリーンが回転する仕掛けになっています。
”戴冠式”の仕掛けは前年のニコラスII世の戴冠式に使われた馬車です。
七宝に金とダイアモンドで飾られ、水晶の窓の馬車は扉を開けると降りる階段に至るまで精密に再現されています。
さらに馬車の中にはブリオレット・カットのダイアモンドが隠されているという二重の驚きが用意されています。
1898年 すずらん 右は仕掛けの拡大 Lilies of the Valley ex. Forbes Collection |
1900年 ”シベリア横断鉄道” Trans Siberian Railway クレムリン博物館 Kremlin Museum, Moskow |
1900年 ”鳩時計”
Cockeret フォーブス・コレクション ex. Forbes Collection |
”15周年記念”の卵は1894年に即位した皇帝ニコライII世の在位15周年を記念したもので皇帝と皇后の肖像画と戴冠式のミニチュア絵が仕掛けとなっています。1912年製作の”ツァレヴィッチ:ツァーの息子、即ち皇太子の愛称”はラピス・ラズリに金の網目文様細工が施してあり、上部には平たい四角のダイアモンドの蓋があります。 1913年に作られた”冬”エッグはファベルジェの卵の中でも最も高価な品でニコラスII世から母后のマリア・フェオドロヴナへのイースターの贈り物でした。 現在は英国王室所有となっている”モザイク”エッグは金の卵に小さな四角の白金と、ダイアモンドと様々な色の宝石とを嵌め込んだモザイク技法で仕上げたものでニコライII世から王妃のアレクサンドラへの復活祭の贈り物です。
ファベルジェの作品の価値について ファベルジェのインペリアル・エッグは皇帝の注文によりそれぞれ何年もの構想を経て製作されたものです。 ファベルジェの伝記に書かれた資料によれば、彼はインペリアル・エッグの製作に当たっては芸術家の立場から美しく独創的なデザインと仕掛けの実現を目指し、職人としては持てる限りの技術を注いだとあります。
ファベルジェの経歴 ピエール・カール・ファベルジェは1846年にサンクト・ペテルベルグにて宝石商グスタフ・ファベルジェとデンマーク人画家の母親との間の長男として生まれました。 *ナントの勅令 16世紀半ばにフランスでは王権を巡る争いと新旧宗教の対立とが絡んででユグノー戦争(1562〜98)が起こり、その最中の1572年8月のサン・バルテルミーの夜にフランス全土で二万人を超えるユグノー教徒が旧教徒によって虐殺されました。 サンクト・ペテルブルグのドイツ系の高校で学んだ後に、ファベルジェは父の友人のドイツ人の宝石工房で職人としての道を歩み始めました。 |