結晶コレクターの素顔
(Profile of a Crystal
Collector)
2. Steve and Clara Smale
Collection
(フィールズ賞数学者)
Steve and Clara Smale showcase in the American Mineral Treasures at 2008 Tucson Show |
年4回発行される Mineralogical Record には世界的な鉱物標本ショーや鉱物結晶コレクターの標本が美しい写真で掲載されます。
この雑誌に掲載されるような標本の大半は世界的な鉱物標本商兼コレクターの物なのですが、単なるコレクターの標本として、クララとスティーヴ スメールの見事なコレクションの写真が毎号に紹介されています。
冒頭の写真は 2008年 ツーソン・ショーでのアメリカ産鉱物特別展示での彼らのコレクションの展示です。
下記の写真は毎号で紹介されているもののほんの一部でしかありませんが、これらを見ただけでも、その標本の質と量とが、ただならぬものであることが明らかです。
アクアマリン(Aquamarine) 18.4cm | トパーズを伴うアクアマリン 8.6cm (Aquamarine with Topaz) |
タンタル石と雲母を伴うアクアマリン 9cm (Aquamarine with tantalite and muscovite) |
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Karum, Tamir Nadu, India | Shigar, Pakistan |
緑柱石(Beryl) 8.3cm | 螢石、黄鉄鉱と水晶 10.1cm Fluorite, Pyrite and Quartz |
ヘルデライト双晶 (Herderite Twin) 4.5cm |
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Malambaia, Brazil | Kara Oba, Kazakhstan | Divino das
Laranjeiras Brazil |
レピドライトを伴うトルマリン 15cm (Tourmaline with lepidolite) |
アンハイドライト (硬石膏) (Anhidrite) 5.5cm |
螢石と紫水晶 6.7cm (Fluorite with amethyst) |
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Barra de Salinas, Brazil | Simplon Tunnel, Swiss | Fengjiashan(Daye)
Mine 中国 湖北省 Hubei, China |
5次元以上の空間でのポアンカレ予想を証明した数学者 Stephen Smale
それぞれの標本の写真には、有名なコレクターや、何処の博物館の所有だったもの等を Arken Stone, Pala international, Wendel Willson, 等々の名だたる標本商を通して、何時入手したとの来歴が詳しく明記してあり、2000年以降も新規購入の標本が続々と紹介されています。
一般のコレクターには到底手が出ないような価格水準で取引されている標本を次々と購入出来るのは、彼らが大富豪であるからと思い込んでいました。
ところが、ひょんなことから、スメールは、実は世界的な数学者であることが判明しました。
NHKで放送された "100年間の格闘 − 数学者はきのこ狩りの夢を見る”と ”100年の難問は何故解けたのか 天才数学者失踪の謎”の二つの番組では、いずれも世紀の難問と言われたポアンカレ予想を証明したロシアの数学者、ペレルマンが主役になっていますが、この難問に挑戦した無数の数学者も取上げられ、その中の一人として、何とスティーヴ・スメールが登場するのです。
偶々図書館にあった下記の三冊のポアンカレ予想の本にも、世界で初めて、五次元空間ではありますが、1960年にポアンカレ予想を証明し、1966年のフィールズ賞を受賞した20世紀屈指の数学者として Stephen Smale が取上げられています。
彼こそは同時に世界的な鉱物結晶コレクターの Steve Smale でもあったのです。 ;
”ポアンカレ予想を解いた数学者” ドナル・オシア 著 日経BP社
The Poincaré Conjecture in search of the Shape of the Universe"
"ポアンカレ予想 − 世紀の謎をかけた数学者、解き明かした数学者”
ジョージ G. スピーロ 著 早川書房
”100年の難問は何故解けたのか - 天才数学者の光と影” 春日真人著 新潮社
フランスが生んだ偉大な数学者であるアンリ・ポアンカレ(1854 - 1912)は、フランスの秀才が集う高等理工学校(エコール・ポリテクニーク)を卒業後、更にエリート養成コースである高等鉱業学校(エコール・デ・ミーヌ)にて鉱物学、地質学、鉱山学等を学び、卒業後には人生の最初の一歩を鉱山技師として歩みだしたのです。
鉱山学校は現在もフランスのエリート養成コースの頂点を象徴する名門校であり、フランスの科学者、政治家、経済界の大半は、その卒業生で占められています。
因みにルノー・日産のカルロス・ゴーン社長も鉱山学校の出身です。
以前池袋の鉱物フェア会場で彼を見かけました。鉱物の宝庫ブラジル出身でもあり、高等鉱山学校付属の世界的な鉱物コレクションを見て、鉱物コレクターになったとしても不思議はありません。
ともあれ、鉱山技師として人生のキャリアを始めたポアンカレ予想を、アメリカの屈指の鉱物結晶コレクターでもある数学者の スティーヴン・スメールが五次元とは言え、最初に証明に成功したと言うのはなんと言う偶然でありましょうか !!!
以下は ポアンカレ予想について
ポアンカレ予想とは ;
単連結な三次元閉多様体は三次元球面に同相である
単連結 : その表面にロープをかけたとき、必ず回収できる 三次元多様体 : 4次元空間の表面 三次元球面 : 丸い4次元空間(球)の表面 同相 : 同じ
これが何を意味するのか ?
宇宙の形がどんなものかを証明出来る、と言うことなのだそうです。
数多くの数学者が挑戦したものの、20世紀末に至っても完全な証明が出来ず、2000年にクレイ数学研究所が100万ドルの賞金を掲げた7つの数学の難問の一つとしてポアンカレ予想を挙げたほどの難問でありました。
最初に手がかりとなったのが、1960年のスティーヴン・スメール(1930 〜)による五次元空間より高い次元に限って成立すると言う証明 (The Generalized Poincaré Conjecture in Higher Dimensions) が1966年のフィールズ賞を受賞しました。
何故五次元以上かと言うと、彼が使った "hコボルディズム定理 (h 同境定理 :二つの多様体の結びつきを意味する)と言う概念は五次元以上でしか有効とならないから。
続いて1982年、マイケル・フリードマン(1951 〜)が 四次元多様体のトポロジー(The topology of four-dimensional manifolds)を発表し、四次元でのポアンカレ予想を証明しました。その業績で1986年のフィールド賞等を受賞しました。
ポアンカレ予想は位相幾何学と呼ばれる数学の分野ですが、三次元での予想はより高い次元で捕らえた方が証明が易しいので、高次元からの予想の証明が先行したということです。
例えばジェットコースターの地上に落ちた影ではコースが重なって見えますが、三次元空間ではコースが分離しているのがはっきりと見える。
しかし本命の三次元閉多様体の証明は難航を極めました。
とてつもなく難しい三次元予想への道を切り開いたのは、同じくアメリカのトポロジーと幾何学の数学者, ウィリアム・サーストン(William Thurston 1946-2012)でした。
彼が1983年に発表した、三次元多様体、クライン群と双曲幾何学 (Three Dimensional Manifolds, Kleinian Groups and Hyperbolic Geometry) により同年のフィールド賞を受賞しました。
この論文で展開した幾何化予想にて、宇宙はどんな形であれ、必ず最大で8種類の異なる断片から成り立っているはず、と提唱しその証明が即ちポアンカレ予想の証明になることを示しました。
ポアンカレ予想が球面と同値の多様体を求めようとするのに対し、サーストンの幾何化予想は全ての多様体を分類しようとする、極めて野心的な企てなのだ、とのこと。
サーストンと同じ年にフィールズ賞を受賞した中国人の数学者、S.T.ヤウ(丘成桐 1949 〜)も後にポアンカレ予想の証明の検証で大きな役割を果たすことになる。
1949年に香港の片田舎で生まれたヤウは、UC バークリー校からプリンストン高等研究所に進み、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる多様体の証明に成功する。
この証明は空間が10次元であるとするひも理論の進展に寄与することになる。
カラビ予想に拠れば、4次元空間の外に、6次元の余剰空間がカーペットのループのようにびっしりと丸まっているという。
さらにヤウは一般相対性理論の正質量予想の証明にも成功した。また幾何学、非線形解析学、代数幾何学、数理物理学を統合し、自然の理解に欠かせない解析法を確立した。
そのヤウがポアンカレ予想証明の糸口になるであろうと指摘したのが、リチャード・ハミルトンが1980年代初期に導入したリッチ・フロー概念なのです。10次元のカラビ・ヤウ空間(多様体)の3次元横断面のグラフィックス再現
と、輝かしい業績を残した S.T.ヤウでしたが、その後名声を大失墜する事態に直面しました : 後述する、ペレリマンの証明を検証した3組の専門家のうち中国人の Huai-Dong Cao と Xi-Ping Zhu とが、ペレルマンの証明は不完全であり、自分たちこそが世界で初めてポアンカレ予想の完全な証明に成功した、と "Asian Journal of Mathematics" November 2006 に発表し、中国の学会、ジャーナリズム、政府を挙げての大騒動となりました。
ところが彼らが完全なる証明とした論拠は、実は2003年に発表された Bruce Kleiner と John Lott の論文の丸写しであったことが発覚しました。
何でもパクル中国らしい厚顔無恥のキャンペーンに、世界の数学界は冷笑と無視とで応じましたが、ヤウがこの一連の騒動の黒幕として暗躍した事実が拭い難い汚名として記憶されました。
リチャード・ハミルトン(1943〜)のリッチ・フロー (Ricci flow)
リッチとはイタリアの数物理学者 , Gregorio Ricci-Curbastro (1853 - 1925) に因む方程式のこと。
彼が1900年に教え子のトゥーリオ・レヴィ=チヴィタと合同で書いた論文がテンソルとして名高い概念だ。
テンソルとはスカラー量、ベクトル、行列をまとめた概念であり、物理量や幾何学量を記述する数字の配列から成る。
しかし、数学界で殆ど無視されていたテンソルという概念が注目を浴びたのは、アインシュタインが重力を幾何学的現象に還元する際に使われたため。
一般相対性理論の数学が丸ごとテンソルを用いて定式化されていたほど。
テンソルのアイデアがリッチ・フローにつながる。リッチ・フローとは熱力学にヒントを得た微分方程式だ。
熱の流れと分布は、1822年にフーリエが”熱の解析的理論”と題する論文で導入した偏微分方程式によって記述される。
リッチ・フローの働きもこれに似ている。ただしこの場合は拡散するのは熱ではなく曲率だ。
物体のあらゆる点における温度変化を記述する熱方程式に対してリッチ・フローは物体の各点における形の変化を規定する。
ハミルトンは多様体の整形を目論んだのだ。熱が部屋中に満遍なくいきわたるように、多様体を曲率が均一に均された物体に整形しようとした。
そしてリッチ・フローに関する1982年の”正の曲率を持つ三次元多様体"と題する最初の論文で、彼はある種の特殊な三次元多様体は球面に変形すると示した。
つまり、ある領域(トポロジー)の問題を別の領域の道具(微分方程式)で解こうと提案した。
どんなよれよれでも、ひしゃげていても、ねじれた多様体であれ、リッチ・フローによって変形する様子を見守る。
どんな形になるだろうか? もし8個の素多様体のうちの一つか、その組み合わせになれば、サーストン予想が正しいことになる。
どんな形であれ、単連結の多様体が最終的に跡形も無く「パッ」と消えたなら、ポアンカレ予想が証明されたことになる。
しかしながら、リッチ・フローの操作よって多様体の体積や形が変わってしまう特異点の問題が壁のように立ちはだかった。
多様体を必要なだけ膨張または収縮させることで処理前後の体積を一手に保つ"繰り込み"と言う操作で解決できる例もあった。
特異点が現れる寸前までリッチ・フローを走らせ、止める、望ましくない部分を切り取る、残った多様体の断面に半球状の蓋をあてがって傷跡を閉じる・・・・等々の”手術法”にて解決する。
しかしながら20年に及ぶ格闘の末にどうしても”手術”では解決できない葉巻型特異点にぶつかり、最終的に行き詰まってしまった。
グリゴリー・ペレルマン(1966〜)によるポアンカレ予想と幾何化予想の証明
1991年に開設され、科学的成果を速やかに配布するために研究者たちによって構築されたインターネット・アーカイブである "arXiv :ギリシア語でXはカイと発音される”に2002年秋から2003年夏にかけて三つの論文が投稿された ;
1. 2002年11月11日 30ページの論文
”リッチ・フローに関するエントロピー公式とその幾何学的応用 :
The entropy formula for the Ricci flow and its geometric application"
2. 2003年3月10日 22ページの論文
”三次元多様体上の手術付きリッチ・フロー :
Ricci flow with surgery on three-manifolds"
3. 2003年7月17日 7ページの論文
"一定の三次元多様体上のリッチ・フローの解に対する有限消滅時間 ;
Finite extincion time for the solution to the Ricci flow on certain three-manifolds"
この3編の論文こそは、この100年来、無数の数学者が挑戦し、敗れ去ってきたポアンカレ予想と、それを拡大したハミルトンの幾何化予想の完全な証明でありました。
論文を書いたのは、奇しくもスティーヴェン・スメールがフィールズ賞を受賞した1966年にロシアの・サンクト・ペテルブルグに生まれた数学者、グリゴリー・ペレルマン。
これらの論文が何を意味するかは、直ぐには誰にも理解できなかったが、しかしペレルマンから送られたメールを受け取った友人やその同僚の専門家たちが注目することになり、これらが途方も無い成果であるとの評判がじわじわと広がりました。
ついにはアメリカの数学会の招待により2003年4月、マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学、ミューヨーク大学ストーニーブルク校にて特別講演が行われ、フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズ、ノーベル経済学賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュ( 彼の統合失調症との戦いが映画 ” ビューティフル・マインド” になった) 等、錚々たる専門家や数学者たちの見守る中でペレルマンによる長時間の講義が行われました。
注目すべきは、先のインターネットでの論文でもそうでしたが,これらの講義においても、自分が幾何化予想やポアンカレ予想を証明したとは一言も述べず、リッチ・フローの方程式を基に如何にしてハミルトンが立ち往生した特異点の問題を解決したかを、淡々と述べた;
ハミルトンが直面し、解決できなかった特異点の問題については ;
多様体内の空間が崩壊する寸前まで曲率が大きくなった時、予想外の規則性が生じる、即ち局所非崩壊定理と呼ばれることになった定理で、葉巻型特異点の出現は数学的にありえないことを発見した。
更に特異点が発生した時点で、元の多様体から切り取って(手術して)同種の幾何構造を持たせることが出来ることを見出した。
と、まるで理解できないこと、むしろ快感と言えるまでですが、ジョージ G. スピーロの軽妙な解説では :
最初に、彼は生まれつつある特異点を見つけるための道具を開発した。
次に、彼は予防手術に適した瞬間を選ぶ方法を発明した。
三番目に、彼は有限回数の手術しか必要が無いことを証明した。
かくして彼は、リッチ・フローによって変形され,手術によって特異点を全て取り除かれたコンパクトな単連結多様体が、最終的に単なる球面の集まりになることを証明したのだ。時間を遡って球面と球面を貼り戻せば、もとの多様体そのものも球面だったことがわかる。
まいったか、ポアンカレ予想 !!
これでも未だ理解出来ませんが、しか証明を成し遂げたペレリマンを始め、それに至る道筋をつけたスティーヴン・スメール、マイケル・フリードマン、ウィリアム・サーストン、とリチャード・ハミルトン達の頭脳の素晴らしさにはただただ感嘆するのみです。
さて、アメリカでの講義を聞いたうち、何人がその内容を正しく理解したか ?
大半の専門家が殆ど理解できなかった。
何故ならトポロジー(位相幾何学)の象徴であるポアンカレ予想を物理学の分野の熱方程式である偏微分方程式を駆使して証明したわけですから、門外漢の聴衆が理解出来なかったのも当然。
偏微分方程式とは聴きなれない言葉ですが、実はマクスウェルの電場と磁場の相互作用を関数として表す方程式、アインシュタインの物質、空間の曲率、重力に関する方程式、量子力学のシュレディンガー方程式等々、数物理学の大半が偏微分方程式で表わされているのです。
リッチ・フローの展開で用いられた ”手術”と言う手法は、量子電磁力学の分野にて、計算上、粒子の運動量を積分すると無限大に発散する困難を超多時間繰り込み理論で解決した朝永振一郎の手腕を思い出させますね。
ペレルマンの解決したリッチ・フローの手法は単なるトポロジーの分野だけではなく、量子力学の超弦理論などの分野にも応用が出来ると期待されているとのこと。
ペレルマンの論文はその後二人一組の専門家3組が、3年間の時間をかけて精査し、2006年末に、まさにポアンカレ予想と、ハミルトンの幾何化予想とを完璧なまでに証明したことが明らかにされたほどの代物でありました。
その功績によって2006年のフィールズ賞、そして2010年にはクレイ数学研究所のミレニアム賞 (副賞として賞金100万ドル) をも授与されましたが、いずれをも拒否し、更に数学界からも姿を消して現在は行方不明になっている、と、数学での業績よりは、むしろ世俗的な話題が先行しています。
1998年にヨーロッパ数学者会議が彼に賞を与えた時もペレルマンはやはり拒否しています。
受賞の対象となった彼の仕事は未完成であり、審査委員会のメンバーは仕事の内容を理解していない、賞は単なるお祭り騒ぎに過ぎない。
フィールズ賞は、数学界の栄誉を巡る余りにも汚い内情にうんざりして拒否したとのこと。 証明さえ出来れば賞などに興味は無いと言うのが本音らしい。
100万ドルの賞金付きのクレイのミレニアム賞は世界の数学界がリチャード・ハミルトンの業績を評価して無いからという理由で受賞を拒否した。
と、類い稀な謙遜さと、高潔さと偏屈さとを持ちあわせた、稀代の頭脳の持ち主の人となりを窺がわせるエピソードに溢れています。
さて、クレイ数学研究所が挙げたその他の難問の一つ、abc予想が2012年夏に京都大学の整数論研究者の望月新一教授によって証明されたらしいとのこと。
abc予想とは : a,b,c が互いに素である正の整数で a+b=c ならば c < K・rad (abc)m ただし m > 1 K は m によってのみ決まる正の整数
と、まるで取り付く島がありません。
日経サイエンス2013年1月号で3頁に亘る易しい解説がありますが、その分からなさと言ったらポアンカレ予想をはるかに超える難解さです。
もっとも、望月教授の500ページに及ぶ論文で証明に用いた独自の『宇宙際タイヒミュラー理論 : IUT theory : Inter−Universal Teichmuller theory とやらは、数論幾何と呼ばれるこの分野の専門家ですら読むのに難渋する代物で、論文を読めるのは世界に数人から10人、評価の確定には2〜5年はかかるとのこと。
実際には望月教授の証明についてはその後世界的に賛否両論が続出してはいますが、2020年から2021年にかけて、やはり証明は正しいとする
報告が続いています。
望月教授の ”宇宙際タイヒミュラー理論” は、単にabc予想にとどまらず、この理論を発展させると、証明に350年もかかった”フェルマーの最終定理”をいとも簡単に証明出来るだけではなく、“スピロ予想”、”フライ予想”、ボイター予想”等の数学界の数々の難問の証明にも繋がる、魔法のような理論なのだそうです。
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