ヒラリー・ハーンのバッハ演奏
(Hilary Hahn Plays Bach)


 
バッハ  無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番、第2番、ソナタ第3番  ソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番   
    Recording Date : June 17-18, December 23-24, 1996, March 23-24, 1997  
at Troy Savings Bank Music Hall, Troy, New York         
Recording Date  : January, June 2012, June 2017
at The Fisher Center for the Performing Arts, Sosnoff Theater, Bard College, NY 
 


Annunciazione  Leonardo Da Vinci   ca. 1472 - 1475  217x98cm
Galleria degli Uffizi, Firenze
  1979年、アメリカ生まれのヒラリー・ハーンは5歳からスズキ・メソッドによるヴァイオリン教育を受け、1990年に10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学。 
 翌、1991年の12月にボルチモア交響楽団と共演して、本格的なオーケストラ・デビューを果たした。
 15歳の年にロリン・マゼール指揮のバイエルン交響楽団と共演した演奏を、ドイツの批評家は100年に一度出るかどうかの稀な才能と評した。

 等々、有能な新人が続出している世界の音楽界で、ヴァイオリン奏者として、最も注目を集めているヒラリー・ハーンだが、意外なことに、世界の名だたる音楽コンクールの受賞歴は皆無だ。
 コンクールを経ずして実力を認められたヴァイオリニストなのだ。

  と、音楽雑誌等に掲載された記事や写真を眺めては、ダ・ヴィンチの受胎告知に描かれた聖母マリアにそっくりのヴィジュアル系のヴァイオリニストが商業ジャーナリズムに持て囃されているだけか、と思っていた。
  ところが 1996年、16歳の年に初めて録音したレコードがなんと、バッハの無伴奏曲集だった。

バッハの無伴奏曲は、かつては巨匠と言われる演奏家が、長年の演奏活動の総括として、渾身の準備をして臨むといった類の音楽だった。
 現在でこそ、若手の演奏家でも技術的には往年の巨匠に引けを取らないから、全曲演奏も不可能ではないが、しかしバッハの無伴奏曲は技術のみで演奏できるわけではない。
  何よりも音楽への深い造詣を要求される。

 とはいえ、ソニー・ミュージックが敢えてヒラリー・ハーンの最初のレコードをバッハで行こうと決断したからにはそれなりの理由があるに違いないと、聴いてみた。

 冒頭の無伴奏パルティータ第3番ホ長調の、軽やかに飛翔するようなプレリュードが流れ出すや否や、全く新しいタイプの音楽家が出現したと確信した。
 グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲の出現と同じことが、ヴァイオリンの世界で起こったのだ。

 ヒラリー・ハーンの演奏の特徴は、まず揺るぎないリズム感が演奏全体の進行を支えていることだ。
このリズム感は天性のものだが、それこそはとりわけバッハ演奏には不可欠の条件だ。
 音色は、高音部は決してきらびやかではないが、フレーズごとに実に多彩な変化を見せる。印象に残るのは、やや仄暗い感じの、ヴィオラや、時にはチェロかと思わせるような中低音域の色彩感の比類のない美しさだ。
 あたかも暗闇に虹を見るとでも言おうか、暗いのに限りなく透明で、様々な色合いがフレーズごとに生き生きとして煌めく様には陶然とさせられた。

 こうした基本的な技術面に加えて、幾何学的な美しい構造を持つ巨大な建築物が、精緻な手法で築かれて行くが如きバッハの音楽の本質を、完璧なまでに把握した演奏が展開されるのだ。
 ゆったりとしたアルマンドで始まるニ短調のパルティータ第2番の演奏は圧巻としか形容の仕様がない。
全体に短調の仄暗い音色で覆われているこの曲の演奏は、しかし豊穣な色彩感と、揺るぎないリズム感とで、滔々と大河が流れるように進行しつつ次第に白熱し、最後の長大なシャコンヌへと至る。
 シャコンヌのゆったりとした演奏は、何と17分48秒もの長さだが、終始素晴らしい緊張感と目くるめく色彩感を湛えて展開される。
 これが16歳の少女の演奏とは !!!
いささかの気負いも、衒いもない、心の底からバッハを演奏する悦びが隅々にまで満ち溢れた演奏だ。

 ちなみに、手持ちのCDと、YouTubeとで古今のシャコンヌの演奏を全部聞いてみた ;

寺神戸 亨 12分19秒     ナタン・ミルシテイン 12分44秒
ギドン・クレーメル 12分47秒     ヤッシャ・ハイフェッツ 12分56秒
ヴィクトリア・ムローヴァ 13分00秒     ジャニーヌ・ジャンセン 13分008秒 
ヘンリク・シェリング  1:13分40 秒
2:14分24秒
    イヴリー・ギトリス 14分12秒
ユーディー・メニューイン 14分16秒     ウート・ウーギ 14分30秒
アイザック・スターン 14分40秒
    マクシム・ヴェンゲーロフ 1:10分53秒
2:14分50秒
サルヴァトーレ・アッカルド 15分06秒     イツァーク・パールマン 15分07秒
ヨーゼフ・シゲティー 15分57秒    

  と、錚々たる演奏家と比較しても、異例の長さだ。
 さらにパルティータ第2番全体のそれぞれの舞曲をどのように演奏しているかを手元にある他の演奏家と比較したのが下記の表だ ;

録音年 アルマンド   クーラント サラバンド ジーグ シャコンヌ
ヨーゼフ・シゲティー 1955 3’11”   3’33” 3’29” 4’17” 15’59”
ユーディー・メニューイン 1957 5’01”   2’39” 4’18” 3’42” 14’17”
ヘンリク・シェリング 1967 3’08”   2’17” 4’15” 3’26” 14’24”
ギドン・クレーメル 1980 3’51”   2’21” 3’37” 3’49” 12’47”
シュロモ・ミンツ 1983 5’07”   2’50”  4’17" 4’13” 15’05”
前橋汀子 1988 4’44”   3’17” 4’23” 4’13” 14’44”
ヒラリー・ハーン 1996−1997 5’13”   2’09” 4’44” 3’22” 17’48”
加藤知子 1999−2000 4’47”   3’39” 4’09” 4’35” 14’30”
イザベル・ファウスト     2009-2011    5’36”     2’30”   4’22    3’34”    12’26” 
 五嶋みどり    2013   4’21”     2’22”   3’56”   3’53”    12’20”
堀米ゆず子     2015-2016    3’27”     1’58”   2’51”   3’24”    13’37”

 すなわち、ヒラリー・ハーンはアルマンド、サラバンドとシャコンヌのゆったりとした舞曲は誰よりも遅いテンポで、そしてクーラントとジーグとは、誰よりも速いテンポで演奏している。
 唯一の例外はイザベル・ファウストの演奏で、彼女のアルマンドの演奏は5分36秒と異例にゆったりとした、しかし素晴らしいリズム感に溢れる名演だ。 詳細はこちらで
  素晴らしい緊張感を湛えた濃密な味わいのゆったりとした舞曲と、弾むように軽やかに飛翔する速足の舞曲とを交互に織り交ぜて全体が構成されている。
 過去の如何なる演奏にも囚われることなく、ヒラリー・ハーンは自ら会得したバッハの音楽像をしっかりと確立して録音に臨んだことが良く分かる。
 リストに挙げた以外にも優れた演奏家や、優れたバッハ演奏は数多くあり、音楽雑誌でよく見かける ”ベスト演奏” やら、”ランキング” といった知ったかぶりを敢えて宣言するつもりはない。
 レコードに ”記録” として残されるような演奏にはそれぞに良さがあるわけで、自分の好みの演奏を折に触れ愉しめばよいことなのだ。
 しかしながら、グレン・グールドのバッハ演奏と同様に、今後ヴァイオリンによるバッハ演奏を語る際には、必ずやヒラリー・ハーンの演奏との比較は避けられないことになるのは確かだ。

 改めて、ヒラリー・ハーンが自ら書いているライナー・ノートを読み直してみた ;

 両親は二人とも合唱団で歌っていた。 そして家では常にミサ曲やカンタータのテープがかけられていたので、いわば、生まれる前からバッハを聴いて育った。
 幼くして演奏家として、学校や養老院での演奏会、後にオーケストラとの共演でも、必ずバッハを悦びを持って演奏した。
 そしてテキサスでの演奏会の時、ニ短調パルティータの演奏中に、シャコンヌの和声で起こっていることを、初めて正確に聴くことができた。 と書いている。
 
この初録音でのバッハ演奏は、そうした天啓によってな成し遂げられたものだろう。
 シャコンヌを演奏中のヒラリー・ハーンに起こったこととは  

 まさに、ミューズの女神が舞い降りたのだと、 かつてグレン・グールド聴いて抱いたのと同じ感慨を、ヒラリー・ハーンの演奏を聴いて久方ぶりに味わった。

 大天使ガブリエルが聖母マリアに受胎を告知したように、聖母マリアにうり二つのヒラリー・ハーンの身体にミューズの女神が宿ったのだ。

 ヒラリー・ハーンの演奏するヴァイオリン

 最後に、ヒラリー・ハーンがどんな楽器を演奏しているのか気になるが、レコードには記載がない。
豊穣で色彩感豊かな中低音域の音色から、恐らくグアルネリではないかと想像していたが、調べるとやはり予想は誤りではなかった。
 1743年製のパガニーニが愛用していた Guarneri del Gesu(1698−1744)の ”Il Cannone : カノン砲 " を後のフランスの弦楽器製作者 ヴィヨーム (Jean Baptiste Vuillaume : 1798 - 1875) が1864年にコピーしたレプリカと判明した。
 レプリカではあるが、ヴィヨーム自身が歴史に残る弦楽器製作者であり、ヒラリー・ハーンの演奏を聴けば、この楽器がグアルネリのオリジナルと比較して、全く遜色がない。
 演奏者は時々楽器を変える事もあるが、ヒラリー・ハーンは決してこの楽器を手放さないと、語っている。

が、願わくば、このCDでは半分しか録音されていないバッハの無伴奏の全曲を、パリ音楽院の楽器博物館が所有する1742年製のグアルネリで、何時の日にか、彼女の演奏で聴きたいものだ。
 一体どんなことになるのだろうか ?
 このグアルネリこそは至高のヴァイオリンであり、ストラディヴァリの如何なる名器と比べても隔絶した音色と豊穣な響きと色彩とを持っている。

  1977年にピエール・アモイヤルが録音した、パリ音楽院所有のニコロ・アマティ、ストラディヴァリ(ブロヴィニ、サラサーテ、ロング・ストラド、ダヴィドフ)等を駆使して演奏した ”名器の響き” の中に、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調のアダージョを、このグアルネリで演奏している。 
 30年以上昔から、初めはLPで、現在はCDで何度この曲を聴いたことだろう。
新しいスピーカーを入手するたびに、この曲は真っ先にかけて、どんな響きで音楽が奏でられるのかを楽しみにしている。 

 このパリ音楽院所有のグアルネリは、実は前述のヴィヨームがイタリア旅行中に発見し、娘婿のヴァイオリニストに貸し与えていたものが、後にパリ音楽院に遺贈されたものだ。
20年後のバッハ

 16歳で最初のCDにバッハの無伴奏を選び、疾走感溢れる、圧倒的な演奏で音楽界を感嘆させたヒラリー・ハーンがようやくにして残されていた3曲を録音した。
 自らが録音技師のアンドレアス・マイヤーと共に共同制作を担当したほどの力の入ったものだった。
2018年に出たCDにはヒラリー・ハーン自らがライナー・ノートを書いている ;
 16歳での最初の録音の後、毎週のように残りの録音は何時かと尋ねられ、その度に、何時の日かその時が来たと思える日まで地平線の彼方にあると答えて来た。 
 9歳の年に最初にバッハの無伴奏ソナタ第1番のシチリアーナを演奏して以来、演奏会のアンコールや日々の練習以外の、技術の練習、瞑想、楽しみ、手すさび、感情の整理、等々、バッハの無伴奏曲は人生の日々に欠かせないものとしてあった。
 7年前(2011年)、最初の録音時の2倍という象徴的な年齢に達したときに、遂にその時が来たと感じて、残りの曲を録音した。 ようやく課題を達成することができたと戦慄を覚えたほどだった。
 しかしながら、録音を聴き直してみると、心の奥深いところで、未だに残りを完結させる水準には達していなかったのだと悟り、録音を封印した。 
 この録音の意味を反芻しながら、演奏を続けて来て、昨年(2017年)録音を再び聞き直していよいよ、1〜2年のうちに全曲の録音を完成させる時が来たと決断した。
 残りの3曲の録音は2017年の7月に一気に行われた。 
演奏されたのはニューヨークの北150qにある Bard College の Sosnoff Theater。 ハドソン川の上流の森の中にあるカブトムシのような外観をした建物の客席が800席と、見るからに素晴らしい音響効果を持つコンサート・ホールだ。
 彼女が自ら録音の共同制作を担当したからには、ホールの音響やマイクロフォン・セッティング等に注意を払ったことは間違いない。 ライナーノートにも音響効果等について触れられているからだ。
 因みに16歳の時の最初の録音が行われたのもニューヨーク市内のハドソン川沿いにある、客席が1180席の天井の広い、如何にも音響効果の良指そうなホールだった。
 2018年に出たCDには2017年の録音と2012年の録音の一部から選ばれた曲とが入っている。

 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番の演奏
 
 世界中が待望していたヒラリー・ハーンのバッハの無伴奏ヴァイオリン曲の完結編がどのようなものか、ようやく聴くことができた。
 この1年、繰り返し16歳時の録音、さらに前述の表の様々な演奏家、とりわけ五嶋みどり、イザベル・ファウスト、加藤知子、前橋汀子の全曲盤と聴き比べてみた。
 16歳の最初の録音の演奏とは印象がずいぶん異なるものになっている ; 20年間のたゆまぬ演奏や日々の思索を巡らして出来上がった音楽には、一層の深みが加わったと言えるだろう。
 最初の録音は、明るい日差しの中で野原を疾走するようなスピード感に溢れていたのが、今回の録音は、深い森の木漏れ日の中をゆったりと歩んでいるという、つまり、ほぼ同じ年齢でバッハの無伴奏ヴァイオリン曲を録音したイザベル・ファウストや五嶋みどりのバッハと極めてよく似た内省感に満ちた仕上がりになっているというのが興味深い。
 たぐい稀な音楽性に恵まれたヴァイオリニストがバッハに対峙しつつ年齢を重ねると、いずれも同じような境地に達するのかと感嘆して過ごした至福の1年間だった。  
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