宝石読本
V 帝王の宝石 − エメラルド −
3.合成エメラルドの展望
19世紀初頭、1823年のピエール・ベルチエ(Pierre Berthier)によるダイオプサイド(透輝石)の合成に始まる1500種にも及ぶ鉱物合成の試みがフランスの高等師範学校の科学アカデミーを中心に精力的な研究が続けられていました。
その成果は鉱物学の発展のみならず、セーブル,リモージュ等、世界的な陶磁器の製造にも大きな貢献を果たしていたのでした。
初めてエメラルドの合成に成功したのは1848年、エーベルマンのミリメートル単位の大きさの結晶でした。
その後,エーベルマン、フレミー、ドゥヴィユ、ファイユと並んで鉱物合成の中心人物であったフランス科学アカデミー理学部教授のオートフォイユ(Hautefeuille)とペリー(Perrey)とによって,1888年、ジルコンやフェナス石等、26種類の宝石鉱物と共にエメラルドの合成がフランス科学アカデミーの鉱物学会誌1890年第4号に報告されています。
コランダムも含め、当時試みられていた合成法は今日も行われている,タングステン酸塩、モリブデン酸塩、ヴァナジウム酸塩等のフラックス(溶融剤)法での合成でありました。
左の写真の試験管に納められた合成エメラルド等の結晶はパリの鉱物博物館にて見ることが出来ます。
既に宝石としてカット出来るほどの透明なルビーが1869年頃にはファイユによって合成されていました。
しかしながらフラックス法では結晶の成長が遅く,長期間に及ぶ精密な温度調整が当時の技術では不可能であったため、宝石級結晶の大量生産には至りませんでした。
それが可能になるのは20世紀半ばのことでした。
良質のルビーの大量生産は1891年,フレミーの助手であったヴェルヌイユによる火炎溶融法によって初めて可能となりました。
(宝石合成技術の詳細は宝石読本 ルビーとサファイア 5.合成ルビーとサファイアにて)しかし宝石としてカット出来るような大きく美しいエメラルドの結晶の合成への挑戦はさらに困難を極めました。
火炎溶融法ではエメラルドは溶けてガラスになってしまうためです。
一方、フラックス法でのエメラルドの結晶の成長はルビーよりもさらに遅いため、宝石級の大きく透明な結晶が難しかったのです。初めての宝石用合成エメラルドの登場
イグメラルド結晶
右側の結晶 10ct 17x8mm結晶の暗視野照明による写真 同じく暗視野照明に
よるカット石の写真エメラルド結晶
Nacken 3.4mm第一次世界大戦後の1911年、ドイツのイーゲー染料会社(第二次世界大戦後に解体されて今日のBASFやAGFAの母体となった世界有数の化学会社)にて エスピッヒ (Espig) とイェーガー (Jaeger) がエメラルド合成の研究を開始し、イグメラルドのブランドで1931〜1942年に市販されました。
このエメラルドは、早速1934年に創刊されたばかりのアメリカ宝石学協会誌 ”Gems & Gemology” の1935年7月号にて取り上げられています。
品質は上質の天然品に匹敵したと言われています。
上記の白黒の写真は同じく ”G&G” 誌の 1938年夏号に掲載されたものですが、明らかにフラックス法の特徴である煙状の包有物が見られます。
しかし当時の認識では,火炎溶融法とは異なる秘密の製法とのみ記載されています。
12ヶ月間の育成期間に結晶は最大2cmの大きさに成長し、カットされた石は長さが5mm,最大1.1カラットの大きさでした。
恐らく今日各社から発売されている合成エメラルドと比べて遜色のない水準であったと思われます。
しかし量産が困難で,コストが天然よりむしろ高くついた程で、市場へは浸透せず商業的には失敗であったとされています。
1960年になって初めて、モリブデン酸リチウムの溶融剤によるフラックス法での合成であったと,製法が明らかにされました。
同じ時期にドイツのナッケン (Richard Nacken) 教授からもI.G.ファルベン社とほぼ同じ内容のフラックス法エメラルドの製法のレポートが報告されましたが、ナッケンのエメラルドもまた商業化には至りませんでした。チャザムのエメラルドの登場 (Chatham Synthetic Emerald)1940年初頭に、アメリカの宝石市場に非常に美しいエメラルド流通し始めました。
既にイーゲー社のイグメラルドが報告されていましたが、一部の専門家が知るのみで、このエメラルドが天然の最上級品と思われたに違いありません。
しかしながら、天然には殆ど無い無傷のエメラルドが大量に(平均0.5〜0.75ctの石が月3000〜4000個)出回ったので、その素性が疑われ、宝石業界と宝石学会とで詳細な研究と報告が行われました。
これこそはアメリカの化学者,キャロル・チャザム(Carroll Chatham)が1935年に開発に成功した合成エメラルドでありました。
永年にわたり、多くの学者やイーゲー染料のような世界有数の企業が挑戦して果たせなかった宝石用エメラルド合成の商業化が、ついに天才化学者の独力の研究によって果たされたのでした。
30x23x16mm 29x17x13mm チャザムの合成エメラルド結晶 チャザムのエメラルド 8x6mm 1.33ct チャザムの技術が如何に先進的であったかは、追随者のドイツ、ツェルファス(Zerfass)のエメラルドが1962年に出るまでに,実に20年以上も遅れた事実からも明白です。
フランスのギルソン(Gilson)も15年の歳月をかけて1963年にようやく商業化にこぎ着けた程です。
ベルギーのラン(Lens)は1966年に微細なエメラルドの合成に成功しましたが、レニックス(Lennix)として、宝石級の結晶を作り出す事が出来たのはようやく1982年のことです。
しかしレニックスのエメラルドは天然の下級品を思わせるほど大量のインクルージョンを含み、到底商品としての価値はありませんでした。
こうした事実を鑑みると、チャザムの成功は驚異的な事件であったと言えましょう。
したがって、彼が自らの作品をわざわざ合成等と明言せず、単にエメラルドとして売った事実を非難するまでもないでしょう。
自然の技に対抗して、同等のエメラルドの創造に成功した誇りこそあれ、世の中を欺くつもりなど毛頭無かったに違いありません。
それは天然ではないにしても紛れも無く本物のエメラルドでしたから、市場で最高級のエメラルドとして受け入れられたのも無理はありません。
しかしながら天然の最上品にしては余りにも量が多過ぎた事も事実です。
供給が安定していたために、却って疑惑を呼んだのも当然の成り行きです。
何しろ天然と区別できないほどの素晴らしいエメラルドが人の手で創り出さた訳ですから、宝石学者や鉱物学者が総動員されて、天然と合成とが,どこが同じでどこがどう異なるのか ? それらの違いは何が原因か ? 等々、あらゆる角度から検討が行われたのです。フラックス法合成エメラルドの特徴
その結果、チャザムのエメラルドは天然のエメラルドと比べると、比重と屈折率とがほんの少し小さく、また天然には見られないインクルージョン(包有物)を持つと言う特徴が明らかになり、天然との識別が可能となりました。
当時チャザム自身は製法を秘密にしていましたが、その特徴からフラックス法合成である事は明らかです。エメラルドは珪酸の4面体が6個リング状に配列され、それぞれが6面体配位のアルミニウムと4面体配位のベリリウムとによって結合されている環状珪酸塩鉱物に属しています。
このような結晶はリングの中が空いていて結晶軸の縦方向(C軸)沿いにトンネルのある構造となります。
天然のエメラルドの場合にはこのトンネルの中に2.8%以下の水が存在し、またナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウム、カルシウムのような陽イオンが入ってきます。
しかし酸化金属の溶融剤の中で成長するフラックス法合成エメラルドには水分が含まれませんので天然エメラルドの比重(2.68〜2.75)と比べて2.60〜2.70と少し低くなります。
従って屈折率も天然の場合は1.571-593ですがフラックス法合成のそれは1.555-573と低くなります。
さらに、天然には見られないフラックスが形成する固体の羽毛状、指紋状や、酸化ガスとフラックスの固体とからなる二相のインクルージョンが見られます。
その上、坩堝の材料であるプラチナ片等が含まれている事が特徴で、肉眼や10倍程度のルーペでも識別が可能です。
ただしこのような羽毛状のインクルージョンは同じ緑柱石のアクアマリンや、その他天然のルビーやサファイア、トパーズ等には普通に見られるものです。
こうしてエメラルドが合成である事が明らかになりましたが、チャザムは "Created Emerald" として、その後20年余りの間、独占的に合成エメラルドを供給し続けたのでした。合成エメラルドの成長には1年近い時間がかかり、また宝石としてカット出来るのは結晶の10%程度でしたから、供給量は極めて少なく、したがって合成とは言え、天然の同等品の3分の1程度の、相当な高い価格で取引されていました。
チャザム社はその成功により、後にルビー、サファイアへと手を広げ、今日ではエメラルド結晶を年間140万カラット(平均歩留まり13〜14%)、ルビーを100万カラット(平均歩留まり7〜20%)生産する宝石用の合成宝石では最大の企業となっています。
フラックス法合成エメラルドに特有のインクルージョン 羽毛状 20x 指紋状 30x 指紋状 45x プラチナ片 50x 固体とガスの2相 35x
中空のトンネルを持つ 緑柱石の結晶構造 |
気体(炭酸ガス)、液体(水) 固体(塩の結晶)の3相の包有物 Colombia 110 x |
方解石の結晶から 伸びる釘状の包有物 60x |
角閃石の結晶 Madagascar 50x |
液体から伸びるチュ ーブ状包有物 20x Capoeirana Brazil |
フェナカイトから伸びる 釘状の包有物 60x |
水滴のヴェール状包有物 Biron 40x |
水滴と気体との2相の 包有物 Biron 300x |
雁木模様の光学歪のある 成長層 Russia 25x |
種結晶付近のクリソベリル 結晶から伸びる釘状の 包有物 China 30x |
エメラルド合成技術の発展の歴史
チャザム(Chatham) 0.73/0.38ct |
ギルソン(Gilson) 0.77ct 7x5mm |
京セラ(Kyocera) 1.2/0.96 ct | レニックス(Lennix) 1.42/1.32ct | ロシア(Russia) 1.21/0.84 ct |
チャザムの後、追随者達がエメラルド合成を目指した事は既に述べたとおりです。
少なくともエメラルド合成を目指す人々が、例えチャザムが秘密にしていたとしても、その特徴から、フラックス法が使われた事は容易に理解していたに違いありません。
しかしながら世界有数の化学染料会社、イーゲー社さえもが30年余りの研究の果てに商業化には失敗した事実を振り返れば、合成が如何に困難であり、それを1930年代に独力で完成させたチャザムが如何に天才であったかは、その後20余りの年月を市場を独占し続けたことからも明らかです。フラックスの材料はチャザムが酸化リチウムと酸化モリブデンを使っていると推定されていますが、その後の追随者もほぼ同様の材料と、酸化ヴァナジウム、酸化タングステン、酸化鉛等の混合物を使っています。
しかしながらそれらの混合比率と、1年に及ぶ結晶成長期間の精密な温度調節とが結晶の成長を左右します。
1962年にドイツのイダー・オーバーシュタインにてツェルファス(Zerfass)が、恐らくイーゲー社の技術を発展させてエメラルドの合成にようやく成功しましたが、殆ど市場には出回らなかったようです。
1963年にフランスのギルソン(Gilson)が成功し、チャザムに次いで宝石市場に参入してきました。
ギルソンはその後トルコ石、オパール、ラピスラズリ、珊瑚等、主にセラミック系の宝石の合成を手がけて商品化しています。フラックス法による合成エメラルドは1962年にアメリカのゼネラル・テレフォン&エレクトロニクス社、1967年にアメリカのパーキン・エルマー社、1968年に日立(株)の中央研究所と山梨大学、1973年に群馬大学と通産省の工業技術院、1975年には昭和電工と続きますが、これらはいずれもメーザー(レーザーより波長の長いマイクロウェーヴ領域の電磁波)の発振素子として、エレクトロニクスの分野での用途を目的に開発が行われました。
1990年代に入ってからも住友電工、住友鉱業等にて最先端技術用途のエメラルドの開発は続けられました。宝石用途としては同じく京セラ社が1976年にクレサンベール・ブランドのエメラルドを発売し、1979年には合成水晶の大手メーカー、日本電波工業がサラマンドール・ブランドを、1987年には諏訪精工舎がビジョレーヴ・ブランドのエメラルドを発表しましたが、京セラ社以外は日本市場でも、またアメリカの宝石フェア等にてもルースを見かける事がありません。
恐らく直売されて宝飾品として流通しているのではないかと思われます。1982年にはロシアからフラックス法の合成エメラルドが現れ、香港とニューヨークに流通し始めました。
ノヴォシビルスクにあるロシアの科学アカデミー地球物理研究所にて独自の技術により大型の結晶の成長が達成されました。
3〜4ヶ月で10cmに達する結晶成長が可能となったと報告されています。
この研究所は1990年代にタイの宝石業者との合弁会社 Tairus 社を設立し、エメラルドの他にアレクサンドライト、ルビー、サファイア等の宝石用の合成結晶も製造販売を始めました。熱水法合成エメラルドの開発
各社の熱水法合成エメラルド リージェンシー(Regency)
1.04/0.96ctレヒライトナー(Lechleitner)
2.5ctバイロン(Biron)
6.4ct 12.0x9.7mmmBiron
96ct 36x16mm5.23/1.22ct
Novosibrsk Russia
結晶 12ct/24x9mm 7.4ct/14x11mm
ルース0.39〜0.50ct
中国 桂林(China)結晶 26x24mm
ルース 1.51、1.08ct
Biron, Australia19ct/25x14mm, 25ct/29x15mm
Novosibirsk, Russia結晶 28.4ct(7mm) - 142ct(70mm)
ルース 1.34 - 7.89ct
Malossi, Czech Republicチャザムのエメラルドが合成と識別されたのは天然のそれとは異なる条件での結晶成長による特徴を持っている為でした。
したがって、天然と同じ、熱水中でエメラルド結晶を成長させれば、理論的には天然と同じエメラルドが創れる筈です。エメラルド以外にもサファイア、トルマリン、トパーズ、水晶等々、主な宝石は熱水中で結晶が成長する例が多いのです。熱水法の開発は19世紀末から20世紀初頭にかけてイタリア、トリノ大学鉱物学教授のスペツィア (Spezia)が重要な研究を行いました :珪酸ナトリウムと塩の溶液と石英とを150気圧の高圧の密閉された容器に入れ、221℃〜338℃の温度で長さ 10mm の水晶の結晶を育成させる事に成功しました。
1930年以降はドイツ、オランダ、イギリスでも水晶合成の実験が熱心に行われ、1950年代にはアメリカ等で水晶合成が工業化されました。
これらの水晶は宝石用ではなく、大半はエレクトロニクス機器の発振素子に加工されます。熱水法によるエメラルドの合成の研究は前述のドイツのナッケン教授が1928年に着手しましたが、成功には至りませんでした。
エメラルドの成長が水晶と比べて格段に遅く、また長期間には結晶内に不純物が増えて、不透明の結晶となってしまう等、宝石級結晶を得られなかったためでしょう。レヒライトナーの熱水エメラルドのコーティング法しかし1957年にオーストリア、インスブルックのレヒライトナー(Lechleitner)が天然の色の薄いベリル結晶をカットしたものを熱水溶液の中に吊るしてその周囲に0.5mmの厚さのエメラルドの結晶を成長させる技術を発表し、1960年から市販を始めました。
純粋な合成とは言えませんが、しかし見た目は全くエメラルドであります。
その後レヒライトナーは100%熱水法でエメラルドを合成することに成功しています。
このコーティングの熱水エメラルドは、オーストリアの装飾用の鉛ガラス製品で知られるスワロフスキー社に採用され、一時は同社から、このエメラルドが発売されていました。
ただし同社は後に、特殊なガラスのエメラルド類似品をスワログリーンとして販売を始めましたから、要注意です。本格的な熱水法合成エメラルド本格的な熱水法の合成エメラルドの開発はアメリカのユニオン・カーバイド社の一部門、リンデ・エアー・プロダクツが1965年に塩酸と塩化アンモニウムの溶液中にてエメラルドの合成に成功し、1970年まで製造され、”Quintessa” ブランドで発売されました。
しかし結晶の成長が日に0.019〜0.052mmと非常に遅く、大きな結晶が得られなかったため、この技術はVacume Venture 社に譲られました。ヴァキューム・ヴェンチャー社では大きな結晶の成長に成功し、リージェンシー (Regency) ブランドで熱水法によるエメラルドを発売しました。1979年にはロシアのノヴォシビルスクの研究所が熱水法でのエメラルドの量産化に成功して美しいエメラルドを発売しました。
ロシアの熱水法によるエメラルドはクロムではなく、鉄とヴァナジウムによる発色で、チェルシー・フィルターに反応せず、フィルターを通しても赤くならずに緑色に見えると言う特徴があります。
これは後に発見されたブラジルの天然エメラルドと}同じ特徴です。
成長を早めるために、特別な種結晶のカットを行っており、そのために早く成長した結晶に光学的な歪が起きて上の写真に見られるような特異な雁木模様が肉眼でも認められると言う特徴があります。
ただし、1995年頃からは新しい技術を開発し、最近の結晶には雁木模様は見られなくなっています。1980年頃、オーストラリアのバイロン(Biron)社が熱水法エメラルドを商品化しました。
ところが1988年にオーストラリアのプール (Pool) エメラルド鉱山産と称する非常に美しいエメラルドが市場に流通し始めました。
調査の結果これはバイロンの合成エメラルドであると指摘され、再びバイロンの名で流通するようになりました。
1990年代になって、このエメラルドはアメリカでキンバリー(Kimbery)ブランドで販売されています。
バイロンのエメラルドは天然と同じ6角柱の見事な結晶成長が印象的です。1987年から中国広西省桂林の鉱物資源地質研究所にて熱水法でのエメラルド合成が始まり1993年から市場に流通しているとのことです。
生産量は年に7500カラット(結晶)ですから、歩留まりが10%程度とすると、市場で見かけることは殆ど無いでしょう。
桂林での合成エメラルド生産は実験段階に止まり、本格的な商業生産には至りませんでした。
2003年にチェコのマロシ社がイタリアの技術による熱水法による合成エメラルドの生産を始め、2004年からアメリカとヨーロッパで販売を始めました。
年間数千カラットのエメラルドがカットされて市場に出ているとのことです。
熱水法合成エメラルドの特徴熱水法はエメラルドが天然に結晶する条件を人工的に再現するものですから、理論的には天然と差の無い結晶が出来ます。
事実、比重や屈折率は全てのメーカーのエメラルドが、世界各地の天然のエメラルドのデータと重なる範囲内の数字を示します。
このため、比重や屈折率等の、古典的な方法では天然との識別は不可能です。熱水法のエメラルドは金や白金を張った容器の中でアルカリ性または酸性の溶液にエメラルドの材料と発色剤のクロムやヴァナジウム、鉄、ニッケル、などを加え、種結晶を吊るして1000〜2000気圧と500〜600℃の温度で結晶を成長させます。
この材料の調合と圧力や温度の調整が結晶の成長を左右しますが、ともかく、結晶の成長が遅いため、半年から1年かけないと、宝石がカット出来るような大きさに育ちません。
そのため、種結晶をなるべく結晶が早く成長する方向にカットすることが行われ、天然の6角柱とは異なる形の結晶が育ちます。
また結晶の成長を促進させるような溶液と温度の調整をするために、結晶に歪が発生し、ロシアの初期の熱水法のエメラルドのように肉眼でも確認できる雁木模様の光学歪が出来るなど、やはり天然とは異なる様々な特徴が現れてきます。
エメラルド結晶は高温高圧の水溶液内では分解してクリソベリル(BeAl2O4)、フェナカイト(Be2SiO4)やトリデイマイト (SiO2) に分離しやすくなります。
このため、合成エメラルド結晶中に、これらの鉱物の結晶やそれから発達する釘状のチューブなどが現れます。
天然のエメラルド結晶は、合成結晶よりは遥かに低い200℃程度の温度でゆっくりと長い時間をかけて結晶したと考えられますから、その差が現れてくるのです。
したがって、結晶内部のインクルージョンを注意深く観察する事で天然との識別が可能となります。
しかしながら、上記のインクルージョンの写真の様に、天然の結晶や、フラックスの合成結晶に酷似したインクルージョンがある事も多く、安易に断定は出来ません。
上級品の合成エメラルドは殆どインクルージョンを含まないものも多く、そうなると一層識別が困難になります。
しかし天然にはそのような完璧な結晶は皆無と言って良いくらいですから、却って合成と判断して良いでしょう。
厳密にエメラルドの識別をするためには、赤外線の吸収特性を見る必要がありますが、これも熱水法の合成品は天然と酷似していますので、専門家の熟練した判断が必要となります。合成エメラルドの値段チャザムが初めて合成した時には、当然天然エメラルドとして最高級のエメラルドとして売られていました。後に合成と判明してからは流石に安くはなりましたが、それでも天然の同等品の3分の1位の水準でした。
1960年代から各社のエメラルドが発売されるに従い値段が下がり、1990年代初頭までは、殆どインクルージョンの無い最高級品でカラット当たり300ドル、一部インクルージョンを含むクリーンな石が200ドル、多少のインクルージョンを含む石が100〜150ドル、かなりのインクルージョンを含む(これが天然にそっくりなのですが)石が100ドル程度と、これはフラックス法の合成ルビーとほぼ同じ水準でした。
エメラルドの場合、熱水法であれフラックス法であれ、大差はありません。
いずれも1カラットの大きさが基準で、0.5カラット刻みで上下に10%程度加減されます。
2カラットなら20%増しと言う具合です。
いずれにせよ、これらの価格水準は最大手のチャザム社が主導権を握り、その他のメーカーが倣っていたと言うのが実情です。ところが1993年頃から合成エメラルドが半値以下に暴落しました。
ソビエト連邦が崩壊し、エメラルド合成のノウハウが流出した様で、ロシアの各地に雨後の筍のように、熱水法エメラルドの合成を行う、いわゆるガレージ工場が乱立したとのことです。
1994年頃にはバンコクの市場で一度に数十kgもの合成エメラルドの結晶がダンピングされる程でありました。
また、大手メーカーでは廃棄していたような、インクルージョンを大量に含む結晶が市場に溢れ、これをカットすると、却って天然の上級品と間違えるほどですから、怪しげな宝石店では天然として売られている可能性があります。
各地のショーでも、ショー・スペシャルとして、結晶がカラット当たり2〜5ドル、ルースが20〜50ドル程度で売られている有様です。