ルビーとサファイアのベリリウム拡散処理
(Beryllium Diffusion of Ruby and Sapphire)


ベリリウム拡散処理サファイア (Beryllium diffusion sapphires) ?
0.76 - 2.44ct
Africa ?
 これらのサファイアはベリリウム拡散が明らかにされた2002年の直前にタイの宝石業者から入手したもの。
  全てがベリリウム拡散されているか否かは不明です。
 がチェリーピンクは内包物の特徴から、ピンクーオレンジはその色合いから、アフリカ原産のサファイアに高温でベリリウム拡散処理をしたものと考えられます。
 左下のピンクーオレンジの 1.14カラットのサファイアは2013年7月にタンザニアのSongea産の天然サファイアとして入手しました。
 ネット・オークションの写真では濃い橙色でしたが、実物は稀に見る美しさのピンクーオレンジのいわゆるパパラチアと呼ばれる色合いです。
天然のサファイアには違いないのですが以前入手したアフリカ産と同様、まずはベリリウム拡散されたものと考えられます。
 バブル時代であれば天然の最高級のパパラチア・サファイアとして、気の遠くなるような値がついたに違いありませんが、ベリリウム拡散が明らかになった今となってはオークションでまさかの3千円で落札できるという、世の中になりました。 
 世俗的な価値判断はともかく、この石の真価は何とも言えない妙なるピンクと橙の色合いにあるでしょう。
ニコン、リコー、富士と、それぞれ微妙に発色の異なる3社のカメラと光の条件等を変えながら3日間かけて100枚程撮影して、何とか肉眼で見た色合いに近づいたのがこの1枚。
 宝石の色の再現は本当に難しい。
2.44ct 8.2x5.4mm 1.05ct 6.7x5.7mm 1.85ct 9.7x6.4mm
 
1.14ct 5.9x5.2x4.5mm 0.76ct 6.7x5.0mm 0.79ct 7.0x5.0mm
Songea, Tanzania Africa

 恐らく2000年代の早くから登場していたと思われますが、きわめて美しい色合いのサファイアの素性が2001年半ば頃から世界の、とりわけ パパラチャ・サファイアに異常な人気が集中していた日本の宝石業界で疑われ始めました。
 それまでは極めて稀であった橙を帯びたピンクのパパラチア・サファイア、チェリーピンク、鮮明な金色等の色合いのサファイアが相当量、しかもカラット当たり100ドル前後と、不自然な安値で市場に溢れ出したからです。
 しかしながら、これらの色合いが自然のものか、或いは何らかの処理を施されたのか、蛍光X線分析や赤外線吸収特性等々、従来の研究所の測定器では判別が不可能でした。
 事態を重く見たGIA(アメリカ宝石学協会)が世界の宝石学者、研究所、宝石商の協力を得て2002年初頭から総力を挙げて取り組み、1年半に及ぶ研究の末にこれらのサファイアの色合いが超高温の酸化雰囲気中でベリリウムが拡散処理された結果であることを突き止めました。
 
 偶然にサファイアのロットに紛れ込んだクリソベリル (BeAl2O4) の結晶が1800℃の加熱時の高温で分解され、気化したベリリウムがサファイアの結晶中に入り込んだことが実験の結果明らかになりました。
 
 オーストラリアの2ヶ所、中国山東省、マダガスカルの Antsiranana と Ilakaka, タンザニアの Umba川と Songea、スリランカ、モンタナ州の4ヶ所と、様々な成因の産地から合計で50kgもの結晶とタイで処理されたサファイアを取り寄せ、更に種々の合成サファイアも含めてベリリウム拡散の実験を重ね、これまで知られていなかったサファイアの発色の詳細な仕組みの解明に至りました。
 その結果は Gems & Gemology Summer 2003 に50ページに及ぶ長大なレポートとして発表されました。

ベリリウム拡散処理されたサファイアの特徴
ベリリウム拡散処理されたサファイアは鮮やかな黄色、橙、褐色の発色をする
殆ど無色、或いは淡い色合いの原石を劇的に鮮やかな黄色や橙に発色させる
同様にピンクサファイアを ”パパラチャ”色や鮮明なオレンジ色に発色させる
従来の加熱処理では改善が出来ない青みがかったルビーの青みを取り去り、
鮮やかな赤に変貌させる
玄武岩起源の暗青色のサファイアを魅力的な明るい青に変える
ベリリウム拡散処理サファイア ベリリウム拡散処理された色は半永久的に安定している
と、良いことずくめの結果をもたらします。

ベリリウムがサファイアの発色に関与する理由
 遷移元素ではないベリリウムは本来、単独では宝石の発色には関与しない元素です。
が青いダイアモンドの発色の原因となる硼素や、パパラチャ・サファイアの複雑な発色の原因となるマグネシウム等非遷移元素による発色の例があります。
 新たに登場した鮮やかな色合いのサファイアの発色も同様に何らかの軽元素が関与していると考えられました。
 従来の測定機器ではこうした軽元素の検出は不可能でしたが SIMS や LAM-ICP-MS といった最新の分析機器を駆使して、10−30ppmaという極めて微量のベリリウム 原子がサファイア結晶の内部に拡散され、劇的な色の変化をもたらしている仕組みが明らかになりました。
 こうした発色の仕組みは禁止帯域理論で説明されます。

 SIMS(二次イオン質量分析:Secondary Ion-microprobe Mass Spectrometer)と
LA-ICP-MS : Laser Abration Inductively Coupled Plasma Mass Spectrometer

(レーザー気化誘導結合プラズマ質量分析計)は水素を含む全ての元素のppm-ppbレベルの検出が可能な測定器です。
 これらの測定機器は数千万円と極めて高価なため2000年代初めには一般の宝石研究所には導入されてなかったためにベリリウムの検出が不可能だったのです。
 
 
禁止帯域理論(Band Gap Theory)による発色の仕組み

サファイア結晶中の不純物元素の電荷と準位 青いサファイアの普通の
発色の仕組み
より低い電荷のBe イオンに
より青の発色が抑制される
 物質は電気の流れ易さで金属のような導体、ガラスのような絶縁体、その中間のシリコンのような半導体に分類されます。
 物質内の電子のエネルギー準位の単位は電子ボルトで示されます。
 金属では充満帯 (Valence Band) と伝導帯 (Conduction Band) との間の禁止帯 (Band Gap) の幅がゼロですから電気が自由に流れる良導体となります。
 禁止帯域幅が比較的狭いゲルマニウム (0.55V) やシリコン (1.12V) 等の物質では、極く僅かの燐や砒素等の電荷の異なる元素を添加して電圧をかけると禁止帯域を飛び越えて充満帯から伝導体に電子やホールが移動します。
 この原理が半導体としてダイオードやトランジスターに応用されています。
 ダイアモンド (5.5V)、ガラス (8V),サファイア (9V) 等は禁止帯域幅が広く、電子が帯び超えられない(即ち電気が流れない)ために絶縁体になります。 
 物の色が見えるということは、即ち光の波長(周波数)の違いを識別していることです。
例えば赤い林檎の色は、林檎に当たった光のうち、黄色から青、紫に及ぶ高い周波数が吸収され、残りの周波数帯域(640-700nm, 2電子ボルト付近)のエネルギーを持つ光のみが反射されて、目に入ります。
 この低い周波数帯域のエネルギーの光を人間の目は赤として認識しているわけです。
 さて、光は電磁波ですから、物質内の電子のエネルギー準位や電荷の状況は発色の仕組みの大きな要因となります。
絶縁体であるダイアモンドに微量の窒素や硼素が含まれて黄色や青に発色するのは、帯域理論によって光の特定の周波数が吸収されるためです。
 更に広い禁止帯域幅を持つサファイアの場合も上の図のように、微量の不純物元素イオンのエネルギー順位と電荷との相互作用により複雑な発色が起こることが明らかになりました。
 単独では発色に直接関与しないベリリウムとマグネシウムとがサファイアに含まれると、例え微量であっても上図のように低い水準の電子準位を持って結晶中に存在し、それがクロム、チタン、鉄等のサファイアの発色に関わる遷移金属のイオンとの相互の電荷バランスを変えて光の吸収帯域に影響を与え、劇的な色の変化をもたらす事が判明しました ;
ベリリウム拡散前 ベリリウム拡散後 ベリリウム拡散の深さによる色変わりの変化
左から 浅い »» 深い  0.80 - 1.89ct
Be 拡散で色が改善された
 ルビー 5.05ct 中央
周囲は従来の加熱処理
ピンク      »»  黄、金、橙       クロムによりピンクに発色するサファイアにマグネシウムが含まれると吸収帯域が変わって黄色・金色・橙色を帯びる。
ベリリウムイオンの拡散をはそれを増強する
青みを帯びた赤      »» 純粋な赤  青の発色原因である鉄とチタンとが含まれるルビーは青紫や黒ずんだ赤になる。電荷準位が低いベリリウムはチタンより先に鉄イオンと反応し、青の発色を抑制して純粋な赤となる
暗い青      »»  明るい青   不透明な暗青色のサファイアも同様に明るく透明な青になる
 サファイアの多彩な発色が起こるのは、酸化雰囲気中で1800℃の高温で長時間の加熱処理が行われるために、天然のサファイアでは起こらないようなマグネシウムやシリコンがサファイアの結晶格子のアルミニウムを置き換える変化が起きるためです。
  一方、ピンクサファイアにも橙色を帯びない例もあります。調べるとマダガスカル産のサファイアには20ppm程度のヴァナジウムが含まれているものがあり、そのために発色の仕組みが変わってしまうためです。

 サファイアの発色については別途 ”スリランカのサファイア”に詳細な説明がありますので参照してください。

ベリリウム拡散処理サファイアの見分け方
 
沃化メチレン液に浸された拡散サファイア 結晶中のクラウド(影)
 
 1970年代頃からコバルトやクロム、チタン等拡散処理による青いサファイアは市場に姿を見せることがありました。
 ただしこれらの金属は質量と原子半径とが大きいために結晶内に深く浸透せずに表面近くにコーティングされて、青くなるだけでした。
 こうした処理がされたルースは沃化メチレン液に浸すとファセットの稜線に沿って濃く青い色が浮かび上がるため、比較的容易に識別が可能でした。
 ところがベリリウム拡散の場合は全く事情が異なります ;
 ベリリウムは質量が9、原子半径が1.12Åと軽く小さな原子なのでサファイア結晶内の奥深くまで浸透して発色に大きな影響を与えます。
 高温加熱処理で10−30ppmと微量のベリリウムが結晶内部に拡散された後に原石がカットされるため、チタンやコバルトのように肉眼で認められる明確な痕跡を残しません。
 G&G誌の大レポートには拡散処理されたサファイアの様々な写真が数十枚も載っています。 
ほぼ確実にベリリウム拡散処理と分かるのは写真のように、沃化メチレン液に浸したルースの周囲が黄色ー橙の層を成している例くらいです。
 その他、高温で長時間の処理のために、サファイアの表面が溶けた冷えた合成サファイアの層があるもの、包有物の他の鉱物結晶が溶けて出来たクラウド(陰り,曇り、影)の写真等々多くの例がありますが、率直に言って、宝石の専門家でも判定に苦しむような例が多く、天然のサファイア、或いは普通の加熱処理されたサファイアと識別するのは極めて困難と言えるでしょう。
 即ち、ベリリウム拡散は最先端の分析機器で検出しない限り、明確には識別が困難です。
  ベリリウム拡散が明らかになったことで、とりわけパパラチア・サファイアが氾濫していた日本市場からはすっかり姿を消しました。
 本来天然には滅多に無い色合いのサファイアが大量に出回ることが異常だったわけです。
 拡散処理が明らかになった現在では、真っ当な宝石商ならこういうものを扱いませんから、法外な価格で処理された宝石をつかまされるという懸念は少なくなったと言えるでしょう。

 実はマダガスカル産のサファイアには天然で微量のベリリウムを含むものがあることが、最近明らかになっています。
 今のところ分かっているのは青いサファイアだけです。 
おそらく天然の美しい金色、ピンク,橙等のサファイアにも微量のベリリウムを含むものがあったのではないかと思われます。
  これまではベリリウムによる発色の事実が知られてなかった上に、検出する技術もなかったために誰も気づかれなかった。
 となると、ベリリウム拡散は不自然な紛い物ではなく、自然の為せる精妙な発色の技であるという見方もあり得ます。 
さらに、タイとスリランカでサファイアの加熱処理が行われるようになった1970年代頃から、すでに加熱処理時に紛れ込んだクリソベリル結晶による拡散処理が起きていたと考えるべきでしょう。
 サファイアの主要産地であるスリランカやタンザニア、マダガスカルの漂砂鉱床はクリソベリルの主要な産地でもあるからです。
 GIAも世界の宝石業界もこの事実を表立って言及しません。おそらくは意図的に封印しているのではないかと思われます。
加熱処理が盛んになった1970年代以降に売られたパパラチャやゴールデン・サファイアなど、とりわけ美しく高価なサファイアを全て検査する必要が生じ、調べれば少なからぬベリリウム拡散されたものが発見されるのは必至であり、重大な反響を呼ぶことは間違いありません。
 

ベリリウム拡散処理サファイアの宝石としての価値

 冒頭の6点のうち、暗緑色を除く5点の金色、ピンクー橙、赤紫のサファイアはいずれも類い稀な美しい色合いを見せるサファイアであり、その値段からして、まずベリリウム拡散処理が為されたものと判断します。
 一時は姿を消したベリリウム拡散処理サファイアですが、最近では、処理品と明記して宝飾用に使われている例を見かけます。

 宝石は天然のままでなければならない。人工的に処理したものには価値がないとする意見が根強く残っています。
一部の宝石業者やマニアックな消費者にサファイアの非加熱云々をことさら強調し、拘る傾向があるのも事実です。
 希少価値だけを取り上げればそれは正論ではあります。
が、結局は宝石を資産として位置づけるという古めかしい固定観念に囚われた見方です。
 如何に美しい宝石も、実は結晶生成の過程で天然の加熱作用を受けています。
天然のままでは見映えのしない原石の一部の透明な部分から慎重に取り出され、カットされて初めて美しい宝石として商品化されるのであり、いずれにせよ人の手にかからなければ美しい宝石は存在しないのだといっても過言ではありません。
 どうしても自然のままが良いというのであれば、トパーズやアクアマリン等の天然の結晶を愛でるべし。
もっとも結晶だって、全てがミネラロジカル・レコードの写真のようなピカピカの状態で発見されるわけではありません。
 大半の結晶は津波に流されて泥に埋もれたタイプライターのような状態で掘り出されることが多い。
泥なら水で流せば落ちますが、ブラジルのペグマタイトの結晶は少なくとも10億年の間、地殻変動によるとてつもない高温と高圧、強酸性や強アルカリ性の熱水の浸食やら、流されて降り積もった粘土の屑や泥に埋もれていたわけで、専門の職人による忍耐強いブラシや塩酸での洗浄を経て、ようやく出来たときの姿を取戻しているのが実際のところ。自然のままで美しいということは滅多にないことです。
 宝石とは美しい石であるという見方からすると、見映えのしない天然のままの宝石より、たとえ人工的な処理がされたとしても、美しく変貌した宝石の方がはるかに魅力があります。 
 事実、ルビー、サファイア、アクアマリン、トルマリン、トパーズ、シトリン、ダイアモンド、エメラルド等々、今日では主要な宝石の大半が加熱、放射線照射、樹脂含浸等々、様々な処理により美しく変身して宝石市場を賑わしています。

 天然のままのものしか宝石ではないとすると、供給は激減し、美しい宝石を入手できるのは限られた富裕層のみという19世紀以前に戻ってしまいます。
 今日でも、そうした極めて高価な宝石市場は厳然として存在し、それはそれで必要なものでしょう。   
 が、私のようなコレクターや、手ごろな値段で宝飾品を楽しみたいとする普通の市民にとっては、様々な技術で処理された美しい宝石がふんだんに供給されるようになった現在の宝石市場のあり方は大いに歓迎すべきです。
 大切なことは、宝石に様々な処理がされているか否かではなく、処理によって耐久性や色合いの安定性が失われないということ、その内容がきちんと開示されて、消費者が納得ずくで買い求めることが出来るか否かなのです。
 幸いなことに、近年、専門の宝石店では宝石の加熱処理等が開示されるようになりました。
殆どの宝石が何らかの処理を受けていますから、その詳細を説明出来る専門家のいる宝石商から買うのが正しい宝石の求め方です。

 さて、ベリリウム拡散サファイアに戻ると、、無数の宝石の処理技術中でも最も画期的な処理と言えるでしょう。
何よりも、見映えのしないサファイアが類い稀な美しい色に変貌し、その色は褪色することなく半永久的に安定している。
その上、ひょっとすると天然に存在するベリリウムを含むサファイアとの識別が極めて困難という特徴があります。
 拡散処理の事実をきちんと明記さえすれば宝飾品に使わない手はないと考えます。
 
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